3-2 都市と星
星脈塔、管制室——。
魔力で動く古代の天文計算機たちが、今も微かに灯りながら、かつての栄光を名残惜しげに囁いていた。青銅と魔石が組み合わされた巨大な歯車は軋み、塔の中心に据えられた黒曜石の天球儀がゆっくりと回転している。
リュウジは、部屋の隅に立ち、星図を睨んでいた。
壁一面に広がる魔導式の黒板は、数え切れぬほどの呪文構文とアルゴリズム、星辰の軌道で覆い尽くされていた。そこにまた、新たな数式を走り書きする。
「……ステラコードの崩壊は、ほんの些細な綻びから始まったんだ。ひとつのバグが、理全体に波及する。因果律のセグメントが崩れれば、系全体が崩壊するのは当然だろ?」
彼の指先はキーボードを走らせながらも、心は別の場所にあった。
かつて現実世界で、彼は「理の男」と呼ばれていた。
プログラムのソースコードを聖典のように読み、ひとつのエラーも許さぬ完璧主義者。"エンブレIII"の開発末期、彼は誰よりも深くゲームの真理を追い、誰よりも孤独にその道を歩いた。
だが、こだわり過ぎた。
理詰めのソースコードは、仲間との軋轢を生み、演出チームとの衝突で、ついには主要パートから外された。虚しく残ったのは、更新され続けるプログラムと、彼が捨てきれなかった理への執念だけだった。
現実の家庭もまた、綻び始めていた。
*
「リュウジさん、いつになったらソウヤを遊びに連れて行ってくれるの?」
ナチュラルな美貌と知性を兼ね備えた妻・ナオの声が、どこか遠くから聞こえる。
そして——。
「デンシャ、デンシャ」
まだ言葉も拙い息子が、手のひらをパタパタさせながら笑っていた。
彼にも、レールの血が流れている。
「……このアップデートが終わったら、な」
だが、終わらないアップデートほど残酷なものはない。
彼は自分の手で、家族の「楽しみ」という名の列車を、遅延させ続けてしまったのだ。
*
「『アオヤギ畑でつかまえて』……うまいこと言うヤツかいるものだな」
塔の中心部、星を観測する円形の管制台で、リュウジはふと目を閉じた。
「星の軌道も、列車の運行も、ひとたび乱れれば……世界は狂い出す」
セレノが、彼の隣で静かに頷いた。
「天文都市オルディネは、魔術士たちが長年かけて理を積み上げてきた場所だ。空と大地を結ぶ星脈網、そのコアが狂えば、全てが終わる。いまや、魔導レールの運行もわずかな魔力で持ちこたえているだけ……星が見えない都市に、未来はない」
塔の上空では、今も雷雲が空を覆っていた。
空は燃えるような灰色に染まり、稲光がひび割れのように都市を貫く。
遠くから聞こえる雷鳴は、かつての天文都市の息吹を打ち消すかのように響いていた。
「セレノさんがこの役割から降りたら、どうなる?」
タクマの問いに、セレノとリュウジはまるで同時に、口をそろえた。
「天文都市オルディネが死ぬ」
——その言葉の重みは、生命よりも重かった。
リュウジは深く息を吸い、指を鳴らした。
「セレノ。あんたは星の軌道を書き換える術式を組める。だとすれば……この都市そのものをコードとして扱い、最適化することも可能じゃないか?」
セレノの目がわずかに見開かれる。
「たとえば?」
「魔導レールの運行……都市の気象制御……果ては星脈網の修復まで」
セレノはゆっくりと、まるで星の動きを確かめるように頷いた。
「できるとも。……星と列車は男のロマンだからねぇ」
——一瞬の静寂。
それを破ったのは、グラムの乾いた笑いだった。
「ふふっ、ようやく共通言語が見つかったようだな」
ヴェルザがあきれ顔で肩をすくめ、リンが吹き出す。
ファルがくるくると宙を舞いながら叫ぶ。
「ちょっと! ロマンの話じゃなくて、都市の未来がかかってるってのに!」
だが、タクマは小さく微笑んでいた。
——星を修正し、都市を再起動する。
この偏屈なふたりが手を組めば、それも夢ではない。
こうして、天文都市オルディネにて、星の理と魔法言語が交差する、かつてない『共同開発』が始まろうとしていた。




