3-1 理を操る者
空は重たく沈み、灰色の雲が天を覆っていた。
一行がたどり着いたのは、かつて大陸一の大魔術士が守ったとされる、星の都・オルディネ。だがその面影は、もはや廃墟の中に埋もれかけていた。
「空が……死んでるみたいだね」
リンがぽつりと呟いた。風は冷たく、頬をかすめて通り過ぎていく。その音には、どこか悲しげな笛のような響きがあった。
「雲の層が厚すぎるな。昼なのに、まるで夜だ」
タクマが前を見据えたまま言う。
アステランから西へ進んだ彼らは、仲間となった召喚士ヴェルザを加え、にぎやかさと軽快な会話を携えてこの天文都市へと辿り着いた。
だが、都市の空気は一変している。空を仰げば、雷光が閃き、鳴り響く轟音が地を震わせる。まるで空そのものが怒りに震えているかのようだった。
「見て!」
ファル・フィンが塔の足元を指さす。
「魔導レールが走ってる! ほんとに動いてるよ、あんな空でも!」
濃紺の雲の下を、黒鉄の塊のような列車が魔力の軌跡を引いて走っていた。レールは塔の中心へと向かい、塔を巡るように張り巡らされている。
「うお……ゴツい鉄仮面列車だな。あれはマジでいい」
リュウジが目を輝かせる。
「あの鈍重な走り、あの無骨なフォルム。理想のフォルムだ、なあ?」
「青柳先輩、天文観察と鉄道って、大好物の組み合わせじゃないですか~」
テルキがからかうように言った。
「鉄っちゃんだったんですか、青柳さん? 意外」
リンが驚いた顔を向ける。
「星と列車はな、男のロマンだ」
リュウジが鼻で笑いながらタクマを見る。
「……ああ。男子の通り道ってやつだな」
タクマもどこか照れくさそうに頷いた。
魔導レールの終着駅——その中心に、かつて都市の中枢であった《星脈塔》があった。
星脈塔は今、傾きかけ、石の壁には裂け目が走っている。塔を支えていた《星脈網》——星から魔力を引き寄せ、都市全体へと供給する神秘のネットワークが、バグにより崩壊しかけているという。
「……星の力が、地上に届かなくなってるんだ」
ヴェルザが空を見上げて、眉をひそめる。
「まるで、空ごと腐っていくみたい」
この都市では、天から星の魔力を引き出すことで天候を制御し、文明を維持していた。
だが、今ではその魔力は途切れ途切れとなり、魔導レールも大きな車両を通せなくなっている。
「……人がいない」
テルキが呟いた。
実際、都市の中心部にはまるで人の気配がなかった。外郭へ避難しているという話は本当だったようだ。
星脈塔の中へ足を踏み入れたそのとき、不意に、どこからか足音が響いてきた。
乾いた石の階段を、ゆっくりと踏みしめるような足音。低く、くぐもった呟きも聞こえる。
「……北緯三五度、赤経一八時……周期律二一三……」
現れたのは、古びたローブをまとった一人の男だった。手には箒。髪は乱れ、目は焦点が定まらず、しかし何かを見据えるように鋭い光を宿している。
「誰だ?」
リュウジが一歩前に出る。
男は階段の中ほどで立ち止まり、首を傾げた。
「私は塔の掃除屋……この塔に宿る星の声を掃き集める者だ」
「……セレノ?」
ヴェルザが目を見開く。
「セレノって……あの大魔術士の?」
「……そうだったか? 箒は持ってるぞ」
とグラムが静かに呟いた。
「それは魔女の話でしょ」
ヴェルザは苦笑いを浮かべた。
セレノ。かつて星の運行を操る《大魔術ステラコード》を編み出し、この都市を天の災厄から守ってきた伝説の魔術士。だが今、その面影は見る影もなかった。
彼はただ、塔を掃きながら、呪文のような数列を延々と唱えている。
「わたしも……真理を求めすぎて、星になりかけたよ」
彼は笑った。だがその笑みには、どこか壊れた哀しみがにじんでいた。
塔の最深部には、星脈網のコアがある。今まさにそれが暴走し、都市を魔力の渦に飲み込まんとしていた。
「円周率のように解けない構造も、見続けることで何かが見えてくる……永遠とは、同じ苦しみを繰り返すことではない。無限の循環のなかに……規則という希望を見つけることだ」
セレノの声は静かだったが、言葉の芯には鋭い炎が宿っていた。
「……気の合いそうな偏屈おっさんが二人揃ったな」
リュウジがニヤリと笑う。
「星の運行とやら、俺たちで修正してみようじゃねぇか」
タクマが思わず目を見開いた。リュウジが、自ら修正に乗り出すのは珍しい。
「……お前、やる気か?」
「こっちの世界のバグだ。なら、コードで直してやるさ。あんたの『ステラコード』——その構文とやらを、見せてくれ」
雷鳴が再び天を裂いた。セレノは一瞬だけ目を閉じ、そして、塔の奥深くへと一歩踏み出した。
「よかろう。お前たちの知識が、星を救う希望になるのなら」
闇と光の狭間に揺れる天文都市で、異世界の開発者たちは新たなる『魔法言語』を紡ぎはじめる。
それは、コードと呪文の境界線を越える、未だ誰も到達したことのない『理』への旅の始まりだった。




