第五話 大蛇はしゃぶしゃぶセットだった
幾日か歩き回ったが、どこへ行っても、たいして環境は変わらない。
化け物はいるし、薄暗い。
森の密度は濃く、空はほとんど見えず、時間の流れさえ怪しい。
だが、そんな折。
ふと前方に、ほんの少しだけ木々がまばらになったエリアが現れた。
梢の隙間から、久々に日差しが差し込んでいる。
足を踏み入れてみると、地面は比較的乾いており、風も通る。
生えている木は──この森にしては“細め”だ。
とはいえ、囲もうと思ったら、両手を広げた大人が五、六人は必要かもしれない太さだが。
そんな木が四本、四隅を意識したようにバランスよく生えていた。
おっさんは足を止め、空を見上げる。
光が、心なしかあたたかい。
──そろそろ拠点が欲しい。
腰袋に手を入れ、少し考えてから引っ張り出す。
ニュルニュルと現れたのは、長さ約3.6メートル。
建築現場で「十二尺」と呼ばれるサイズの鉄パイプ柱だ。
ただの鋼管ではない。
側面には「コ」の字型の突起が、等間隔で溶接されている。
現場用のビケ足場である。
地面に立て、足元にジャッキベースを装着する。
高さ調整ができる仮設足場の“土台”だ。
こうして、おっさんの拠点計画が静かに幕を開けた。
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仮設足場の組み立ては、本来二人以上で行う作業である。
支え合いながら柱を立て、水平を見て、固定していく。
だが、おっさんの腰袋は違った。
次に欲しい部材が、スッ……と出てくる。
まずは「⊃⊂」のような形状の金具──クランプを使い、
縦の鉄柱に斜めの支え棒を取り付ける。
「|\」のようなつっかえ棒だ。
これで、柱が単独で倒れることはない。
次に取り出したのは、「 ]」の形状をした手すり材(六尺、約1.8メートル)。
両端の爪で柱にガチャリとはめ込み、四本の柱をぐるりと繋いでいく。
四隅に生えた巨木を囲うように足場が形作られていくと、
それだけで構造はグッと安定する。
次に使うのは、頭の高さ──
柱の中間に「y」を横にしたようなブラケットという金具を装着し、
そこへ金網状の足場板をガチンと固定する。
こうして、おっさんは高所に道を作った。
もう、空中を歩ける。
あとは、同じ作業の繰り返し。
柱、手すり、ブラケット、足場板……
無心で繰り返し、気づけば地上20メートルほど。
巨木のてっぺんに、手が届く高さにまで登ってきていた。
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足場ができれば、次は伐採だ。
おっさんは、腰袋からエンジン式チェーンソーを取り出す。
スターターを引くと、
「ヴイィィィィィィィィィィ!!」
唸り声を上げ、黒煙が巻き上がる。刃が唸りながら回転を始める。
まずは、頂上に近い枝から。
一本、また一本──切り落としていく。
……と言っても、“枝”の太さが尋常ではない。
どれも、おっさんの胴回りより太いのだ。
バランスを見ながら、
仮設足場に負担がかからぬよう、チェーンソーの入れ方ひとつで倒れる方向を微調整する。
伐採しながらも、足場の安全を最優先する。
現場を知る者の判断である。
枝をすべて落とし終えたら、いよいよ本体──幹の切断に移る。
これは、後々の拠点建築に使う材木として残すため、長さを意識して揃える。
目安は4メートルごと。
上から順に、節ごとに切り落とす。
やがて作業は進み、
地上20メートルから、10メートル地点まで降りてきたところで伐採は完了。
続いておっさんは、足場の上にレーザー水準器を設置する。
水平器から照射された緑の光が、ピタリと四本の大木を貫く。
1ミリの狂いもない、緑の水平線。
それを頼りに、
四本の切り株の高さを“ぴたり”と揃えていく。
切るというより、削り取る作業。
時間はかかる。だが誤差は出さない。
おっさんは黙々と、
樹皮を削り、芯を測り、面を合わせ──
四本の巨木を、完璧に揃えた一本の台座に変えていった。
伐採も、足場も、
すべてはこの時のため。
大工の十八番である。
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これは、要するに基礎である。
樹齢何百年かは知らない。
だが、森の中でも別格の存在感を放つこの巨木たちは、地に深く根を張り、びくともしない。
下がることも、傾くことも──絶対に、ない。
おっさんは足場を下り、
地上に積まれた枝や幹を前に、腰袋からバンドソーを取り出す。
製材所などに置かれている、
大きな円を描く刃が、材料をゆっくりと割裂いていく工業用機械だ。
御神木ほどもある丸太が──
寸法の揃った、美しい正方形の柱へと生まれ変わる。
割り、揃え、削り、整える。
一切の迷いも、ムダもない。
すべてが、拠点の骨組みとなるための工程だ。
ちなみに──
数日前、同じ方法で電柱サイズの大蛇も割った。
皮を剥ぎ、身を開き、内臓を抜き、精肉した。
冷凍庫に大部分は保存済みだが、
なかでも綺麗なサーモンピンクの身は、現在干し肉へと加工中である。
素材はなんでもいい。
おっさんは、“使えるもの”は全部使う。
それが、大工という生き物だ。
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とは言え、バンドソーで裂いた材は、まだラフ材だ。
わずかに反りや歪みがあり、そのまま使うには精度が足りない。
次に取り出すのは──自動プレーナー。
電動式の自動鉋機。
木材を通すだけで、両面をピタリと削り、厚みを均一にしてくれる優れモノだ。
何本もの柱を次々にプレーナーへ。
ウィィィィンという機械音とともに、
差し金を当てても狂いのない、完璧な正方形の材木が出来上がっていく。
構造材だけではない。
背の高い長方形の梁材や、その他の部材もまとめて加工する。
削って、測って、揃えて──
必要な骨組みの部材が一通り揃ったころには、足元に半月状の端材が山のように転がっていた。
だが、おっさんはそれを蹴り飛ばしたりはしない。
これはゴミではない。
むしろ、これから使う壁材・屋根材の原料である。
加工するほど、資源が増える。
「捨てるもんなんてないべした」
必要なものが、すべて揃った。
おっさんは木陰で一息つき、腰袋から缶を取り出す。
中身は、たぶんウーロンハイかなんかだ。
今日の作業はここまで。
アフターファイブである。
何時なのかは知らんが──
少なくとも、いい仕事をしたあとの一杯は、
どんな世界でも変わらず旨い。
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干し肉はまだ何日かかかりそうなので、
ツマミを作ることにする。
試しにただ塩をして焼いただけの蛇肉を食ったが、
肉のしっかりした旨味と、カニのような後引くクセ。
これで導き出されるツマミは…
肉カニシャブだ。
鍋はシステムキッチンに付属で入っていた。
昆布は、森に生えていた。
ならば煮るしかない。
そして大蛇から落ちた紺色の魔石は、
調べるのに苦労したが、
ドアや家具などを作るときに使う、プレス機にかけてみた所…
パリンと割れるわけではなく、
じわ〜っと液体が染み出してきた。
ポン酢である。
大蛇はしゃぶしゃぶセットだったのだ。
小皿に魔石汁を垂らし、
箸で摘み一口。
急いで製氷機から氷を出し、
ジョッキに焼酎と共に注ぐ。
冷えるのも待てずにグイッとやれば…
樹上に見える真っ赤なでかい三日月が
笑っている様に見えた。
いい夜だった。