第四話 モンスターの魔石は調味料でした
木漏れ日が、ちらちらと顔に落ちる。
まだ眠たい視界に、葉の隙間からの光が斑点模様を描いていた。
大きな欠伸ひとつ。
腰を伸ばせば、ボキボキと派手な音が鳴る。
おっさんである。
顔を洗い、歯を磨き、腰袋から取り出すは充電式コーヒーメーカー。
今日は濃いめ。淹れたてを片手に、いつもの朝の一服。
煙草とコーヒー。この組み合わせに勝てるものなど、そうそうない。
歯の裏が汚くなるのが玉に瑕だが、それも仕方がない。
ふと地上を覗き込む。
あの三つ首の獣──ケルベロスの死骸は、まだそのままだ。
風に吹かれて毛並みがなびいている。
腹が減った。降りるとするか。
まずは解体だ。
おっさんはかつて、外国の山奥にてダム建設に従事していた。
工期の遅れた現場では、サバイバル技術は命綱。
水場を見つけ、罠を仕掛け、獲物を捌き、煮炊きをするのは、
一般的な大工の嗜みである。
ケルベロスの腹を割り、内臓を掘った穴に捨てる。
顔面は食わない。埋める。
毛皮は厚く、頑丈だ。丁寧に剥いで、干せば衣類や敷物になるかもしれない。
だが──
「ん?」
モモ肉を切り出していた手元から、コロリと何かが転がった。
ビー玉ほどの、まんまるい石。
ケルベロスの体内から出てきたとは思えないほど、艶があり、
色はまるで焔のような赤橙。光の加減で揺らめくように見える。
水でさっと洗ってみる。
不思議と濡れた部分から立ちのぼる香りが、どこかスパイシーだった。
舐めてみた。
「辛っ!」
舌の奥を突き刺すような刺激。
胡椒を濃縮したような、荒々しい味わい。
宝石か?調味料か?
おっさんは眉をひそめ、だがすぐにニヤリと笑った。
モモ肉とムネ肉を切り出す。
携帯鉄板に油を引き、焚き火台に火を入れる。
ジュウ、と音を立てて焼かれていく異世界ケルベロスの肉。
さて──どんな味か、楽しみだ。
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脂が滴り落ち、焚き火の炭を怒らせては、赤い舌のような炎が跳ね返る。
焼けるのは、三つ首ケルベロスのモモ肉とムネ肉。
犬の肉など、食った記憶はない。
だがこいつはちがう。赤身には細やかなサシが入っており、まるで霜降りの牛肉だ。
焼けた表面に少し焦げがついたところで、我慢できずに一口。
……とろける。
外はパリっと、内はジューシィ。
例えるならば──そう、上等なカルビのような食感。
うまい。あまりにもうまい。
ふと、先ほどのビー玉──焔色の石を思い出す。
あれを削って、肉にかけてみたいが、調理道具など持ち合わせていない。
だが、おっさんの腰袋には“現場の知恵”が詰まっている。
取り出したのは、内装工事で使う石膏ボード用のやすり。
本来は壁を仕上げる道具だが、いまは卸金代わりだ。
肉の上に直接、ガリガリと削る。
細かな粒がこぼれ、肉の表面でじわりと熱を受ける。
見た目は粗挽きの黒胡椒。
だが、ひとくち食えば──
口の中に広がるのは、極上のアウトドアスパイスの風味。
甘み、塩気、香ばしさ、刺激。すべてのバランスが絶妙で、肉の旨みをさらに引き出してくる。
「んめーな、これ……」
思わず漏れる、本音の一言。
ひとしきり食べて満足したあと、余った肉は丁寧に切り分けて保管する。
システムキッチンの引き出しを開け──
ビルトイン冷凍庫へ、ストック完了。
これにて朝飯、完了である。
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食欲が満足すれば、次は好奇心が不平を言う。
もっと旨い物、もっと居心地のいい場所を探せ、と。
おっさんはそれに従い、森を歩き始める。
枝上に展開した風呂、トイレ、キッチン、ベッドは、
腰袋にスッと収まった。
なんでもあり…ではないようだが、便利なものである。
ガサガサと、胸丈ほどもある草をかき分け、
獣や蛇などに遅れを取らぬ様、先の尖ったスコップを構え進む。
大工の初期装備、鉄のつるぎである。
強めに払えば、草も薙ぎ倒せる。
方位磁針は、最初から狂っている。
どちらが北で、どちらが南かも、もうわからない。
「さっきの木」とか、「あっちの大きな幹」とか──
それらも、当てにならない。
同じ場所をぐるぐる回っているのかもしれない。
けれど、おっさんに焦りはなかった。
樹海やジャングルは、慣れた現場だ。
かつてアマゾンの奥地、民族の集落へと赴き、
崩れた橋を修理し、護岸を石で補強したこともある。
またあるときは、日本の富士の樹海にて、
間伐材や伐採木を調達する仕事に就いていた。
どちらも、大工の仕事である。
道がないなら作る。
道具がなければ、工夫する。
どこだって現場、やることは変わらない。
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道路工事の現場でよく使っていたラッカースプレー。
破損箇所や境界線に印をつけるのに重宝する。
おっさんは腰袋からその一本を取り出し、
巨木の根元に向かって、シューッとひと吹き。
……ブゥン。
幹がモコモコと盛り上がり、
まるで肉のようなうねりを見せる。
そして現れたのは──
悪魔じみた顔を思わせる、巨大な“うろ”。
節穴に見えたそれは、じつは閉じた瞼だったのか。
木の表皮がめくれ、ギョロリとした眼のようなものが、おっさんを睨みつけている。
……オコらしい。
「悪ぃ悪ぃ、現場癖でついな」
おっさんは一言、素直に謝った。
代わりに、ポケットからピンク色のマーキングテープを取り出し、
幹にぐるりと巻きつける。
しばらく間があったが、
木の顔らしき“うろ”は、そのまま静かに引っ込んだ。
……どうやら、これならやぶさかではないらしい。
だが、最後にひと悶着。
木の“口”のような節穴が「ガバァッ!」と大きく開き、
あわやおっさんが食われるかというところでピタリと止まる。
「脅かすなって……心臓に悪いわ」
木は何も返さない。
ただ、どこか満足げに葉を揺らしたような気がした。
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とりあえず、マーキングしたピンクリボンの巨木を見ない様に歩けば…
何処かしらへは移動してるということだ。
まぁあの紐、本来は伐採する樹木に巻く目印なんだがな…
しばらく歩いて疲れたら、木に登る。
快適で清潔な夜営を行い。
しばし休んだらまた探検する。
犬肉の残りを少し心配したが、
大蛇も獲れた。
電柱くらい太くて長いヤツだ。
おっさんの野営地にニョロニョロと登ってきたので…
ワンパターンではあるが、梯子で挟んだ。
切断はしなかったが、骨が折れたのか、そのうち動かなくなった。
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頭に絵を浮かべながら腰袋に手を入れると…
重いが、やはり出た。電動ウインチだ。
現場で重量物を上階などに荷揚げする際に使うヤツだ。
それを二連梯子の頂点のステップに取り付け、鎖を地上まで降ろす。
電源はないが動くらしい。
そもそも電源コードすらない。
地上に降り、蛇の尻尾付近にワイヤーでフックを固定し、
首をチェーンソーで切り落とし…
巻き上げる…血が滴りぷらぷらと揺れる。
今度はどんな旨い肉なのだろう?
と、おっさんは満足そうな顔で枝上に登り、
今日を終えるのであった。