第三話 ケルベロスが梯子登ってきた
腹も満たしたし、酒もある。
これ以上、何が必要なのか。
──まぁ、食えば出る。
出れば、洗う。
それが人間だ。
おっさんは、トイレとユニットバスを……
腰袋から出した。
スッキリした。
風呂もあったまった。
あとは、寝るだけだ。
自宅でいつも寝ている、あの馴染んだ布団。
……は、腰袋から出てこなかった。
「どうゆうルールなんだべ……?」
首を捻りながらも、答えは見えない。
試しに、と取り出してみたのは──
昔、ラブホテルの改装工事で造った、あのド派手なベッド。
紫の布地にラメが光り、若干趣味がアレだが、
天蓋からドライアイスのスモークが降り注ぐ、手の込んだ一品だ。
ズズンッと、巨木の枝の上に設置されるそれを見て、おっさんはうっすら笑う。
──どうやら、過去に自分で施工したものは呼び出せるっぽい。
推測だけが静かに頭をよぎるが、今はもうどうでもいい。
おっさんはドカッとベッドに横たわり、
「……寝るがら」
と、ぽつり呟いて目を閉じた。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
ガシャン……ガシャ!ガタガタ、
なにやらうるさくて、目を覚ます。
音の方を見ると、巨木にたてかかっている梯子が揺れている。
「こんな森に誰かいんだべか?」
と下を覗き込むと…
なんか小さくて良く見えないが、
首が三つある犬みたいな…化け物が、
梯子を登ろうとしている。
双眼鏡を取り出して覗き込む。
──やっぱり、怪物だ。
全身が燃えるような赤毛で覆った、三つ首の犬。
一歩一歩、こちらに迫ってくるたびに、枝葉がバキバキと軋む。
「さすが異世界……初手がこれかよ……」
50メートルの高さまでは、さすがに時間がかかるだろう──
だが、のんびり構えていられる相手でもない。
あんなもん、ここまで来られたら確実に食われる。
「……どうすっぺ」
三つ首の犬狼が、ぎこちない動きで梯子に前脚をかけ──
次の瞬間には、器用に体を預け、ゆっくりと登り始めた。
登り方を理解しやがった。
──このままじゃマズい。
おっさんは息を呑み、決断する。
梯子のてっぺんまで腹ばいでにじり寄り、
カラビナで固定されたロープの根元に手をかけ──
「……いっけぇぇええ!」
ロックを外す!
ガシャン!
金属の悲鳴と共に──
80キロのオッサンを乗せたアルミ製二連梯子が、
**フリーフォール《自由落下》**を始めた──!
伸ばす時は、
「カシャン、カシャン」と慎重にロックをかけながら伸びてゆく──
それが、二連梯子の基本の動作。
だが今──
ロックを外し、ロープを手放したこの鉄の凶器は、
「ガララララララララララララララララララッ!!」
と、まるで中世の処刑場のギロチンのような音を立てて、
一直線に落下した。
そして──
たまたま挟まっていた三つ首のうち、
真ん中の一つを、
チョンパした。
それは、数時間前のおっさんの最期に──
よく、似ていた。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
二首になった化け物が、しばらく転がり回っていたが、やがて動かなくなった。
おっさんはそっと近づき、
落ちていた小枝でツンツンする。
ただのしかねばのようだ。
ばねだったか?
まぁいい。
かなり体格がでかい。
大型犬で言えば、3頭をくっつけたくらいのボデー。
ジュルリと口を拭う。
以前、仕事で作った、自然豊かな山林。
をある程度伐採して作ったキャンプ場。
の設備で作りまくったバーベキュー台。
それを腰袋から……
ズシンと取り出す。
耐火レンガとセメントで作ったかなり重量のある焼き台だ。
おっさんは、
工務店の感謝祭イベントで、さんざん砥がされた包丁を取り出し、
チェーンブロックを使い、獣を逆さ吊りにして、
血を抜いた。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
すっかり血抜きも済んだ獣をそのままにして、
おっさんは再び、梯子をよじ登る。
息を切らしつつ──
枝の上にたどり着き、振り返って梯子を掴むと、
「……ほれ」
軽く引いただけで、
あの50メートルはある巨大な梯子が──
スッ……
まるで冗談のように、腰袋の中に吸い込まれていった。
「はぁ〜〜〜……」
おっさんは、深いため息をつきながら、
テントへと潜り込む。
夜風に吹かれる巨木の上で、
イビキをかきながら眠りについた──