第六十二話
ガードレールの設置を終えたおっさん一行は、
いよいよ今日のメインイベントとなる、トンネル新設現場に到着した。
山頂付近にはうっすらと雪が降り、山肌を白くしているのが見える。
リリのデータによれば東西に数百キロ連なるこの山脈は、3000メートル級の高峰が無数に分布しており、天気も気候も向こう側とはだいぶ差があるようだ。
活火山の兆候は見られないので、トンネルとして打ち抜いても噴火の心配はないとのこと。
しっかり洗濯を済ませて、昨日と同じ、危ういジャラジャラした服を着て来たテティスは、目の前に聳える岩肌をボンヤリと眺めている。
落石の危険もあるので、おっさんとパステルは後方に下がり、万が一の時にもワープで脱出できるように、みんなの腰にロープを結んでおいた。
トゥエラは相変わらずその辺を漂っているため、危なかったら逃げろよ、とだけ言っておく。
リリは──テティスの背後に立ち、抱きしめるように腕を絡めた。
「方角、射出角度、距離と湾曲のデータを流し込みます。ティーはそれに逆らわずに全力で撃てばいいのですよ」
凶大な魔素を浅い呼吸と共に練り上げるダークエルフと、それをサポートする受付嬢。
傍から見れば、グレて反抗ばかりする女子生徒を宥める女教師のような構図だ。
「ちょ…リー姉近いって!?あーなんか?数字がメチャメチャ体に入ってきた?!ぞわぞわするし〜!?」
やがて、二人の周りには黒いガスバーナーの炎が噴き出すように立ち上がる。
「す…凄まじいですね……生身であれば骨も残らないような魔力です……」
「……っつーか、なんでヘーキなの?リー姉…?
──な、なんか魔素濃くね!?なんそれ??」
なるべく背後に負担を掛けないようにと、前方に向けて魔素を巡らせているテティスだが、それでも余波というものがある。
これから青函トンネル並みの距離の岩を撃ち抜こうという魔力なのだ、一般人が耐えられるはずがないのだが……
テティスの|魔視
すると、リリはテティスの尖った耳に唇を寄せ、そっと囁いた。
『……………………………………』
その言葉の意味を想像して、青い顔を真っ赤に染めるテティス。
「も…もー撃つしかなくね!?
ハズすぎるし!?これ案件〜!!」
おっさんの視点からは、三つ目のハゲた武道家の必殺技みたいなポーズで、掌を組んだテティスが顔を赤くしているように見えた。
「ションベン大丈夫なんだべか……?」
──その瞬間、ソレは放たれた。
あらかじめ全員かけていたサングラスが功を奏し、魔法の瞬間を目にすることが出来た。
「湾曲性穿通光芒魔法」
ぴゅん。
──と、思ってたんと違う、意外と地味な効果音と共に放たれた黒いレーザービーム。
数秒で光も収まり、辺りは静寂を取り戻した。
「リー姉……あとでKwsk……」
テティスは大魔法を使って疲れ果てたのか、ミニクーパーの後部座席に乗り込んでタピオカドリンクを啜り始めた。
危惧していた落石も地滑りもなく、まるで何も起こらなかったような山肌だ。
しかし、近づいてみると確かに──
野球ボールほどの、滑らかに削られたような丸い穴が空いており、
耳をそばだてれば──
──コォォォォォォォ……
と、山の奥底から低く長い共鳴音が漏れ続けていた。
「次は、私の番ですわね」
渓谷からこの山脈へ来るまでの間に、数キロごとに宝石を道に落としてきた。
どうやらそれが妖精の通り道になるらしく──テティスが穿った穴の端にも、赤く澄んだ石をひとつ置いた。
「それでは、オジサマ。参りましょうか?」
パステルは小さく微笑み、振り返って皆に告げる。
「これからウナギを呼んで参ります。危ないですから、少し離れて待っていてくださいませ」
おっさんとリリは顔を見合わせ、頷くと──二人で手を繋ぎ、渓谷の端まで一気にワープした。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
その頃──セリオン王国、王城前広場。
石畳の大広場には、全体の護衛を任された屈強な冒険者パーティをはじめ、槌や鋸を担いだ職人集団、杖を構える魔導師たち、さらには給仕を請け負った料理人の一団まで──
役割ごとに色分けされた人々が集い、慌ただしく出立の準備に追われていた。
彼ら、彼女らは全員、冒険者ギルドからの依頼を受けた集団であり──これから長期の遠征に旅立つ者たちであった。
依頼の発注者は、ハンオース=セリオン。
つまり、この国の王その人である。
任務の内容は、王都から港町までを繋ぐ街道整備。
道中に潜む魔物の駆除、そして渓谷を渡る吊り橋の新設。
それこそが、これから出発する一団に課せられた使命だった。
……もっとも、おっさん一家が既にアスファルト舗装まで終えているなどとは夢にも思わず──
彼らは片道四百キロ近い道のりを、巨大なトカゲに似た魔物の牽く竜車に揺られながら、ゆっくりと進み始めるのだった。
アリの行列のように長く続く隊列の中央に──
ぽつんと、一台だけ異世界に似つかわしくない軽自動車が紛れ込んでいた。
スバル サンバーディアス クラシック。
なぜか正面には、外車フォルクスワーゲンを思わせる『W』のエンブレムが張られている、純然たる国産車だ。
運転席にはアルディス君。
普段は国王の背後に忍び、ほぼ存在感を消している影の護衛である。
この車は、以前におっさんから譲り受けた物で、ガソリンなんてあるわけもない異世界なのに、止まることなくいつまでも動く馬無しの馬車として魔導具師達の度肝を抜いていた。
そして後部座席に並んで機嫌よく座るのは、国王と王妃である。
二人は「王家自らの視察と激励」という大義名分を掲げ、公務を宰相に丸投げして、往復半月の旅路へと出発していた。
「ねぇ貴方、私たちももう、
アルに次を任せて隠居しませんか?
貴方はいつまでも若くはないのよ?」
見た目で言えば、パステルの姉と名乗っても通用しそうな王妃が、そんな事を呟いた。
「ビビット……そうしたい気持ちはあるのだ。いつまでもアルディスを護衛のままにはしておけん。
此奴にも表の顔がある。だがな…」
セーブルの同僚であり、国王の護衛という騎士の顔で、妹のパステルさえも欺いて生きてきたアルディスは、実はこの国の第一王子、アルフレッドであったのだ。
「セーブルにまだ子がおらんのだ。
──古き盟約だが、セシル家と我らセリオンは“対”でなければならんのだろう?」
代々続いてきた王家・セリオン一族に伝わる言葉の中には、必ずセシル家の名も記されていた。
永き間謎とされてきた「人ならざる血」を継ぐ王族。
それが──妖精の血であることが、ようやく明らかになった。
セリオンの血筋には、外からの血は一滴も入っていない。
王と王妃でさえ、遠縁の親戚同士である。
それが“掟”として定められていたわけではない。
ただ、本能に従い、そうして紡いできたのだ。
そして今回──血族因子が極限まで高まり、あふれ出した結果として生まれたのが、先祖返りの娘、パステリアーナであった。
だが、その彼女ですら。
偶然に異界から訪れた“おっさん”の助けがなければ、王家の迷宮を走破することは叶わなかっただろう。
それが偶然なのか、必然だったのか──。
その答えを知る者は、この世にいなかった。




