第四十話
シェリーはその昔、セーブルを鍛え始めた頃に、
彼に一つの暗黒魔法を施した。
かけられた本人は勿論気がついていない。
この魔法は、対象の心の奥の奥、言葉には出ない感情の影の部分の声を聴ける魔法であり、
術者が対象に触れた時のみ発動するものであった。
幼いセーブルは必死にナイフを構え、シェリーに斬りかかった。
まだまだ未熟で、目を瞑っていても避けられるソレを、敢えてギリギリで、急所を掠めさせる数ミリ手前で躱し、耳を摘んで吐息を吹きかける。
すると……
「くっ!」 「当たれ!」 「何故!?」 「悔しい!」
「今度こそ!」 「また耳が…」 「恥ずかしい」
そう言った心の揺らぎがシェリーの摘んだ指から身体に流れ込み──なんとも甘美な快感を得るのだった。
追い詰めれば追い詰めるほど、彼の情調は激しく揺れて──
「くっ…殺せ!」 「もうダメだ!」 「そんな所を…!」
流れ込む声も熱を帯びて、シェリーの躰を熱く激らせた。
そして──遂には一撃も攻撃を当てさせてやる事なく、師弟の関係に終わりを告げた。
シェリーは、満足だった。
長年聴いた、セーブルの叫換を心の支えにして、
ひっそりと一人で生きて行こうと、客など一人も来ない薄暗い地下の酒場で身を潜めていた。
あるときそこに、おっさんを伴って現れたセーブル。
数年ぶりに顔を見た彼は──凛々しく、自信と落ち着きに満ちていたが、あの泣きそうな顔でシェリーに切り掛かっていた頃の面影がチラリと覗くだけで、背筋を快感が駆け昇り──
見つめるだけで絶頂しそうになるシェリーだった。
しばらく三人で酒を酌み交わした後、おっさんは帰り、二人だけになった。
いくつか言葉を交わし、お互いの心境などを声に出して聞いたが、彼女が聴きたいのは、やはり底の底から沸く、心のカウパー腺液だった。
少し挑発して、昔訓練に使わせていたナイフをチラリと魅せれば……
彼の目が獣になった。
──久しぶりに聴かせて、貴方の声……
そう思い、躱して耳を摘もうとしたシェリーを、
全く目で追えない速度で体勢を崩され、身体を抱かれ、深い口付けをされてしまった。
──その刹那──
指先からピリッと聴こえる程度だった彼の声が、
重なった脣から胎内に直接、
「好きだ」 「愛している」 「やっと届いた」
「もう離さない」 「二度と逃さない」 「孕め」
身体が破裂する程の『声』を流し込まれ、
シェリーは一瞬で、地獄の底よりも深い場所まで堕とされた。
「愛している、一緒に生きよう」
本当に口から発せられたその声に……
「……はい♡」
と屈服するほか、経路は塞がれていた。
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おっさん達は海岸に辿り着いた。
民家や商店がだんだん減って、防砂林のような深い藪の道を抜ければ──
エメラルドグリーンに輝く、島国特有の透き通った美しい海岸が、目に飛び込んできた。
「うーーわーー!きっれいだねー!」
トゥエラが海を見てはしゃぎ、窓から身を乗り出す。
「パーパ?窓全開にして?このまま海突っ込んでいーし?」
なんとも無茶なことを言うテティスが、入水自殺を促してきた。
「とても美しい海ですわね…王国にもこういった
場所はあるのでしょうか?」
パステルも気に入ったようで、目を輝かせている。
ぶっちゃけ、この美しい珊瑚輝く海面を見ると、サンクチュアリィを移築した港町の海はだいぶ劣る。
あっちは海鮮が神がかっているが、潮流のせいか、気候なのか理由は定かにならないが、少し黒ずんだ、リゾートとと言うには少し惜しい海ではある。
こういった海は、陽が当たってナンボな所があり、曇り空ではこの輝くような美しさは出ない。
砂浜は、珊瑚の死骸が細かく砕かれたものが混じり、キラキラと白く光っている。
少し沖へ出れば相当な水深があると思われるが、海底の珊瑚礁がこちらに向かって挨拶をしている様に揺らめいて見える。
「もー結界張ったし?早くいくっしょ〜?お宝探索〜!」
そう言われて、恐る恐る車を進め、波打ち際から徐々に勾配がキツくなり始めて──
トラックは水没した。
ブクブクブクブクブクブク…………
開いた窓から海水が流れ込み、おっさんの口と鼻からも水が侵入し、溺れ────なかった。
一度経験済みとはいえ、慣れるものではないこの感覚。
完全に海中に沈んだ車内でも呼吸が普通にでき、
カセットテープを挿したデッキからは、
『海人とお宝探し』が和やかに奏でられている。
『あの宝ばこ〜に〜は〜♪どん〜な〜♪
レアが〜入ってるんだろ〜♪』
タイヤには水掻きのような結界を施してくれたらしく、まるで無重力の宇宙を進む小型探索艇のように、ハンドルを切ればその通りにすすみ、ゆっくり、ゆっくりと、深海へと降りていくのであった。
「わ〜お魚さん!いーっぱいいるねーー!」
車外には、色とりどりの魚群がオーロラのように揺らめいていて、亀やイルカ、巨大なエイも優雅の泳いでいる。
やがて海底に降り着いたトラックは、地球のものとはまったくサイズの違う、御神木のような珊瑚礁の森に到着した。
「おぉー随分たんとあるんでねぇの?」
降り立った海底は、貝で埋め尽くされていた。
見渡す限り続く珊瑚の森に、まるで落ち葉のように敷き詰められた、色とりどりの貝が足元を飾っていた。
さっそく車を降りる、トゥティパの三人。
まずはおっさんも、どんなもんだか見てみたくて娘達に付き添う。
フリスビーを2枚合わせたような、大きな貝に目標を定めたトゥエラは、練習の成果を発揮すべく、
丁寧に、ゆっくりと──
ピッタリと閉じられている貝殻に、ピストンツールを合わせる。
全く隙間がない場所には、流石に入らないので、おっさんが傍から鋭いノミを当ててみる。
そっと刃先を捻ると、一分程の隙間が開く。
目配せを送ると、器具をセットしてゆくトゥエラ。
先端が少しだけでも挿入されればOKだ。
ジャッキのハンドルを慎重にゆっくりと回すと──
油圧の力には敵うはずもなく、隙間が広がってゆく。
本来この器具は、自動車に取り付けられた太い鋼鉄のスプリングを広げて直す為の道具だ。
おっさんはこれを使って、日本の名城の石垣を僅かに広げて補強、補修工事をしたこともある。
ここでパステルの出番である。
ピックアップツールを両手で構えて、先端のLEDライトの灯りを頼りに、中を覗き込み滑り込ませてゆく。
おっさんが直前に自宅で改造したことにより、
小さなカメラが携帯と連動し、内部の画像が映し出される。
その画面をパステルの眼前で持って見せてやると、真剣な顔をしたパステルは、自分の首飾りを操る時の要領で、ピックアップツールをうねらせ、貝柱を避けつつ進めてゆく。
蠢く貝内部の様子は、まるで胃カメラ映像のようで──
辿り着いた最奥のポリープ、もとい小さな赤い宝石を三本の爪が挟み込んだ。
宝石採掘のデビュー戦は無事に勝利を収めた、おっさんチーム。
改良点を洗い出したおっさんは、鉄骨切断用のグラインダーを取り出して、ピストンツールの先端部分を、包丁の先のように鋭く研ぎ上げた。
こうすることによって、ノミによる助手が必要なくなり、トゥエラ一人でジャッキアップができるようになる。
パステルにはヘルメットを改造して、日除のツバ部分に携帯を固定出来るアームを取り付けてやる。
テティスは、今の所水中結界以外の仕事がなく、ボケーッと突っ立っている。
トゥティパ全員に未使用の携帯を持たせて、地図アプリを共有した事により──
なぜ異世界の海底でGPSが機能するのかの説明は付かないが、バラバラに迷子になる危険はなくなった訳だ。
水中結界は相当な広範囲まで届くそうなので、
暇をしているテティスをトラックに乗せて、おっさんは海底ドライブを始めた。
せっかくの貝を潰して回っては仕方がないので、テティスに軽微浮遊魔法をかけて貰いリニア走行に切り替える。
そして美しいアクアリウム鑑賞ドライブを娘と二人で楽しみ、水中の影響を何一つ受けないので、家で作ってきたポップコーンとコーラを渡してやってのんびりと加速し──
海底ゴブリンを轢き殺した。




