第三十八話
……時計もなく、朝日も見えない部屋ではあるが、なんとなくの感覚でわかる。……朝のようだ。
この家の個室は、独立して屋内に浮いているので、窓がない。
いつもは自動的にAM5:00に目が開くおっさんなのだが──今朝は珍しくゆっくりと寝てしまったようだ。
可愛らしい寝顔で口をムニャムニャさせているリリを起こさないように、そっと布団から出る。
着替えを持って、一人屋上露天風呂へ。
源泉掛け流し──ならぬ、蛇口のお湯出しっぱなし。
何故か、給湯器も水道管もなく出るのだから、
仕方がない。
長期留守にする時以外は常に風呂のお湯が溢れている。
軽くかけ湯で身体を流して、ゆっくりと肩まで浸かる。
ザッパァ……と更に湯が溢れて流れて消える。
朝の眩しい太陽が、目線位の高さまで昇っていて、
「8時くらいだっぺか?」と予想させる。
異世界においても絶賛営業中のリゾートホテル、サンクチュアリィのショップで雑貨類も買っておいたので、
加齢臭用以外のシャンプーや石鹸もある。
手でも足でも──全身が、昨夜のリリの柔らかい躰の感触を覚えていて、ガシガシと洗い流すのが勿体無い気もするが……今日は海底に冒険に行く筈である。
大概に頼れる娘達ではあるが、油断をすれば怪我や事故の危険がないとは言えない。
ソレはソレとして、頭の隅に大切に仕舞い、
最後はキリッと冷えたシャワーで体を起こす。
さっぱりとして普段着に着替え、リビングまで降りてみると、人の気配は無かった。
テーブルを見るとメモ用紙があり、
「防具店に行って参ります。パステル」
と綺麗な文字で綴られた後ろに、
「昨夜はお楽しみでしたね!あーしw」
と書き殴られていた。
置き手紙の署名に「私」と書くやつがあるか。
と、顔がニヤけてしまう。
「朝メシでも作って待っててやっかね〜」
と、キッチンへと向かうのだった。
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ちっとも起きてこないおっさんに痺れを切らしたトゥエラとテティスは、
「もう行くっしょ!?ワニのおっさんの店〜!
パーパ、ぜんっぜん起きねーし?ハラ減ったし!?」
以前仕立てた龍虎の刺繍が入ったチャイナドレスをピッチリと装着すれば、全身の毛細血管にまで行き渡った膨大な魔力が──
レーンからはみ出ることのない、回転寿司のように、
何時迄も途切れることのない、流しそうめんのように、
五厘の無駄も省いて整えられてゆく。
「あ〜マジ俄然ぶち上げにゃんにゃんだし?」
やがて体に漲った妖艶なオーラは、猫の自動水やり機のように濁った魔力を濾過し、体外へ排出する。
テティスの右手からはユラユラと、不要なマナが溢れて落ちた。
「トゥ〜エラ〜はねー!おっ魚さんの服作ってもらうんだよ〜!」
いつも、感情の赴くままに行動する彼女にしては珍しく、今回は、『さくせん』を立てていた。
昨日訪れた沢山の洋服店で、島国に語り継がれる御伽噺に出てくる『人魚』をモチーフにした非常に変わった作りの衣装を発見してしまったのだ。
それはまさにコスプレ。
両足を寝袋のように揃えて着込み、人魚の尾鰭を表現したものだった。
「うわ〜!うっわ〜!トゥエラこれがいいー!
これ着てねー!海で泳ぐの〜!」
寶絲と呼ばれる、特殊な技術で作られた、宝石をカットした際に出るカスを、溶かし伸ばして糸のように紡いだもの。
それを使って仕立てられており、元々のルビーやサファイア、のように決まった輝きではないランダムで唯一無二も煌めきを魅せる縫製なのだ。
デザインは子供用であり、裕福な家の愛娘に着させて愛でるくらいの意図しかなく、歩くことも出来ない、とても服とは言えないような衣装である。
しかしその隣には、やはり人魚をモチーフにしつつも、普通に着て歩けるドレスのような服も売られていた。
おっさんがリリに贈った指輪が、クルリと回してデザインを変えられたのを覚えていたトゥエラは、
「魚モード⇄ドレスモード」と切り替えられる服が欲しいと思ったのだ。
──そもそも、なぜそんなに人魚にこだわるのか。
そう思って彼女を見れば、三毛猫ドラゴンの着ぐるみ姿である。
猫といえばお魚。だから人魚を着る。
これが彼女の『さくせん』なのであった。
二人の後ろをついて歩くのは、セリオン王国第一王女のパステリアーナ。
漆黒のワニサソリのライトアーマーを纏い、颯爽と歩を進める──が、
臀部から伸びるサソリの尾はピョコピョコと勝手に揺れてしまう。
王宮ダンジョン探索以来しばらく着ていなかったため、
魂がまだ生きているワニサソリとの同調感覚が鈍り、尾を制御しきれていないのだ。
トゥティパの三人は今、賑やかな人並みをくぐり抜けながら、王都の街並みを歩いている。
昨夜眠ったのは、間違いなくホビット族の住む街にある、おっさんの自宅。
その街と街の距離は、正確な測量をしたわけではないので、大雑把にだが……トラックで何週間か、かかった筈である。
おっさんが一緒であればその距離は、二歩先になり、転移で辿り着くことが出来るのだが、今朝は珍しく起きてこなかった為、おっとりとした性格のパステルはともかく、二人は待ちきれなくなったのだ。
「パーパの転移とかマジ意味不明だし?
緯度も経度もガン無視で、
高度のイメージも無しに、動いてる船の上にピョンッて翔べるとか?
……わけわかめラーメンだし〜!」
イラっときたのか、頭をガシガシと掻きむしるテティス。
ゾワッと魔力が膨れ上がり、テーブルに置かれたコーヒーカップがカタカタと震えた。
すると──
「なんじゃ?この熱き風は……まるでサウナで扇がれておるようじゃ……ふぃ〜、沸るのぅ……」
ボフンッ!
テティスの頭から飛び出したのは、妖精女王だった。
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「なんじゃ?あの街に戻るくらいなら、妾の中を通ればよかろう?」
温いコタツでウトウトしていたつもりが、急に本格サウナの熱波サービス付きみたいに滾ってきたので、顔を出してみた女王が、何故かイライラしているテティスを見つけて理由を聞いてきたので、
「パーパが起きないから移動が出来ねーし?」
という事情を言ってみれば、眠そうな顔をした女王が、あくび混じりにそんな事を言ってきた。
全身をテティスの中から顕現させた女王は、
大きな光の玉となり、トゥティパを丸ごと包み込む。
あまりの眩しさに目を顰めた三人は──気づけば王城正面の大噴水の脇に立っていた。
【……妾の分体がいる場所なら、どこへでもワープできるのじゃ。
ダークエルフも魔素は心地良いからな… それくらい好きに使うがよいのじゃ……】
と、テティスの頭に声が響いたのだった。
そうして街中を歩きはじめようとした三人だったが──
王都は広すぎる。
途中、循環している乗合馬車に乗れば楽なのだが……
世間に全く疎いこの三人に、そんな芸当が出来るはずもない。
どちらへ行けば防具店があるのかも分からず、広場でグズグズしているうちに──
巡回中の兵士に見つかってしまい、通報が入った。
間もなく、お城から騎士や執事たちがわらわらと駆け付けてきたのだった。
大勢の騎士や執事やメイドに、まるで
囲み取材のように包囲された三人は、一旦お城へと連行された。
何故護衛も付けずに街中を王女が歩いているのかと、懇々と事情を聞かれ、王様までバタバタと走って出てくる始末だった。
ようやく話がまとまって、王族用に誂えた豪華絢爛な馬車に乗せられて街中をゆく。
店の前まで辿り着くと──雰囲気が変わっていた。
おっさんの言葉で言えば、胡散臭いブランド品屋。とでも言っただろうか?
そういった造りだった店は、規模が縮小され、割れていたガラスケースは無くなり、こじんまりとした、趣のある店構えとなっていた。
小さくなって余った店舗スペースには、目が綻ぶ光景があった。
──かつては、今日の飢えを凌ぐことも出来ずに、野良猫と餌を取り合っていたような孤児達が、おっさんが建て直した教会に備え付けられた孤児院、職業訓練所などを経て立派に自立して、見習い冒険者を営む傍に安く仕入れた肉や魚を調理して売る、ファーストフードに近い店が出店されていたのだった。
アリガーターヤ防具店の店内も一新されていた。
店先から奥に向かうほど、値札に書かれた数字が増えてゆくのは仕方のないことであるが、駆け出し冒険者用の、魔物の皮を貼り合わせただけの軽装備から、希少な金属や魔物素材を使った誂えた逸品まで千差万別、多種多様な身を守る為の装備が並んでいるのだが……
なんというか、独特であった。
一見すれば魔法使いが好みそうなローブは……
背中側に布がなく、ブラ紐とTバックで繋がれたような前掛け。
「裸エプロンかよ」
とおっさんが顔を顰める風景が目に浮かぶ。
頑丈そうなプレートアーマーは、よく目を凝らして見ると……
通気口のような小さな穴が無数に開いており、
少し離れて、目のピントをずらして凝視すれば、
着用している人間の裸体が3Dのように浮かび上がる仕組みになっていたり。
「アレじゃね?こんなんばっか作ってっから弟子も頭おかしくなったんじゃねーの?」
テティスの辛辣な呟きが店内に響くと──
「グハハハハハ!来たな嬢ちゃん達!」
と、若干体臭が生臭い、大柄なワニ獣人の店主が、店の奥から姿を現した。
縦に細い糸みたいな眼球で、トゥエラの着てきた装備を舐めるように見回して──
「いい出来だったようだな。安心したぜ…
あんな化け物素材を当てがわれて、『イマイチでした』では、首を括るとこだったぜ」
そして三人は本題に入り、なんの防御力もない、見た目だけが艶やかな服を各自取り出して、
「あーしコレ着たいわけ、おっさん作れんでしょ?コレと同じエグいやつ?」
「わ、私はこちらですわ…その、もう少し肌を隠しても……」
「トゥエラはねー!おっ魚になるの〜!」
ピラピラと、三人の持つ服を見せられたワニのおっさんは──
顎が外れ、日干しのワニのような格好で──
大の字に卒倒した。




