第三十一話
「──なんだと!?妖精女王が現れただと!?」
今日も王宮の最奥で、「了、了……否…了…否…」
と、堆く積もった羊皮紙を精査し、判を押すだけの仕事をこなす、国王・ハンオースは、突然の呼び出しにホッとひと息を吐き、魔法により密閉された密談室へと訪れた。
会談相手は近衛騎士団総隊長・オレーツエ。
「おっと、先に言っときやすぜ、悪口はお控えなすって──ここにいらっしゃられますからね…」
トントンと自分の頭を指で突き、何とも言えない苦笑いを浮かべる。
「お主の頭に……だと?──そうか、魔力か…」
屋上でのバーベキューや、おっさんの面白行動を逐一報告し、意見を交わし合う。
「信じられやすか?俺、後ろから肩叩かれたんですよ…」
だからどうしたと言う話では無い、王も目を剥いて驚く。
「お前がか──?」
「アンタの陰に潜んでいる……アル…なんとか君でしたっけ?
「……アルディスだ」
あー、そうそう。彼に突然襲われたとしたって──無傷たぁーいきやせんが、躱せやすぜ……」
おっさんは別に忍び足で近いたつもりはないのだが、普段からの歩法がそうなのだ。
「あの公爵殿は、ただもんじゃありやせんね……」
何気ないおっさんの動きを思い返しながら、オレーツエは眉をひそめた。
「そんなにか?──お前が斬れぬほどか?」
王の問いに、彼はゆっくりと首を振る。
「いえ……逆でさぁ。隙だらけなんでやす。試す気にもなれねえほど……だが──もし斬ったら?」
その場面を幾度も頭の中でなぞってみる。だが、無事に立っている自分の姿がどうしても想像できなかった。
「……やめやしょう。アンタの害になるまでは」
そう言って話を打ち切る総隊長。
妖精の処遇など自分の考えることではない。ただ情報を投げるだけ投げ、オレーツエは静かに任務へと戻って行こうとした──のだが──
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おっさんの職人の目線で、ぱっと見ただけでわかるブーカの身長。
──二尺五寸。
「随分と縮んじまったんでねぇの?」
中腰になり、目線を合わせて声をかけると──
『orega tijinnda noka
kodomoni modotta mitexeda』
嫌に甲高い、まるでスメアゴルのような声でブーカは喋りかけてきた。
試しにおっさんは、作りかけの指輪を腰袋から取り出してブーカに渡してみる。
受け取ってジロジロと眺めるブーカ。
このサイズになっても、ゴツい体型はそのままなので、女性用の指輪は流石に入りそうもない。
だが──
「koryasugee
konotenarananndemotukuresou jyaneeka」
彼は早速、自分の道具を取り出そうとするが、丁度良い作業台として使っていた荷車は──
今や、ちょっとしたビルになってしまった。
手に馴染んでいたであろうハンダゴテも、彼の胴体よりも太い持ち手であり、もし使ったとしたら、大筆を抱えた有名書道家みたいになってしまうであろう……
項垂れる彼に、おっさんはふと思い出したように腰袋を探り、過去に勤めていた工務店のイベント──
『ちびっ子大工さん体験会』のときに拵えた、ちゃぶ台ほどの高さの作業台と、ルーター一式を取り出してやった。
「ほれ。サイズ的には、ちょうどいいんでねぇの?」
小さくなった事で、巨人としての力も失われてしまうのでは──おっさんはそう思っていた。
だがブーカは当然のように手のひらで、粘土細工でもするかのように、妖精金属を捏ね始めたのだ。
その姿は、子供が泥団子遊びをしているかのようでありながら──
あっという間に形を整え、おっさんと張り合うほどの精緻な装飾品を形作っていった。
電動精密ルーターは、一式しか所持していない為、おっさんは手持ち無沙汰になってしまい、頭を捻る。
ふと、ホビット族の街で扱った木の様な石材、ストーンウッドを思い出す。
バールで叩いても傷も付かないアレが、おっさんの鋸やノミでは削ることが出来たのだった。
流石に金属は──と思いながらも、彫刻刀のセットを取り出してみる。
万が一、これで削れるのであれば、ルーターなんかよりもよっぽど精密な加工が出来るのだが……
普通に考えれば、力を入れた瞬間、刃先はパキッと欠けてしまうであろうが──
空中に穴を掘り出す、愛しき娘を思い出す。
『出来る。出来る。掘れる。彫れる。切れる。』
そう、頭の中に念じ……恐る恐る刃先を──
いや、これではダメだ。こんな心構えでは、絶対に金属を木工用彫刻刀で斬ることなど出来ない。
少しだけ、自分にイラッときたおっさん。
腰袋から冷凍庫をドシンッと取り出す。
パカリと開いた、中に入っていた物は──
以前訪れたドワーフ帝国の地下蒸留所で、ひと舐めだけ試飲した酒。
土産にと、ボトルで一本だけ貰ってきた物だ。
酒精は不明だが……
ひと舐めで、アル中のおっさんの足がもつれた。
そんな酒だ。
もちろん、冷凍庫如きで凍りつくような酒ではない。おっさんはボトルの蓋を捻り開け──
ゴクリ、ゴクリ、ゴクリ……
コップ一杯分程をラッパ呑みで流し込んだ。
゛──ドクン!──゛
喉が…燃える……目が霞む……頭が茹る……
旨いとか不味いとかの次元ではない。
これは……覚醒酒だ。
そこから先は──あまり覚えていない。
後になって、ブーカから聞いた話だ。
おっさんはビー玉ほどに捏ねられた金属球を掴み、
切り出しを突き刺した。
ギリ、ギリリ……と。
中身を抉り取り、リリの指にぴたりと合う寸法の穴を穿つ。
手は止まらなかった。
丸刀、平刀、三角刀──次々と道具を替え、呼吸もせずに彫り続ける。
わずか数分。
呆然と見守るブーカの目の前で、そこにあったのは……
雅やかに輝く、──結婚指輪だった──
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「それでは俺は任務にもど──」
総隊長が退出しかけたその瞬間。
結界魔法。遮音魔法。誤認魔法。
何重にも張られ、絶対に侵入など不可能なはずの密談室に……
「妖精女王~!?マジいい加減にしろって~!」
「私……もうかんにんおくれやすぅ~」
「僕は大きくて楽しいけれどもね!」
「申し訳ありません──お邪魔いたします」
ガヤガヤと乱入する、見覚えのない四人組。
王も総隊長も──チビるほど驚いた。
地下シェルターに核弾頭が現れたような衝撃。
オレーツエは剣を抜くどころか、腰に差していることすら忘れていた。
「あーいた!アンタん中に女王いるっしょ!?
ちょいシバくから?ソッコー呼び出して!」
「御父様──モゴモゴモゴ……なのですわ!」
「国王様、無礼を承知でお詫び申し上げます。
こちら、パステリアーナ王女様にございます」
3人も4人も一度に喋り出すから、王も何が何だか……
「パステルだと!?」
振り返った先にいたのは──
ブサイクとまでは言わぬが、どう見ても田舎娘。
品も美貌も感じられぬその子を指して「王女」だなどと……
「お前は──公爵の妻ではないか……なんだこの騒ぎは……」
ようやく自我を取り戻した総隊長も、
「な、何ヤツ……いや、もう遅いか……」
と、ガックリ椅子に項垂れた。
テティスはイキんで魔力を高める。
オレーツエの周りに揺らめく陽炎のような魔素。
それを、ホットコーヒーの湯気と例えるならば、
テティスの纏った陽炎…ですらない黒いガスバーナーのような魔素は──
沸騰したプール、とでも言えば良いだろうか?
それほどの差があった。
魔導騎士などと呼ばれて、全身鋼鉄甲冑の敵兵を一刀両断できるオレーツエは、ガタガタと震えて、遂にはジョロジョロと漏らしてしまった。




