第四十六話
ふわりと到着し、戸を開くエレベーター。
──このフロアには、『頂』以外の施設は何もない。
……少なくとも、宿泊者の目線からはそう見える。
だが実際には、店の奥に──
頑固親父の住居や、地上へと通じる裏階段、
さらには、親父が自ら仕入れに向かう専用の船着場まで繋がっているのだ。
暖簾をくぐり、おっさんが一歩、店の中へ足を踏み入れる。
その瞬間、
「──チッ──」
店の奥から、不機嫌そうな舌打ちが聞こえた……気がした。
「親父さん、急で悪ぃねぇ。
今日はよ、めんごい家族の皆がよ、
いい仕事してくれたんだっけ〜。
うめぇ酒とメシ、食わしてやりたくて来たんだわ。
……頼んでもいいけ?」
誰もいる筈もない厨房のほうに向かって、丁寧に呼びかけるおっさん。
すると、五部屋しかない客室の最奥──
その襖が音もなくスッと開いた。
次の瞬間。
今日の釣果は、色とりどりのご馳走に姿を変え──
まるで幻のように、テーブルの上に……舟が、現れた。
そして席に座ると、皆の前に現れる──
ウイスキーバージョンの「孤島12年」ハイボール。
琥珀の液体が静かに泡立ち、氷がカランと響く。
トゥエラの前には、星型の氷が浮かぶオレンジジュース……のような、何か。
「んでは──みんなのお陰で、このホテルも無事移築できて喜んでるみてぇだ。
ありがとうな、乾杯すっぺ!」
「「「「「「かんぱーーーい」」」」」」
「「にゃ〜〜ん」」
グラスをぶつけ合い、喉にこぼし落とす極上の一杯。
ネコの前にはちゃんと、冷えたミルク皿が置かれていた。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
パステルが釣り上げた、真っ赤に輝く
“スーパーカーのような魚”──正式名、焔彗星魚は、とにかく衝撃的だった。
その切り身は艶やかなクリスタルレッドで、まるでルビーを削ったかのような輝き。
舌に乗せれば──ひんやり冷たく、だが繊維質は驚くほどしなやか。
歯を立てた瞬間、「コリッ」と心地よい食感が弾けたかと思えば……。
あっという間に、脂と旨みが爆ぜて広がり、まるでマグロの大トロを一段洗練させたような、上品で濃密な味わいが残る。
「あれ?いま食べたよな?」
そう確認したくなるほど、余韻だけを残して、音もなくとろけて消えてしまう──
それは、食というより“口内を駆け抜けたひとつの美”だった。
猫にも一切れくれてやろう──と横を見れば、
そこには、スリッパサイズのミニチュア舟盛りが、ちゃっかり用意されていた。
金箔の乗ったミニ大葉に、薄造りの刺身が芸術的に並べられ、
ミニチュアサイズの醤油皿と、なんなら小指サイズの猫箸まで置いてある。
「……舟盛り食うネコなんざ、人生で初めて見たわ。」
おっさんのつぶやきも虚しく、
二匹のネコは、顔を突き合わせて「うにゃ〜ごっ!」と唸り声を出しながら──
我先にとその極小高級グルメにむしゃぶりついていた。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
そしてなにより──孤島がヤバい。
ウイスキーバージョン、と言ったが、
やはりベースは焼酎の原酒のようだ。
それを何年もかけて、島で採れた果樹の木で組まれた樽に詰め、海底の放浪旅で熟成させたのだろうか。
赤みがかった琥珀色の液体は、嗅ぐだけでほのかに甘く香り、
そこに、レモンと一緒に寝かされた島の湧水ソーダが加わると──
喉を通る瞬間、焼酎の芯の太さがぶわっと広がる。
鼻に抜ける余韻は、芳醇でスモーキー。
「悔しいけんども……アイツより、旨ぇわ〜……」
愛酒の敗北を、静かに噛み締めるおっさんの目は──
どこか清々しさすら滲ませていた。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
「リー姉〜!?このプチプチしたやつナニ?
マジやば美味いんですけど〜?」
テティスが目を輝かせて頬張っているのは、
数の子のような見た目の、宝石じみた卵が乗った寿司。
「それはですねー、私の書類魔法で見つけた、
海底のさらに奥、岩の裂け目近くを這うように泳いでいた──鬼神魚って魚の卵なんですよ。
名前は……確か『禍醋の蠱』って呼ばれてたはずです」
「なんそれやば!!……あっ、なんか噛んでるとジュワってくるね…味、染み出してくるっ!」
ほんのわずかに塩をふったその粒は、
かすかに酢のような酸味と旨みが舌に滲み──
口の中で弾けては溶けていく。
「シェリーさんの、影だけが海に潜って、お魚を捕まえてこられたのですわ〜私驚いてしまいましたわ。」
パステルが嬉しそうに状況を教えてくれた。
「まぁ〜…もう戦闘じゃ旦那には敵わないけど、これくらいはね〜」
少し照れながら、隣に座るガチムチ騎士の胸に頬を寄せる彼女は、とても元王国の影の諜報員とは思えない。
柔らかくも妖艶な笑みを浮かべていた。
影魔法とやらのセーブルの師匠であったらしいシェリーもまた、人外な技を使いこなせる達人の様だ。
「いえいえ、私などはまだまだ…何より、今日の主役はトゥエラですよ。
あの小さな石材を、息で膨らませて大きな屋敷のようにしたのですよ──」
それからセーブルは、今日海中で見たイリュージョンみたいな光景を皆に説明していた。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
「トゥエラはねー、コネコネしてー、ぺったんこってしただけだよ〜!
それよりおとーさんのほうが、もーっとすっごかったんだよー!おぉーーーっきな、こおりの歩くとこ作ったんだよーっ!」
超常現象を起こした幼女に、何故か褒められる側になってしまったおっさん。
たしかに魔力の助けは借りた。
けれど──あれはあれで、自分なりの「技術」と「知恵」と「努力」の結晶。
あのスケートリンクだけは、この世界の誰よりも“職人”としての誇りを込めた、自信作だ。
「……一応、科学的に可能な範囲内の仕事だしな。」
……などと、自らを「ただの大工」と思い込んでいるおっさんだが──
世界のどこに、半日程度で広大な氷の大地を拵える職人がいるのだろうか。
気づいていないだけで、彼もまた──
転生を経て、歳月を重ね、すでに人ならざる領域へと足を踏み入れているのだった。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
宴会中だろうが、風呂だろうが布団の中ででも、
おっさんの腰袋は外れない。
服は普通に着替えることが出来るのに、アレだけは決して取れない。
──呪われた装備なのだろうか?
まぁ不思議と、使用する気がないときは存在感が薄れ、……トイレの時も邪魔にはならないのだが。
その中からスケッチブックを取り出し、簡単な絵を描いて皆に説明する。
「こうゆう靴を作らねぇと、スケートって遊びが出来ないんだっけ〜。」
絵を見たセーブルが一言
「靴底にナイフ──暗器ですか?」
そんな歩き辛そうな武器があるか。
と、苦笑しながら用途を説明する。
とりあえずはおっさん家族が遊べる分だけあればいいのだが、
いづれは大挙する観光客たちの分も用意せねばなるまい。
武器ではないが、やはり鍛冶屋のような店に頼んだ方が良いのだろうか?
と、皆に相談してみると、
「いるわね…王都にうってつけの職人が…」
シェリーがポツリと呟いた。
「あぁ…あの方ですか…なんというか…腕はいいのですがね。」
美味い酒と魚介の宴会中だというのに、
苦い汁でも舐めたような顔をするセーブル。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
まぁアテがあるのは良いことだ。
明日になったらみんなで頼みに行ってみっぺか?と話をまとめる。
腹もくちて、そろそろお開きか?と思った頃、
ほとんど空になったテーブルに並ぶ皿や船が、──スッと霧のように消滅した。
入れ替わりに現れたのは土鍋がひとつ。
蓋をとってみると、最初に漂ったのは柚子の爽やかな湯気。
三つ葉が散らされ、鯛のような出汁の香る雑炊が、どうやら〆の一品のようだった。
匂いからして、先ほどの紅い魚のアラからとったダシなのか…?と予想しながらみんなの小鉢によそってやり、
一口啜ってみると──
刺身と酒で若干疲弊した口内を──
まろやかに、そして優しく、心まで癒してくれた。
普段は五品しか出さない、「五島の頂」のポリシーを破らせてしまったが、最高の晩餐を食べさせてくれた頑固者に、
「親父さん、どーもね、最高だったっぺよ」
と礼を言って店を後にする。
異世界では開業したばかりのこのリゾートホテルではあるが、
この店に招かれるには、なにか特殊な条件があるのだろうか?
おっさんは、実在する五島列島のサンクチュアリィで、何度もメシを食わせてもらったのだが──
ホテルのパンフレットにすら載っていないこの店の予約方法については、結局謎のままであった。