第四十五話
朝、船屋敷から出てきて……
大規模な工事をやる気満々で来たというのに──
昼にすらまだ早いこの時間で、移築計画は竣工してしまった。
「まぁ、まだアレの段取りも残ってんだけんども…」
おっさんの中では、海上に浮かぶこの丸太のデッキが、ストーンウッドの浮台の浮力だけでここまで安定するとは思っていなかった。
そりゃ、ベッドサイズの浮力を数でカバーしようと計算していたというのに……
トゥエラの破茶滅茶な技術(?)によって、一枚の板で田んぼ4面相当の撓みも歪みもない浮台が創られたのだ。
おっさんは当初、樹海の水とテティスの魔力で作られた氷塊で、
海中に伸びる、(了)のような形の防潮堤のような物を創ろうと思っていたのだ。
それがあれば、魔石による魔力の補充は必要だが、永年溶けることもなく、コンクリートのような重さもない、
海に浮かぶ──
最強の海中波止めとなる筈だった。
だが──そのお陰で、大量に余った氷がある。
おっさんがいくら頑張って酒を呑んだところで、何生かかったって使い切れない量だ。
「んだらば、アレしかねえべ。」
計画は変更された。
──ワイヤーメッシュという建材をご存じだろうか?
次郎系ラーメンの麺くらいの太さの鉄が、井の字に溶接されて組まれた鉄網で、
主に駐車場のコンクリートを打設するときなんかによく使われる補強材だ。
大きさは大体、畳一枚分ほど。
おっさんは海へ入り、水面から顔を出した丸太のイカダ部分に、かすがいをガンガン打ちつけていく。
──かすがいってのは、「子は鎹」のことわざにもある通り、
ホッチキスの針をデカくしたような金具で、木材同士をがっちり留めるためのものだ。
そのかすがいにワイヤーメッシュを針金で縛りつけていき、
海から上がると──残った氷塊を、ズシリとその上に乗せていく。
海水と鉄と、氷塊、そして照りつける太陽からの熱射。
それらが奇妙に反応し、テティスの魔力の残滓を含んだ氷が、
鉄網と癒着するようにピタリと貼りついてゆく。
やがて──
重かったはずの鉄の網は、氷の浮力に支えられてゆっくりと水面に浮上し始めた。
汗だくになり、潮水を浴びながら、夕方まで何周もアイランドを回る。
そして──
ショーに温泉、プールに賑わうリゾートの外縁部に、
新たな“床”が完成した。
──分厚い氷のスケートリンクである。
それは、夕陽を受けてうっすらと赤く輝き、
まるで海に咲いた一輪の蓮のように──
ひんやりとした美しさを放っていた。
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氷塊の搬入が終わったおっさんは、
脳内のCAD──つまり“想像”の力を使い、
ブラックライト、スポットライト、レーザー照射機材などを氷中に組み込んでいった。
さらに、セーブルやテティス達に頼んでおいた特注品──
ラッキー君の頭に輝く「王冠ミラーボール」も設置完了。
そして──空が薄暗く染まりはじめた頃。
氷の下から灯る青や紫の光。
レーザーが空を裂き、ミラーボールの反射が水面を揺らす。
氷のステージに光と音が交差し、
世界は一変し、メルヘンでロマンティックな幻想空間に変わった。
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スケート用の靴の試作や、アイツらへの指導などもあるが、今日はもう疲れた。
──意図していた工事とは全く関係のない作業しかしなかったが……
まぁ、当初二段階程の進化を目論んでいたこのリゾートが、
段階を破壊して、あり得ない化け方をしたのだ。
結果はオーライだっぱい。
屋敷まで帰るのも億劫なので、今日はサンちゃんに泊まることにした。
朝から別行動をしていたパステル達も合流してきて、今日の釣果を見せてくれる。
「オジサマ!見てくださいまし!こんなに立派なお魚が釣れましたのですわ!」
王女様がいつものネックレスで宙にぶら下げてきた魚は……
フェラーリみたいな真っ赤で速そうな巨大魚だった。
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リリやシェリーもそれぞれ釣果をあげたようで、大漁のクーラーバッグを見せてくれた。どれもきっちり〆て冷蔵済み。さすがリリの仕事だ。
「今日はみんなして、ここさに泊まっぺか!
あのオヤジに宴会──頼んでみんべ!」
おっさんは、あの“特別な朝食専門処”の頑固板前を思い出す。
刺身やらメシやら、急に言ったら――へそを曲げちまうかもなぁ……。
それでも、気合いを入れてフロントに向かう。
「サンちゃんよぉ、頂のオヤジんとこで、宴会したいんだけんども、大丈夫だっぺか?」
そう尋ねると――
ひらりと現れたのは、家族全員分の晩餐招待券と、エレベーターのカードキーだった。
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パステルたちの釣果はフロントに預け、まずは部屋に向かい汗を流すことにした。
人数が多いため、どうしてもスイートルームになってしまうのだが――
ダンジョンマスターであるおっさんには、どうやら料金が発生しないようで。
ここは遠慮なく、ありがたく使わせてもらうことにした。
エレベーターに乗り込むと、行き先階数すらわからぬまま、静かに――けれども果てしなく上昇していく。
そして、音もなく視界が開いた。
扉の向こうに広がっていたのは──、
どこか雅やかな、静寂をたたえた和の空間。
「ん?……あぁー、こりゃ……」
思わず呟くおっさん。
この部屋は、かつて彼がプランニングの段階で描きまくった部屋のひとつだった。
残念ながら、ホテルの規模的に全てのアイディアを採用するのは難しく、当時は泣く泣く不採用となった部屋。
それが今、こうして“特別室”として具現化されているのだ。
やや薄暗く、暗色を基調にした落ち着いた空間。
喧騒とは無縁の、大人の隠れ家――
まさに「おっさんの理想」が、静かにそこにあった。
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張り出したバルコニーには、男女それぞれに分かれた露天風呂が設えられていた。
おっさんはセーブルとともに、紅月の光に染まる海を見下ろしながら、静かに湯に身を沈める。
「……しっかし、今日はとんでもねぇ一日だったなぁ」
自然と漏れた呟きに、弟子が応じた。
「──トゥエラですね。彼女はいったい、何者なのでしょうか…?」
テティスの見立てでは、あれは魔法ですらないという。
だとすれば、同じように石に命を吹き込むことも、おっさんにできていいはずだ。だが──
「……やってみようって気にも、ならんのよなぁ」
「……ですね」
おっさんも、セーブルも、普通の教育と常識の中で育ってきた身。
そんな二人にとって、あの“空を彫る技術”は、異世界にあってなおなお──現実離れした、まるで夢のような話だった。
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「明日はさ〜、パーパが“スケート”とかゆーの教えてくれるらしーよ? めっちゃ楽しみじゃね〜?」
女子風呂では、テティスが泡だらけのスポンジを手に、トゥエラの小さな背中をごしごし洗っている。
「おとーさん、あんなにおっきな氷作って凄いよね〜」
キャッキャとはしゃぐ声が、湯けむりの奥に響く。
一方で、最近ではすっかり自分の身の回りのこともこなせるようになったパステルは、
そのスラリと長い手足で、優雅に髪をといていた。
「オジサマも皆様もこの様な──王城が霞む様な施設をお造りになられて…素敵な家族ですわ。」
──湯を上がったリリとシェリーは、バルコニーの涼風に当たりながら、冷えたワインを片手に語らっている。
「シェリーさんってば、いいなぁ……素敵なダーリンと結婚できるなんて」
いつも隠す気もない、セーブルとシェリーの熱愛っぷりに、リリは口を尖らせて、ややふてくされた口調で羨ましがった。
「あらあら……リリちゃんは──閣下と結ばれたいのでしょう?
あの方は〜どう見ても、かな〜り奥手ですものねぇ?」
ワインをひとくち含んで、シェリーがふふっと笑う。
「──お酒のあとに、押し倒して……剥いちゃえばいいのよ?」
恋なんてしたことのないリリは、思わず顔を真っ赤に染めて固まる。
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みんなでゆったりとした浴衣に着替えて、部屋を出る。
エレベーターに乗り込み、フロントで受け取ったカードキーをスッと通せば……
7人と猫二匹を乗せた箱は、何処までも落ちてゆくのだった──。