第四十話
「よーしおめ達、海にでも遊びにいくけ?」
先日、おっさんの欲望に付き合ってくれて、キビの採集も手伝って貰ったこともあり、
なにかお礼をせねばという思いはあった所だ。
どうせ行くならば──暑い今頃の季節の方が、何をするにしても楽しいだろう。
おっさんは、リゾートホテルを建てるために必要な
大規模な補強工事をする予定なので、みんなにはのんびりとリゾートを満喫して遊んでもらっていたら構わない。
──まぁ魔法的な作業が必要な部分は…テティスに手伝って貰わないと無理なわけだが…
それでもあのホテルが──
転移も出来るようになった今、あそこに建てておけば、
いつでも好きな時に行けるようになるわけだし、
スイート…とはいかなくとも、ビュッフェも温泉もあって、皆も喜ぶだろうし、便利でいいだろう。
トゥエラとテティスはスパリゾートをおっさんが造っていたとき、色々と手伝ってくれたこともあって、内容を知っているので、リリとパステルとシェリーを引き連れて地下室へと喧しく降りて行った。
きっと、ビートル君に水着でも作って貰うのだろう。
──時間を置いて、庭に出てみると、
先程かき氷に使った氷塊の余りが──
恐らく30℃くらいはあるであろう炎天下の下で、
ほぼ溶けずにタライの水の上に浮いていた。
かき氷にして、口に入れれば溶けるくせに、
一体どういう仕組みなのだろうか?と、
不思議に思うが、この氷が計画通りに使えるのであれば、ラッキーアイランドはさらに…
あと一段階……いや──二段階でも進化するはずだ。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
準備、と言っても何も持って行く物などないのだが、
一応窓は戸締りをして、
ネコの餌はどうすっぺか……まぁ一瞬で帰って来れるのだし、今日の分だけ皿に入れておけば……
──と、気配を感じて振り向くと──
……麦わら帽子にサングラス、金の鎖を首にかけたワリ太郎と──
……腹に浮き輪をつけて、頭にハイビスカスっぽい飾りをつけたみーくんが、
「留守番とかしねぇし?」
という顔で階段からこちらを見下ろしていた。
「準備万端かよ……」
おっさんはため息をつきつつ、笑ってしまった。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
夏らしい涼やかな装いに着替えた家族を、
小型バスに詰め込んで──
目指すのは、あの港町。
ラッキー君が待つ、海辺のリゾートデッキの前だ。
「いくぞー」
おっさんが気合を入れてアクセルを踏むと、
景色がふわりと切り替わる。
転移の瞬間──目の前に広がったのは、人、人、人。
異世界らしく、耳や尻尾の生えた者たちも多いが、それでも人混みには違いない。
どうやら今日も港町には、観光客が大挙して訪れているようだ。
「おいおい……こりゃすげぇな」
事故を起こしては元も子もないので、最徐行で慎重に進みながら、空きスペースを探す。
見つけたのは、ちょうど海風が気持ちよく吹き抜ける、ちょっとした日陰の広場。
「ここでいいか」
バスをゆっくり停めると、みんながわらわらと降りてくる。
しっかりとした浮力工事と、高波への備えがなければ──
あの巨大なリゾートホテルは、まだ召喚できない。
とりあえず代替として、港町の宿屋やスパ併設の宿泊施設を探してみたのだが……
「ごめんなさいね、どこも満室なんですよねぇ」
と、受付の耳長なお姉さんにぺこりと謝られてしまった。
この女性は確か──初めてこの港町におっさんが、トゥエラと二人で訪れた時、呑み屋の前で手招きして誘ってくれた、リアルバニーガールだ。
あの時は…銅貨の一枚すら持っておらず、酒を飲ませてもらうこともできなかった、懐かしい思い出だ。
──まぁ仕方あるまい。観光シーズンでこの賑わいだ。
それに、家族たちはというと──
「ラッキーくーん!」「泳げるのでしょうか?」「あーし浮くからね!」
と、すでに中央広場でラッキー君に挨拶しつつ、きゃっきゃとはしゃいでいる。
暑さにも負けず、いつの間に着替えたのか水着姿ではしゃぎ回る姿は──まさに夏休み。
「……よし、とりあえず挨拶だな」
おっさんはバスの鍵を確認しながら、ひとり町の中心部へと足を向けた。
向かうは、かつての護岸工事でも世話になった町長の屋敷。
ホテル建設の報告と、これからの話をするために──。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
おっさんは、自分ではまったく自覚していないが──
この港町にとって、間違いなく英雄である。
……で、あるのだが。
顔も服装も体型も、そこらの土木現場にいそうなおっちゃんと大差ない。
しかも本人、名乗る気配すらない。
当然ながら、街の人々は彼を見過ごしてしまう。
漁港や役所周りの顔見知りなら話は別だろうが──
ここまで発展してしまった街では、かつての風景はほぼ面影もない。
昔は、粗末な板張りの家が並んでいたはずの通り。
今や石畳に整備され、カフェや露店が軒を連ね、
街人や、漁師、案内人的な人達たちが、観光客と混ざり合って歩いている。
「こっちだったっけか……?」
おっさんは、ほんのり曖昧な記憶を頼りに歩いていく。
途中、顔を見れば思い出せる程度の漁師や若者とすれ違い、軽く会釈して声をかけると──
「ああ!英雄様じゃねえか!町長さんなら今、役場にいる筈だぜ?」
快く教えてもらい、ようやくそれらしい建物に辿り着く。
立派すぎる門構えと、受付に並ぶ行列にちょっと面食らったが──
中に入って名乗れば、あとは早かった。
「だ…大英雄様!? ちょっ、すぐ案内するんで……!」
受付の女性も、対応に出てきた職員も、彼の顔を見るなりすぐに態度を変え、
アポなしにも関わらず、長の元へと通してくれたのだった。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
「──なんと……そのような大きな宿泊施設を、あの聖域に建てて頂けると申すのですか?」
突然現れ──この港町周辺の、煮ても焼いても食えないような魚介類を……
迸る魔力によって、舌が蕩けるような味に変えた神竜と、
その噂を聞きつけ、怒涛の様に押し寄せる観光客達のお陰で、湯水のように金が湧くリゾート施設となった、
──ラッキーアイランド──
それらは、今やこの街にとって“聖域”と呼ばれる存在であるらしい。
おっさんにしても、こんなにも観光客が押し寄せるとは、最初は夢にも思わなかった。
魔物がひしめく異世界で、町から一歩出れば命の保証もない世界にもかかわらず──この混雑状況。
だというのに、現在の宿泊所はせいぜい数十人が限界。
そこを潰して、500人規模のリゾートホテルを建てると宣言してきたおっさん──。
…にわかには信じられない提案だ。
滅び去ったドワーフ族の技術ですら、それほどの高層建築はなかった気がする。
だが、これまで報酬ひとつ受け取らずに街を発展させてきた大英雄の言葉であれば、
誰もが耳を傾けるしかない。
「工事については目処が立ってるから、人手も資材もいらねぇんだけんどもよ。
一週間くらい、家族7人とネコ2匹で泊まれる場所が欲しいんだっけ──」
光る頭をペコペコさせながら、町の長は即座に答えた。
「そ……そんなことなら、いくらでも! もともと貴族様のご宿泊用に建てた空き屋敷がございます!」
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
話はまとまり、鍵を受け取ったおっさんは家族の元へ戻ることにした。
アイツらは、なんかこう目立つ連中なので──
そのへんのプールで浮かんでたり、ド派手に遊んでるはず……と思ったのだが。
……見当たらない。
「んー……どこ行ったんだっぺか?……」
と、施設内をウロウロしていると、ふと視界の端に気になるものが映った。
──外海。
その水面に、うっすらと光を放つ奇妙なエリアが広がっていた。
「……テティスの仕業だべか?……ま〜た変な魔法でも使ってんだんべか…」
そう呟いたおっさんは、ザバァン!と躊躇なく海へ飛び込み、光の方へと泳ぎ出す。
そして──
たどり着いたそのエリアは、なんと……学校の体育館を、ゆうに超えるような範囲が──
球体のような淡い光に包まれていた。
その光の中に入った瞬間──
「……ブクブク……おぉっ?」
──息が──……できる──!?
明らかにおかしな現象がここにはあった。
間違いなく水中である。
浮力もあるし、手を掻けば、前に進む。
だのに、地上にいるように……いや、少し違う。
口の中に大量に入った水が──空気なのだ。
濡れたはずの服は、なぜか乾き始め、目もまったくしみない。
海中の“異空間”とも呼ぶべきその場所は、不思議としか言いようのない静けさに包まれていた──
向こうのほうに、見覚えのあるシルエットが揺らめいているのが見えた。
透明な水と光のゆらぎの中に、皆の姿がぼんやりと浮かび上がる。
おっさんは思わず、ひと漕ぎ、またひと漕ぎと水をかいて近づいていった。
見えてきたのは──
スクール水着っぽい格好ではしゃぐトゥエラ、
迫り来る攻撃に怯えるパステル、
どうにかボールを弾き飛ばそうと震えるシェリー、
もっと頑張れしと笛を吹いて怒るテティス。
その奥には──セーブルが…馬鹿力で…ボールを……
──そこでおっさんの記憶は失われた──