第三十九話
本来、おっさんが設計から手がけて立派に完成させたあのリゾートホテル──『サンクチュアリィ』は、
日本・長崎県の沖に浮かぶ孤島に、今もなお悠然と建っているはずだ。
それほどアピールはされておらず、観光パンフレットにも小さく載る程度の“知る人ぞ知る穴場”で、
「予約が取れないような人気でもないですよ」
と、かつてオーナーに言われたこともある。
だが、おっさんの腰袋から出てくる“あの建物たち”──
まさかとは思うが、日本に存在している本物を、丸ごと引っこ抜いてきてるんじゃあるまいな?
一瞬想像するが、そんな訳はない。
……そうではない証拠に。
フロントも、大浴場も、客室のひとつひとつも──
完成当時のまま、どこもかしこも、真新しさを湛えていた。
異世界という不思議がひしめく環境に慣れてしまい、あまり深くは考えもしなかったのだが、
建物が枕元に立ち、寂しいとか言ってきてるのであれば……これは異常事態だ。
「すっだらごと言っても……ここさは家あっぺし、土地もないべしなぁ…」
しばらく頭を捻って、家族達の顔をぼんやりと眺めていると…
「パーパ!アレじゃね?ラッキー君のとこに建てちゃえば、客とかマジハンパねーんじゃね?」
とテティスが提案してくれた。
「あそこかぁ、プールも温泉もあるし、あのホテルがドドンと増えれば…たしかに賑わうだろうなぁ」
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だが…あのままでは、強度的に無理であろう。
以前おっさんが作った、港町の一大名所、スパリゾートラッキーアイランドは、
伝説の白い海竜をグルリと囲むように、海に丸太を浮かべて、その上に石畳や、木造の宿泊施設などを建てた。
あの程度の重量であるなら、面積もまぁまぁ広いし、なにより樹海産のとんでも無い強度を持つ原木だ。
永年、腐ることも沈むこともないだろう。
だが……鉄筋コンクリート造の、あのホテルは別だ。
あんなものをあの場所に召喚したならば、
秒でタイタニックまっしぐらであろう。
港町の区画を整理して建てる、という案もあるにはある。
だが──おっさんは、あの町の町長ではないのだ。
勝手に区画をいじるわけにはいかないし、
なにより、あのリゾートの目玉はそこではない。
海に浮かび、ラッキー君の気分次第でゆるりと移動する──
その自由気ままな存在こそが、スパリゾート・ラッキーアイランドの魅力なのだ。
ふと──、今朝入った風呂のことを思い出す。
ストーンウッドを薄く削った、パスタ皿ほどの木製のお盆に、
ギッシリと氷を詰めたジョッキを乗せ、
焼酎の揺らめく表面を見つめながら、湯に浸かっていたあの時間を──。
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おっさんは皿を片付け、ふと思いついて庭へ出た。
セーブルもテティスも興味を惹かれたのか、無言のままあとをついてくる。
──試作。
それを、やってみたくなった。
六枚の板を加工し、密閉された弁当箱のような箱型構造を作ってみる。
素材はもちろん、ここホビット族の街近くにある炭鉱から採掘される石材・超高浮力石木材。
タライに水を張り、そっと浮かべてみた。
──浮く。しかも、かなり安定している。
その上に、庭に転がっていた石をいくつか適当に乗せていく。
ガタつきもなく、まるで頑丈な浮き台のようだ。
比較基準が欲しくなり、今度は普通の材木で作った板も用意して、
同じように水に浮かべ、石を積んでみる。
……バランスを崩した途端、板の端が沈み、水がじわじわと滲み込んでいった。
「これをよ、大量に作って、あの筏の下にくっつけたら……」
おっさんは呟いた。
──ホテルでも、浮くんじゃあんめえか?
そう思いついた瞬間、もう身体が勝手に動いていた。
リビングに戻るなり、パソコンを立ち上げる。
設計用のソフトを呼び出し、構造や重量の計算を始める。
スパリゾートも、ホテルも、どちらも自分で作った施設だ。
面積も、資材の重さも、重心バランスも──
頭の中にすでにある。
計算さえすれば、全てが数字で見えてくる。
だが、単に浮けばいいという話ではない。
海というのは、ときに穏やかで、ときに牙をむく。
高波、うねり、突風──
そんな状況でも、ただの“浮かぶだけの地盤”では到底もたない。
あのリゾートホテルには、高層階もある。
もしもバランスを崩せば……その瞬間、それは浮遊する楽園ではなく、
沈みゆく悪夢と化すのだ。
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おっさんがパソコンに向かい、図面と計算式を睨みながら頭を捻っていると――
「パーパ? なんか今日、暑っいんだけど!?
あのホテルにあった、氷のやつとか食べたいし〜!」
テティスが後ろから、クレームという名の甘えをかましてきた。
エアコンも効いているし快適な筈なんだがな…
と、振り返れば、ソファーではセーブルがタンクトップに短パンという暑苦しい筋肉美を晒して座っており、
その隣で、蕩けそうな顔のシェリーを膝にのせて、優しく頭を撫でていた。
「……たしかに、熱いな。」
おっさんは立ち上がり、キッチンへ向かう。
冷蔵庫の奥に大事に取っておいた、樹海産の氷塊を取り出す。
怪しく白煙を立ちのぼらせるその塊は、
何千年も前から凍り続けていたという、神秘の天然氷。
中古で手に入れた電動かき氷機を引っ張り出し、氷をセット。
ギュウイィィィィィィィィィン……!
鋭い音を立てながら、機械が勢いよく回転し、
フワッフワの雪のような結晶が、器に盛られていく。
途中で一度止めて、ブルーハワイのシロップをたっぷりと回しかける。
さらに氷をてんこ盛りにし、仕上げのシロップもドバッと追いがけ。
天辺にはミカンとパイナップルを添えて、
最後にさくらんぼをちょこんと乗せて──完成。
「へい、お待ち! とっておきの樹海氷スペシャルだ」
テティスがかき氷を受け取ったその背後には、
いつの間にか、しっかりとした行列ができていた。
まずはトゥエラ。
練乳ミルクをたっぷりかけ、イチゴシロップをあしらう。
さらに、スライスした果肉もトッピングしてやると、
彼女は嬉しそうに「わぁい!」と声を上げた。
次はリリ。
何味なのか正直よくわからない、でも不思議と惹かれる紫色のシロップ。
その上から、洋酒の香りをほのかにまとったチョコソースをとろりとかけてやる。
まるで“謎の洋館で出された大人のデザート”って感じだ。
そして、パステル。
──やはり、彼女にはピーチシロップだな。
艶やかな桃色のシロップをやさしく垂らし、
果肉もふんだんに添えて、
最後に、氷の上に姫の名を象るかのような盛り付けで仕上げてやる。
姫には、やっぱりピーチが似合うよな
おっさんの感性で渡すと、不思議そうな顔をしたパステルは、少し頬を染めて小さく微笑んだ。
シロップだの果物だのと浮かれているが──ここは、異世界。
使われている素材の正体など、あまり深く考えない方がいい。
例えば、イチゴシロップに見えるそれは、
ゴブリンのアソコから抽出したアレかもしれないし、
桃の果肉に見えたものは、毒蜘蛛の腹肉だったりする。
だが──
「うめかったらさすけねぇべ」
おっさんは、自分用の氷をザクザクと削りはじめた。
本来なら、アル中のおっさんは甘いものを好まない。
しかし、氷だけでは、さすがに味気ない。
ふと、昔テレビで見た、大泥棒のアニメを思い出す。
氷に酒をかけて食っていた、あのシーンだ。
──やってみるか。
かき氷の上から、ストレートの焼酎をドバッと回しかける。
白く細かい氷に、酒が吸い込まれてゆく音が、じわりと心地いい。
一口。
「……美味えな、こりゃ」
甘さも何もない、ただの冷たい酒氷。
けれど、火照った身体と酔いの脳には、
この“清涼”が何よりも染み渡った。
それは──すでにスイーツなどではなかった。
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「セーブルたちにも作ってやっけ?」
そう声をかけたのだが――
「二人で、創りますわ……」
とシェリーが照れたように笑いながら、セーブルの手を引いてキッチンへ。
そのまま、いつまで経っても戻っては来なかった。
「氷か……」
焼酎入りのかき氷で、頭が冷えるはずもない。
むしろ、心地よい酔いがじんわりと身体に広がっていく。
けれど、妙なもんで──
おっさんの脳裏には、完成したリゾートの姿が浮かんでいた。
空と海のあいだに浮かぶ、巨大な楽園。
遊び、笑い、くつろぐ異世界の人々。
ラッキー君が波を切り、優雅にその場を回遊する姿。
そしてそれを迎え入れるあのリゾートホテル。
──まったく、どいつもこいつも、しょうがねえな。
ふいに、口元が緩んだ。
ニヤリ。
と、笑みを浮かべるおっさんの顔は、どこか少年のようでもあった。