第三十四話
おっさんの体内時計が、朝の五時を告げる。
ゆるやかに意識が浮上し、まどろみの海から抜け出すと──
部屋の隅では、みーくんが……
バリバリと、新品の畳を爪で掻きむしっていた。
──たとえ…部屋の戸を閉めて追い出したところで、
どうせコイツは、いつの間にか侵入して悪さをする。
それが、みーくんという生き物だ。
もはや諦めの境地に達したおっさんは、怒ることもせずに…のそのそと起き上がる。
「みーくん、朝メシさいっぺ」
球体の自室を出て、空中歩道を渡り、螺旋階段をゆっくりと降りていく。
今朝はパンでも焼くか、それとも米にするか……
そんな“普通の悩み”を考えながら降りていくと、
ふわりとキッチンの方からいい匂いが漂ってきた。
おや?と覗いてみれば──
鍋で何かを煮ているシェリーと、隣で野菜を刻むセーブルの姿が。無言で見つめ合いながら目で会話をしている様だ……
「……新婚かよ……」
踵を返したおっさんは、リビングに戻り、自分のコーヒーとみーくんの朝メシを用意しはじめるのであった。
煙草を咥えてしばらくぼんやりとしていると、キッチンから二人が出てきた。
「おはようございます親方。」
寝起きとは思えない整った髪型で、
手にはパンやサラダが盛られたトレーが三人分。
おっさんの分もあるようだ。
シェリーは大きめのマグカップに、熱々のスープを並々とよそい、目の前に置いてくれた。
「閣下、お世話になりましたわ。お風呂もお部屋も、
とても素晴らしいお家ですのね。」
……と、つい昨日まで、薄暗い酒場に居た妖艶な女主人とは…とても思えない、
朝日の様な爽やかな微笑みを浮かべ…セーブルに寄り添い席についた。
──ストーンウッドで組み建てたこの家は、朝から照りつける真夏の太陽も100%断熱している筈なのだが…
今朝はなんとなくモヤっと熱いので、エアコンの温度を少し下げてみるのだった。
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「ところで、セーブルよい?姫やアイツらは、いつ頃迎えに行けばいいんだっぺか?」
パンを齧りながら、おっさんは今日の段取りを聞いた。
「そうですね……私が王城へ行って声をかければ、皆さん出てくるとは思いますが──
親方、ひとつお願いがあります」
言うか言うまいか、セーブルは少し口ごもり──そして続けた。
「親方、王に……会ってはいただけませんか?」
おっさんは、口の中の甘ったるいパンを、ゴクンと飲み込み…首を傾げる。
王?
まぁ、セーブルの雇い主ではあるんだろうけど──
“王”なんて言われると、ちょっと尻込みする。
──あのときの総理大臣は……普通のおっさんだった。
職人でもないくせに、なぜか手だけは異様にゴツゴツしていたっけ。
天皇陛下には──そうだ。
ある夜、急な電話で……私室の便器に、貼るタイプのホカロンが剥がれて落ち、気が付かずに流してしまい……詰まってしまった。
寝ていたおっさんは突然、社長に呼び出され…
「なんで俺が?」などと愚痴を溢している間に、
皇居へと連れていかれたんだったか。
陛下は、どこぞの国王からもらったという壺入りの酒を土産にくれた。
皇后様は、やたらと気を揉んで、金箔で包まれたチョコまで寄越してくれた。
思いの外──ただの、世話焼きな老夫婦だったな。
思い返せば、大統領やら国王やら……
世界各国の最重要施設に呼ばれ、
極東の島国の現場大工が、なぜ呼ばれたのかも分からんまま、
あちこちで仕事をしてきたもんだった。
そう思うと、異世界の国王と言われたところで──
さして諂うような相手でもないんだっぺか?
……なんだか、少し気が楽になってきた。
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「別に、王様に会うくらいは構わねぇけども……なんか用でもあんだっぺか?」
まぁ、あれだ──
めんごい愛娘が、俺みたいなおっさんの元に入り浸ってるんだ。
文句や斬首の一つや二つ、あっても不思議じゃねぇ。
──でもな、おっさんは潔白だっぺよ。
メシに呼びに行ったとき、
たまたま着替え中の半裸を目撃してしまったのも──
あれは不可抗力だ。
「のっと・ぎるてぃー、だっぺよ。」
「──用など……幾らでもあります。
親方があの都市で成し遂げた功績、
王家へ送った、財務局の床が抜ける程の金貨…
だというのに──叙爵すらシカトして行方不明とあっては……」
セーブルは、まるでアホな子でも見るような目でおっさんを見つめ、「はぁ」とため息をついた。
だが、おっさんは──アホな子ではない。
「だがよぉ……礼だの領地だの、伯位だのと持て囃されたところで、
俺ぁ、嬉しくもありがたくもないべした。」
肩をすくめて、パンを一口齧る。
「そういう話なら、セーブルが王様に伝言で──
“気にすんな”って、言ってくっちゃらいーべ?」
苦笑いを浮かべるセーブルと、それを憐れみ…そっと目を伏せるシェリー。
このおっさんにとって、一国の王からの賛辞などは…
落ちていた財布を交番に届けて感謝された程度の認識でしかないのであった。
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だが、二人を連れて王都へ──フワリと転移してみると……
教会前の広場はまるで、お祭りの様な騒ぎであった。
道の端には、駅伝の応援でもしている様な熱気のある人垣。
広場の中央には…昔の霊柩車を、さらに豪華に飾り立てたような金ピカの雅な馬車。
そして…その前には立派な天幕と、大企業の応接室みたいな机とソファーが道端に置かれ…
そこでアイスやジュースを楽しむ家族達。
……と、見たことのないハゲたおっさんが座っていた。
「あー!おとーさんきた〜!」
嬉しそうにこっちを指差すトゥエラ。
「「「パーパ! 旦那様! オジサマっ!」」」
押しかけようとする家族たちを、制したのは──
「公爵よッ!! 待ち侘びたぞ!!」
その声は、広場じゅうに響き渡った。
投票日直前の選挙カーみたいなボリュームで、
群衆ごとぶっ飛ばす勢いの、爆音だった。
──ハゲている。
しかも見たことない。
ノシノシと近寄ってくるその男をみて、背後に居た筈のセーブルとシェリーは、まるで景色に溶けるように姿を消していた。
おっさんは、アホではない。
ピンときた。
……国王様っちゅー輩だ。
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こうしゃくとか言われても…困る訳で、
おっさんのラノベ知識の中では、
公爵も侯爵も子爵←(おっさんの読み違い)も、区別がつかないし、
貴族や王族の挨拶の仕方など……
いつだか読んだ、悪役令嬢の小説にあった、
カテーテル?くらいしかわからんのだ。
それにアレは女がやるやつだろうし……
困ったおっさんは、とりあえず腰袋から、冷えた缶ビールを2本取り出して、プルタブを開けてやり、ハゲに渡す。
そして徐に…
「おんちゃんどーもね!元気そうでねーの!?まぁ飲みっせ!」
と乾杯をするのだった。
──これは、おっさんの得意技なのである。
何十年も建築に携わり、数多のクライアントを喜ばせてきた訳だが、
おっさんは大体忘れている訳で。
スーパーで、駅で、飲み屋で、街中で、
見たこともないオッサンやオバサンに、
「大工さ〜ん久しぶり〜」などと声をかけられるのだ。
まさか…誰だっけ?などとは言えない。
そんな時はコレなのだ。
まぁビールまで出す必要はないのだが……
「どーもねぇ!元気だったんけ〜?全然変わんねえんでねえの!?」
とりあえず、こう捲し立てておけば、向こうが勝手に、あん時家を直して貰って嬉しかった。
などと、自ら何処の現場の施主だったかを教えてくれるのだ。
──職人なんてものは、頭が悪い。
大体が中卒だ。
それでも──その場限りでもいいのだ。
誠意と感謝と親身にさえなれれば、客は喜ぶのだ。
そうやって、おっさんは生きてきた。
やはり、日本製の冷えた生ビールは、仰天するほど美味いらしく、
何か色々と用意していた演劇を群衆に見せて、
おっさんをどうにか王城へ取り込もうと目論んでいた国王は……
「いやぁ〜現場が詰まっちまってて、忙しいんだっけー!
またそのうち顔さ見せにくっから、おんちゃんも腹さ冷やさねーで元気にやっぺよね〜!」
と、訛り過ぎて、丁寧なのか不敬なのかさえ判別できない激励を受け、
「う…うむ、お主も…息災でな…む、娘のことも、頼んだぞ!」
と、落選後の候補者のテンションで、
騎士達に囲まれて帰って行くのであった。