第三十三話
あの…白金に輝く大蛇がどのように動き、うねり、
酒を蒸留したのか──
初の完成品が出来るまでの過程は、ついに一度も見られなかった。
本来ならば、これを木樽に詰め密封し、
数ヶ月から数年…寝かせることで琥珀色となり、
味もまろやかになるのだろうが…
とうもろこしの貯蔵量は思っていたよりも少なく、
今回は酒瓶にして数本という結果だった。
それでも──
自宅で、自分の手…
(肝心な部分はほぼビートル君がやったのだが…)
で作った、初めての酒だ。
いそいそと、煌めくクリスタルのグラスに氷を落とし……
酒精すらわからないので、コップに汲んだ水も添えてテーブルに並べる。
二人の前にも同じようにグラスを置き、声をかける。
「旨めぇかどうかはわかんねぇんだけども、
初めて作った酒だ、呑んでみてくんちぇ」
キィン…と乾いた音を立ててグラスを合わせ、
おっさんは静かに、その液体を喉に流し込んだ。
──喉が焼けつくような錯覚を覚え、
ドン!と胸に響く、荒々しいアルコールの衝撃。
たまらず、水を一口、喉へと流し込む。
「……つえぇな、おい……」
二人の顔を見ると、時間が止まったように目を見開き、グラスを凝視したまま動けずにいた。
これはちょっと……ロックで呑むには手強いな──
と判断したおっさんは、
腰袋から炭酸水を取り出し、グラスの酒を2:8ほどに割って、ライムを一絞り。
カラリと混ぜ…そして、改めて口に含んでみると──
ほんのり甘く、飲み口の軽い、だがしっかりと脳を酔わせる。ライムサワーへと化けていた。
「凄く美味しいわ……こんなお酒があるなんて……」
シェリーは、うっとりとグラスの中を覗き込んでいた。
魔素をたっぷりと含んだ氷は、たとえ太陽の下に置いたとて、なかなか溶けない。
爽やかに立ち昇る小さな刺激を、いつまでも保ってくれる。
呑むたびにシュワシュワと──
心地よい刺激が、皆の喉を優しくくすぐっていた。
「……こうなってくっと、いよいよ…キビ魍魎が楽しみになってくっぺなぁ…」
おっさんは月に模した自室を見上げる。
ちゃんと、本物の月と満ち欠けがリンクしている。
屋根裏には、紅く染まった月がぽっかりと浮かんでいた。
その姿は、ゆっくりだが確実に──真円へと近づいている。
あと、二日ほど──。
おっさんは、これから幾らでも呑めるので──
残った酒瓶は、二人に預けた。
ユニットバスで軽く汗を流すと、そのまま自室へと引き上げる。
若いもんには若いもんなりの夜がある。
屋上の露天風呂も、二人のためにしっかり段取りしておいた。
手はかけすぎず、でも足りなくない。
……それが、年の功ってもんだろう。
寝床へと向かう途中。
いつの間にか家の中にいた白猫が、脚に頭を擦りつけてくる。
「おめぇ……どっから湧いたんだっぺ?」
と笑いつつ、そのまま猫と一緒に布団へ潜り込んだ。
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場所は変わって、大きな川を見下ろす高台に聳え立つこの国の象徴。
──セリオン城──
その中にある第一王女の私室に、数台のふかふかベッドが運び込まれ……
豪奢な姫部屋が一夜限りの女子会会場となっていた。
メンバーは、この部屋の主である
王女パステリアーナ・セリオン。
ある日突然、結納キャンセル界隈となり、中年のおっさんを追いかけて長い旅に出た為、
この部屋に戻るのは久しぶりのことだ。
……ちなみに、キャンセルされた界隈の他国の王子は
激昂し、国交を断絶するなどと、勝手なことを騒ぎ立てたのだが、王に相手にされずに廃嫡されてしまったらしい。
その王女に誘い込まれた客人である、
この世界最後のドワーフ族の少女、トゥエラ。
風呂上がりのフルーツ牛乳が気に入ったようで、腰に手を当てて上機嫌だ。
その隣にはやはり、滅びてしまったダークエルフ族の
終種、ギャルのテティス。
果実酒の入ったグラスをフワフワと宙に浮かせ、
酒以外が全てイマイチ満足できなかった、宮廷の晩餐をディスっている。
「なんで焦げるまで焼くわけ?マジありえないし〜塩と胡椒かけ過ぎだし〜?パーパのゴハン見習えっつーハナシ?」
そんな口の悪いギャルを隣で宥めるのはリリ。
「あの方の料理が特別なんですよ、先程のお肉だって…庶民にはとても口に出来ない贅沢品なのですよ。」
最近能力が進化したのだが、おっとりとした性格上の問題か…「仕事が楽になった」程度の認識しか持っていない。
そんな賑やかしい集団が輪になって座っている場所は……
子供相撲大会の土俵程もある、雅な天蓋と絹のカーテンに隠された、豪華な姫のベッドの上であった。
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「リリちゃんはさ〜?オジサマのことどう思ってるのよ〜?」
モコモコの牛柄パジャマで、手にはカルーアミルク。
風呂と甘い酒で桃色に上気した顔で……
いつもの丁寧すぎる姫口調はどこへやら。
一番歳の近い、姉ポジのリリに対して牽制を仕掛けた。
「ど…どうと言われましても……その…以前にお誘いした時には断られてしまいましたし…」
キリン柄のパジャマで、フードに耳と小さなツノを模した飾りが付いた、ちょっと気の抜けた一着。
それを目深に被って赤くなった顔を隠し、
──突然の爆弾発言。
ざわつく年下チーム。
「ちょ、いつ凸ったワケ?聞いてないんデスけど〜!?」
「なになに〜?おとーさんとどこか行くの〜?」
テティスが身に纏うのは……もはやパジャマと呼べるかすら怪しい。
一反の豹柄の帯。それが、ビートル君の卓越した立体裁断によって、
左足首から臀部、そして胸元をなぞるように巻き付けられていた。
普通に考えればただの帯で、はだければ終わりな様に見える危うさなのだが…
この巻きつけ具合は帯に形状記憶されているのだ。
剥いたジャガイモの皮を、まるでそのまま貼り付けたかのような、
どこか妖艶で…怪しい寝間着である。
そこは──少し背伸びした少女たちだけが共有する
“オトナの時間”
そこにひとりだけ、トゥエラという名のピュアすぎる生き物がまぎれていた。
着ているのは、妙にリアルな造形のワニの着ぐるみパジャマ。
あまりに本物そっくりで──丸呑みされてしまった幼女のようにしか見えない。
パカっと開いた口から顔を出し、大好きなおっさんの話に加わろうと、
「えっ?おとーさんとにゃんにゃんって、何するのー?」
と純粋すぎる爆弾を投下する。
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「パセリはどうしたいのですか…?
あの方を、この国の王に据えたいとでも…?」
最近変わった愛称で、姫に問いかけるリリも、
負けじと……王女の気持ちを探る。
「そんなことは……父上はあんな風体ではありますが、国交と政治の鬼です。
オジサマに…ああいった仕事が務まるとは思えません……優しすぎますので…」
──ですが──と続け、
「父上と兄上が壮健であるなら、この国は安泰ですわ…その時は……ゴニョゴニョゴニョ……」
顔を真っ赤にしたパステルは、消えいりそうな声で内心を打ち明けていた。
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「公爵様に気を使わせてしまったわね。」
おっさんの居なくなったリビングで、
シェリーとセーブルは二人きりで向かい合っていた。
「姉さん…」
セーブルにとってシェリーという女性は、
「完璧な姉」であった。
憧れ、尊敬はするが、決して追いつけない背中。
殺す気で挑んだ模擬戦でさえ、闇をも切り裂きそうな木刀は…掠ることもなく、躱され際に耳に息を吹きかけられる始末。
──しかし彼は変わった。
おっさんの元でダークの修行に一意専心し、一時は剣の握り方すら忘れそうになったが……
巨人族の大槍で突いたとしても、傷の一つもつかないストーンウッドを…手先の技術と小さな刃物で緻密に加工できるようになった今……
尊敬する姉の揶揄いは既に、酷く遅く見えた。
耳を抓ろうと伸びてきた腕をそっと制し…
目を瞑る暇すら与えずに、唇を奪うのであった。
──シェリーとて、
背後から不意に飛んでくる矢くらいは、欠伸ついでに弾き落とせる人外の戦闘能力を持ち得ている。
そんな彼女が射られてしまった、矢よりも鋭く、柔らかい接吻に、一瞬で負けを悟り……
セーブルの成長に嬉しくも嫉妬しつつ…
ゆっくりと目を瞑るのであった。