第三十一話
一仕事を終えたおっさんは、朝メシ以来何も食っていないことに気づき、一階へと上がる。
冷蔵庫を開けると、パステルが漬けた胡瓜やナスが、いい具合に冷えていた。
王女謹製のぬか漬けをつまみに──
ジョッキに氷を山盛り、そこへ焼酎をドボドボと注ぐ。
色よく漬かったナスを一口。
そして、焼酎をひとくち。
──体に、染み渡るような旨さだった。
ふと脳裏をよぎる。
そういえばこのナス、手足が生えてて逃げ回る、
野菜たちの集落で収穫したものだった気がする。
……たしか、とうもろこしもあったような?
──出来るかもしれん。とわかってしまえば、
もうダメだ。
居ても立ってもいられなくなる。
まるで──
おもちゃ屋でファミコンを買ってもらった子供のように……
家に帰るまでの時間を待つことすら出来ず、今すぐにでも遊びたくなるあの衝動。
おっさんは、ジョッキと漬物の小皿を手に──
地下室へと駆け降りた。
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野菜を詰めたフレコンを漁り、とうもろこしだけを選別して流し台へ入れる。
流水で洗いながら外側の皮やヒゲみたいな部分をむしり取ってゆく。
「んで……茹でんだっぺか?」
とりあえず虫とかも付いているかもしれないので、
寸胴鍋を3台並べてガンガン湯を沸かし、ぶち込んでみる。
茹ったヤツを……と、ビートル君の顔を見れば、ここに入れろという仕草をするので、
三重鍋の中心に放り込む。
ゴウン…ゴウン…と機械的な音が始まり、
暫くすると、おっさんの身長くらいあるドラム缶の、下の方がパカっと小さく開き……
とうもろこしの芯がコロコロと出て来た。
「芯は酒にはならんのけ…ふ〜ん。」
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しばらく鍋の中を覗いていたのだが、
黄色い汁がグルグル回っているだけで、
そんなすぐに酒になるはずも無いか……
と諦めたおっさんは、地上へ戻った。
「晩めしどうすっかな……」
相変わらず暑い毎日が続き、たいして食欲も湧かない。
時刻は……夕暮れ一時間前、といったところだろうか。
「アイツら迎えさ行って、なんか食って帰ってくればいいけ」
軽くシャワーを浴びて着替えをする。
おっさんは別に困ってなかったのだが、
「ほとんど毎日休みなんだから?服くらい買ったらいーじゃん?」
とテティスに言われてしまい、リゾートホテルの売店でアロハシャツや短パンを数着買った。
そうゆう格好をすると、腹の出っ張りが目立つのだが……
まぁ作業もしないのに毎日作業服というのも確かにおかしいか。と思い適当に着替える。
少々早いが、まぁ待ってりゃいいかと思い王都教会前へと飛ぶ。
キョロキョロと辺りを見るが、やはりまだ帰っては来ていないようだったので、
別に信心深いわけでもないのだが、来たついでだしと思い、教会に入ってみる事にした。
時間帯のせいなのか、礼拝堂には人の気配がしなかった。
まぁこの教会は、地下が猫カフェであり、
三階は孤児院や職安などもある。
それなりに皆忙しいのであろう。
……女神像は、明らかに以前とポーズが違う。
昔は手を組んで慈しみのある顔で立っていたような気がするのだが……
なぜか今は椅子が用意され、そこに足を組んで座り、聴診器とカルテを手にこちらに向かいウィンクをしている。
服も以前おっさんが着せてあげたピンクのナース服のままだ。
おっさんは、別に具合が悪いわけでも無いのだが、なんとなく前に置かれた患者?信者?用の椅子に腰掛け、
毎日平和に暮らしていること、
家族達に囲まれた幸せだということなどを、
感謝の気持ちと共に報告して、席を立つ。
そういえば──と、リリ用に買ったフォーマルなスーツや、
テティスが以前着ていたが、最近は出せとも言われなくなった服が数着あったので、適当に畳んで女神様の前に置いておいた。
「んでわ、どーもね」と、挨拶をし教会を後にした。
おっさんは気が付かなかったが、女神像の視線は服をガン見してうっとりとしていたそうだ。
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外に出ると、セーブルが一人立っていた。
「護衛お疲れさんね、アイツらは?」
と聞くと、
「それが…王女様やテティス達が盛り上がってしまい、皆様を連れて王城に泊まると言って……行ってしまいました。」
王城?と聞き、そういえばパステルはあそこが実家だったのか、と思い出した。
「まぁ別にトラブルはないんだっぺ?」
と一応確認すると、
「私の相棒が護衛を受け持ってくれましたし、
問題はございません。
ですが──親方もぜひ連れてくるようにと言っておられたのですが……」
そんな事を言われたが、
王城…貴族…王様…面倒事……チーンと判断して、
「俺はいいよ、セーブルはどうすんで?お城さ帰るんけ?」
速攻でお断りを入れておく。
「私も姫の護衛以外は任務がありませんので、明日までは暇となりますね。」
頭を掻いて苦笑いをする青年。
こいつは黒の作業服なのに、バッチリ決まっててカッコいい。
どっか行きたいとことか、彼女とか居るなら行ってきてもいいんだぞ?
と聞くが、何もないのです。というので……
ならば、その辺さで酒でも呑んでメシ食ってから帰るけ?と、男二人で華やかな街を歩き始めるのだった。
どっかおすすめの店ないんけ?
と聞くと、
「そうですね……酒も料理も美味い店なら、
この王都には夜空の星の数ほどもありますが…」
などと詩人のような事をいうセーブル。
「ですがたぶん──親方の作る料理や酒ほどのものを出す店はありませんよ?」
まぁ、毒専門店とかで無ければなんでもいいよ、
と笑いながらセーブルに並んで歩くおっさん。
賑やかな大通りから道を外れて、だんだんと人気も減り薄暗い路地を進むと……
看板もない古びた木戸の前で歩みをとめる。
「まぁその、昔から世話になっている店なのですが…」
戸を引き開けると、夜道よりもなお薄暗い下り階段。
「隠れ家っぽい酒場け?いいんでねーの?」
ニヤリと笑って地階へと足を下ろす。
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階段を下りきった先には、またひとつ──重厚な扉。
その取っ手を押し開けると、そこはまるで地下にぽっかり浮かんだ別世界だった。
棚に並ぶ酒瓶は、どれも古そうなものばかり。
店内にはカウンターしかなく、席数もごくわずか。
だが、その空間には不思議な落ち着きと緊張感が漂っていた。
セーブルが先に中へと入り、店の奥にいた女性へ軽く会釈をする。
「……あら。珍しい子が来たわね。……それに……」
女性はおっさんへと視線を滑らせて、ふっと微笑む。
「お連れさんまで。……凄い人じゃない。」
妙齢の美女。背筋の伸びた物腰に、どこか品がある。
だが──おっさんには見覚えがない。
「どーもね?……俺、どっかで会ったっけか?」
カウンターの一角に腰掛けながら、軽く挨拶をする。
するとセーブルが紹介する。
「姉さん、久しぶりです。こちら、いつもお世話になっている──
……ダークマスターです。」
女性はニコリと笑い、まるで舞台女優のように妖艶な仕草で一礼した。
「ふふ。噂の……公爵閣下様、でしょ?
ちゃんと紹介してくれないと……アタシの首が、刎ねられちゃうじゃない。」
カラン──。
氷がグラスを鳴らす音に、おっさんが目をやると、
いつの間にか目の前には──洒落た一杯が置かれていた。
淡く冷えた銀の器。雅な彫刻が施され、飲み口には細かい塩がふち取られている。
「……ソルティードッグけ?」
ぽつりと呟き、ひと口。
舌先をくすぐる塩気。
その奥から広がるのは、ライムにも似た爽やかな苦味と、ツンと鼻を抜ける強めの酒精。
不思議と喉越しはよく、するりと体に染み込んでいった。
──うまい。
何も言わず、もう一口。
グラスの中の氷が静かに揺れ、夜の始まりを告げていた。