第二十六話
辿り着いた場所は、ひときわ大きな建物だった。
高さこそ三メートルほどで目立たないが──
その横幅は、三階建ての小学校を平屋にして横に並べたたような……そんな、だだっ広い印象。
両開きの扉も、やはり高さはなくて、おっさんがギリギリくぐれるくらい。
せいぜい170センチに届かないか、という感じだった。
セーブルなら…顔面が減り込む所であろう。
やがて、ビートル君たちがカタカタと連携して扉を開いてくれると──
最初に飛び込んできたのは、酒の匂いだった。
そこに広がっていたのは、まるで冒険者ギルドの一角にでもありそうな、古びた酒場。
丸い電線コイルのようなテーブルが無造作に並び、
カウンターの奥には、無数の酒瓶がずらりと飾られている。
「ドワーフ族ってのは……やっぱ、ずんぐりしてたんだっぺか?」
そんな想像が頭をよぎる。
トゥエラも、ああいう体型に育ったら……うーん、ちょっと複雑だな、とか。
(──いや、口には出さないけどな)
その時──
ビートル君たちがススス……と集まり、やがて人の形を成す。
目の前に現れたその“バーテンダー”が、
無言で低いカウンターにグラスを置き、透き通った氷と琥珀色の液体を注いでくれた。
子供用の“バーごっこ”みたいな背の低い椅子に腰を下ろし、
おっさんはその一杯を、ご相伴に預かる。
まずは香り──
グラスをカランと鳴らし、鼻を近づけると……ふわりと、バニラのような甘い芳香。
少量、口に含むと──
……香りの印象を裏切る、スモーキーでビターな癖の強い味。
けれど、喉を落ちていくその瞬間……
体の奥から震えるほどに、うまい。
横を見れば──
テティスの前には、紫色にきらめくカクテル。
彼女によく似合っていた。
目元のメイクとリンクしてるのか?ってぐらい自然にハマっている。
一方のトゥエラには……ミルク。
まぁ当然といえば当然なのだが、そのギャップに思わず笑ってしまう。
この空間、どうやら蒸留所に併設された試飲ラウンジのようなものらしい。
さっきまでの意匠もない建物だった場所とは思えないほど整っていて、違和感すらある。
グラスに残った酒は、指一本ほど。
クイッと飲み干して、おっさんは腰をあげる。
「ちょーウマイねこれ!パーパもこーゆーの作れんの?」
テティスは上機嫌でグラスを揺らし、舌をぺろっと出す。
「まぁ、旨い原酒さえあれば……作れっぺなぁ」
そんな軽口を交わしたところで、
酒場の奥──次なる扉が、音もなくゆっくりと開いた。
いよいよ、本命の“工場”へ足を踏み入れる時が来た。
おっさんは生前、出張仕事の合間に日本酒の蔵元を訪れては、
見学だの試飲体験だのを嗜んでいたクチだ。
だが、ウイスキーや焼酎のような“蒸留酒”の工場は──
実はこれが、人生初。
酒は好きでも、知識はまあ……ラノベレベル。
「ぐつぐつして、ポタポタ落ちてくるやつ」くらいの、
なんとも雑なイメージしか持っていない。
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扉を潜ろうとすると、
プシューーーと真っ白いスモークが全身に吹き付けられた。
消毒的な物なのだろうか?
部屋の中は薄暗く、天井付近にはミラーボールのような赤い光源。
これはアレか、異世界特有の赤い月の光か。
通路は狭く、辺りは見渡す限りの棚。
その上に、月光を浴びてクネクネと踊るヤングコーンみたいなヤツや……
サボテン、麦、サトウキビなど見たことがある様な、
いや、手足があって踊る植物など地球にはいないが。
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暑くはないが、肌にまとわりつく湿度。
山間の早朝のゴルフ場、そんな環境だ。
要するに、水耕栽培的な畑なのだろうか?
鉢から飛び出して数匹でラインダンスを踊るヤングコーン達を、
ビートル君達がピックアップし、土に埋め戻したりしている。
そんなおかしな光景を見ながら歩くと、次の扉が見えてきた。
開かれた先にあったものは……
超巨大なドラゴン。
いつの間にか地階へ降りていたのか?
この部屋だけは天井が10メートルくらいある。
その中央に、芸術品にも見えるクリスタルガラスのように輝く……龍が鎮座していたのだ。
「おとーさん、ここにしょうりゅーじょって書いてあるよ?」
トゥエラが指差したのは入ってきた扉の上部に掲げられたプレート。
「しょ…しょうりゅう……?蒸留でないんだっぺか?」
ドワーフ謹製、究極のアルコール蒸留施設、
「昇龍場」
それがこの龍の役目らしい。
何がどうして、どの様な効果があるのかはさっぱりわからないが……
ウネウネと宙を泳ぐ神秘的な龍の体内には、透明なトロリとした液体が静かに流れていた。
内部を走るその“酒”は、まるで光を孕んだ小川のように揺らめき、
時折、龍の鱗の隙間から——かすかに甘く、スモーキーな香りが滲み出る。
「っは〜……酒っちゃー、こやって造るもんなんだっぺか……」
思わず呟くおっさんの声も、昇龍の気流に攫われて、工場全体に溶けていった。
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しばらくの間、見惚れていたおっさんであったが、
この場所では酒が提供される事はないと気がついたのか……
次の扉を目指した。
──ヒンヤリとした空気、冬の朝の様な耳や指先が痛むほどの気温。
吐いた息を白く濁らせ、辿り着いたのは……
樽、樽、樽、…時折陶器のような瓶。
ギッシリと積まれた酒樽のあるここは、熟成場といった所なのだろうか?
先程のバーテンダー…と同じビートル君かは分からないが、
3つのグラスをトレーに乗せておっさんに提供してくれた。
透明、琥珀色、濃い黄金色。
端から順に味わってみると……
いつもの焼酎の無味無臭さに、
飲み口の柔らかさと…明らかに強い酒精。
次の酒は最初の酒場で呑んだものにも似ているが、それよりも深く…鼻に抜ける芳香も強かった。
右端の…栄養ドリンクを飲んだ後の小水のような色合いの酒は……
これは強すぎた。
ひと舐めで臓器が燃えるように熱く、足もふらつく。
どれも個性的で、洗練されたいい酒であった。
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一巡りが終わり、入り口まで戻ってきたおっさんは、
「いやはや…大したもんだっぺなぁ…ドワーフの酒っちゅーもんは。」
こんな酒を家でも作れたらなぁ…
と譫言のように呟く。と──
カサカサカサカサ…とビートル君達が周りを囲む。
「おとーさん、場所と材料があれば、この子達が作ってくれるって言っているみたいよ?」
と、トゥエラが驚きの通訳をしてくれた。
場所…………真っ先に思いつくのは、今の所用途のない自宅の地下室。
おっさんはトラックを召喚し、娘達を乗せると、
「俺も手伝うから、一緒に来てやってくなんしょ?」
すると、ワラワラと虫達は荷台に乗り込み…あっという間に箱に一杯になった。
その総量…約、1.5立米だ。
おっさんは自宅を目指してハンドルを握れば、
ゆらりと視界は霞み…家族の集合写真が模された外壁が目の前に現れた。
車を仕舞い、玄関に向かうとゾロゾロと着いてくる…数体づつが合体したピクミンの様なヤツら。
玄関扉は開いていて、最初に目に入ったのは……
材木の断面を敷き詰めた、一風変わっているが趣のある美しい仕上がりの床だった。
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おっさんはまず、家を守ってくれていた弟子の働きをねぎらった。
「セーブル、かっこいいんでねーの。……おめぇ、もう一人前の職人だな」
丁寧に仕上げられた床には、細かな段差ひとつなく、手で撫でても一枚板のように滑らかだった。
鉋で削り出した木の艶も、美しい光を反射している。
すると、作業の手を止めたセーブルが顔を上げた。
「親方、お帰りなさい!……その後ろのは……魔物ですか!?」
カンナを低く構え、臨戦態勢に入るセーブル。
だが、おっさんは思わず苦笑してしまう。
(いや、それでどう戦う気なんだ……)
ちょっと見てみたい気もしたが、すぐに手を出して止める。
「おいおい、落ち着け。こいつらはトゥエラの従者だっぺよ。敵じゃねぇんだっけ」
おっさんの言葉に、セーブルは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに納得したように頷いた。
「……従者、ですか。なるほど、トゥエラ様……本当に凄いお方だ……」
そしてその隣では、ピクミンのように合体したビートル君たちが、まるで「よろしくお願いします」とでも言うように小さく頭を下げていた。
「セーブルお兄様、トゥエラです。これからもよろしくお願いします。」
幼女から出た淑女の挨拶に、
目を白黒させるセーブルであった。