第二十四話
みーくんにとってみれば、
この程度──床からシステムキッチンの天板へと跳ね上がるくらいの中ジャンプに過ぎない。
本気を出せば、冷蔵庫の上はもちろん、カーテンレールにだって余裕で届く。
そんな一瞬の動作で、
標高すら計り知れぬ山頂のカルデラへと、吹き飛ばされるおっさん一行。
幸い、テティスがとっさに唱えてくれた魔法──
気圧順応化が効果を発揮し、窒息や意識障害などの事態は回避された。
見上げた斜面には──
かつて無数のドワーフたちが暮らし、繁栄を謳歌していたであろう石造りの街並みが広がっていた。
今では崩れかけた建物が、その面影をわずかに留めているのみ。
人の気配も、生きる熱もとうに絶え、そこにあるのはただ、静寂と風の音だけだった。
「とりあえず、あっこから行ってみんべか。」
かろうじて“それ”とわかる道跡を辿りながら、ゆるりと周囲を見回すおっさん。
風にさらされた石の壁、崩れかけたアーチ、転がる瓦礫の山々──
まるで時が止まったままの街並み。
おっさんはふと、ある懐かしい記憶を思い出していた。
かつて――倒壊寸前の遺跡を保存・補完するための
国際的なプロジェクトに参加し、
遥か遠い外国、ペルーにある天空都市の遺跡現場に大工として加わったことがあったのだ。
「似てんなぁ……」
と、ひとりごちる。
あの時と同じように、石造りの建物が朽ち果てながらも威厳を残している。
ただ違うのは──ここに、もう“人の気配”がまるでないことだった。
辿り着いた城跡は、半分以上が崩れ落ちていた。
だが、積み上げられた石の重厚さからは、
かつての頑強さがはっきりと感じ取れる。
おそらく、以前ミケから聞いた話──
「ドラゴンのゲロが津波みたいに押し寄せた」
とされる事故に飲み込まれ、
軒並みの建物が倒壊し、そのまま湿気と腐食に呑まれていったのだろう。
鼻の奥にかすかに残る鉄と苔の匂い。
うっすらと漂う硫黄と灰の気配。
「リリに聞いてくりゃ良かったか?……まぁ、大事なもん隠すとこなら、きっとあの辺だろ。」
見上げた先、他の建物よりもひときわ大きな瓦礫の山がある。
崩れきった姿ではあるが、どう見てもそれは──
かつてドワーフの王が住まった“王城”の跡に違いなかった。
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おっさんの中では、ドワーフといえば──酒。
まぁラノベだの昔のゲームだの、そんな知識でしかないのだが……
かつてこの地で、無念のまま命を落とした者たち。
トゥエラの家族や、遠き先祖たちの姿が脳裏に浮かび、思わず手を合わせる。
背後からは、トテトテと娘たちの足音。
瓦礫の山を退かして、あるのかどうかもわからぬ地下室を探す──
欲望に正直なおっさんとはいえ、その作業量を思うと…ちょっと気が重い。
「とりあえず重機出して……んで、そっから──」
段取りを脳内で描いていたその時だった。
「──ただいまーっ!」
唐突にトゥエラが、嬉しそうに声を上げた。
……その瞬間。
ズズ…ズズズ…
見上げるほどうず高く積もった岩山が…動き出した。
おっさんは咄嗟に娘達を庇い、後ろに下がる。
テティスの魔法も大概凄いが、念の為だ。
無造作に積み上がった岩山は、まるで…
誘導された避難訓練の列の様に、
崩れることも落ちてくることもなく、
順番にズリズリと何処かへ去って行くのだ…
そんなバカなと思い、おっさんは双眼鏡を取り出し動く岩を観察すると…
小さな…カブトムシ?程度の大きさの何かが、
無数に這い回り、岩を数センチ持ち上げ運んでいるのだった。
────
瓦礫が勝手に片付いていくという、現実味のない光景をただ呆然と見つめていたおっさん。
気がつけば──
目の前には、まるで最初からそうであったかのように、平らな石畳の道が静かに姿を現していた。
「……なんだこりゃ」
唖然としたまま、トゥエラに尋ねてみると──
「んー? いつもてつだってくれるんだよー?」
まるで近所のネコかなんかの話をするように、ぽやんとした笑顔で返される。
まったく要領を得ないので、今度はテティスに目を向けると、
「アレじゃね? ドワーフって手先器用じゃん? だからゴーレム的なやつ作ってたんじゃね?」
と、これまたアバウトな返事。
だが──
荒れ果てた遺跡の中に、人の気配はもうないというのに。
あの虫のような従者たちは、幾百年の時を経てもなお、命令権を持つ存在を静かに待ち続けていたのかもしれない。
そして、今まさに──
王家の血を引く少女の一声で、再びその命令系統が作動したのだとしたら。
……なるほど。
おっさんは、ぼんやりとその事実に震えながら、ただ一つの結論に辿り着く。
「おそるべし…ドワーフの技術力──っ!」
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瓦礫の無くなった床を歩くと、おっさんは気がついた。
両脇に積もる岩山が…嫌に整然としているのだ。
災害に見舞われ、ぶっ潰れた跡地はこうはなっていない。
見たくはないが、日本中、
海外まであちこちで見てきた悲惨な現場を覚えている。
それとは違う、石垣…とまでは言わないが、計算して積まれたような、簡単には崩れそうも無い岩山。
だが、先ほどこの城跡へ辿り着いた時の瓦礫の山は、そうではなかった。
まるで…この城の深部を隠していたかの様な…
そんな印象を受けた。
「おかーさん、いるのかなー?」
とトゥエラが呟く。
おっさんはぶっちゃけ、この幼女の事を何も知らない。
何かの試練とやらがあって、一人この都市を離れていたトゥエラ。
なぜかおっさんが転生してきた樹海を一人彷徨いていたトゥエラ。
砂漠にあったアホみたいな高さの塔で、突然、大人の姿になって、王家ががどうとか言っていた
トゥエラ。
そして、おっさんが異世界に来て恐らく何年も経つというのに、全く身体の成長のない…
トゥエラ。
そして…感情の起伏が、まるで赤子のような…
今となっては、もう娘と呼ぶことにも
違和感も恥じらいもない、誇れる家族であるのだが…
おっさんはいずれ死ぬ。
出来ることなら、その後も彼女が笑って楽しく暮らしていって欲しいと思う。
異世界なので、何とも言えない所なのだが…
恐らく…リリも、パステルも、セーブルも、
あと百年とは生きないであろう。
だが、トゥエラとテティスは違う気がする…
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そんなことを考えながら歩を進めていると──
行き止まりに辿り着いた。
ぽっかりと口を開けた空間。
その周囲は瓦礫に囲まれ、そして正面には……
地階へと続く、古びた石の階段が静かに佇んでいた。
一歩、また一歩と石段を踏みしめるたびに、
地上の陽は遠のき、静かに闇が満ちていく。
テティスが魔法で灯りを点けようと手をかざすも──
「うーわ、マジかここ……
魔素ないんですけど!?」
バチッと指先で火花が散るも、調子の悪いライターのように…魔法は不発に終わる。
おっさんは、ようやく自分の出番が来たとばかりに、
ほっと胸を撫でおろす。
そして、腰袋から次々に投光器を取り出しては、
壁に手際よく取り付けていく。
──最近、娘たちがチート過ぎてさ……
おっさん、ちょっと影薄かったんよね。
この地下空間が、「人間の技術が通じる場所」で良かったと、心の底から思った。
やがて、入口の光も見えなくなった頃、階段は終点を迎える。
周囲はまだぼんやりとした暗闇に包まれているが、
そこがかなり広大な空間であることだけは伝わってきた。
「んだば……いっちょやっけ。」
おっさんは、道路の夜間工事などで用いる、
三脚付きナイター照明を取り出す。
複数台を設置し、魔法でも太陽でもない──
現場用の「光」が地下を照らし始めた。
──魔素の届かない静寂のなか、
おっさんの光だけが、この遺構の記憶を照らし始める──