第十七話
イメージとしては、八等分にカットされたピザの──
その“先っちょ”を一口かじったような形。
セーブルが造ろうとしている踏み板とは、ちょうどそんな形だった。
このパーツを、大帝国柱の周りにぐるりと螺旋状に取り付けていく。
地下から屋上まで、全長約8メートル。
それを、高さ20センチずつ──40段でつなぐ計算だ。
柱自体は正方形ではあるが、意匠的には“円柱”に見立ててステップを配置したい。
まずセーブルは、コンパネを一枚使用して理想の段板の“型紙”を作成。
その型紙に合わせ、ストーンウッドの石材をいくつも組み合わせてゆく。
普通の大工にはとても真似できない“手合わせ”の技術。
例えるなら「両手を組む」──指が噛み合うように、
石材の形状を繊細に刻み、ピタリと結合させる。
もちろん、実際の指のような凸凹があるわけではない。
もともと一枚の石板だったかのように、継ぎ目は消えてゆき──
ひとつの美しい扇形のステップとなっていく。
そして、その仕上がった石板が型紙の大きさを超えたら、いよいよ切断。
──の、つもりだったのだが。
「あ゛〜〜マジ信じらんない!なんなのあの子!?空気掘るってどーゆー状況!?」
地下室に響くテティスの声。
トゥエラの無垢故の技術に納得がいかないらしく、文句をブツブツと垂れながら降りてきた。
ストーンウッドは、組み合わせてからしばらく置くことで本来の強度が出る素材。
そのため、切断や細かな仕上げは後回しにして、今は数を積み上げることに集中していた。
そんなセーブルは──
一見、作業台の前に突っ立っているだけに見える。
しかし、その“両腕”は目にも留まらぬ速さで動いており──
まるで“腕だけが消えている”かのような錯覚すら覚える。
職人の本気──いや、もうこれ、
異世界スーパースキルの領域である。
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トゥエラは、朝の時点でこうなる未来を予想していたのだろうか?
──そんな訳はない。
けれど、なぜか彼女は最初から準備万端だった。
床張りには少々大きすぎる“肩に担げるサイズ”の木槌を振るい、
空を、まるで地面のように打ち据えている。
しかしながら、彼女の身長はせいぜい小学低学年ほど。
大きめの脚立を使っても、まだ屋上──いや、掘りたい「空」には届かない。
「ぷ〜〜ん!おとーさんの“あしば”があればいいのにー」
ぷくっと頬を膨らませ、プンスカ抗議のポーズ。
──そこへ、地上から澄んだ声が届いた。
「トゥエラ様、私にお任せくださいませ」
それはパステル。
手にしていた銀の鎖をふわりと投げると──
先端に黒い風呂栓のような黒石がついた鎖が、シュルリと宙を舞い…
ぺたこん、とトゥエラの背中に吸いついた。
直後、鎖がピンと張る。
王女の繊細な魔法操作により、幼き大工は軽々と宙へ舞い上がった。
もう、脚立など必要ない。
まるで──お正月の凧揚げ。
風の代わりに魔法の鎖が引き上げ、
トゥエラはひらひらと浮かびながら、黙々と空に穴を掘り続ける。
そして地上では、王女パステリアーナが腕を伸ばし、
凧の糸のように鎖を巧みに操っていた。
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おっさんの作り置きしていた──
タピオカ入りのミルクティーを、ポコポコと音を立てながら吸い込んでいたテティス。
その視線の先には、まるで板前のような手さばきで作業に没頭するセーブルの姿があった。
「……ってかさ、あ〜しだけなんにもやんなきゃマジでダセーじゃん!?
てか今から巻き返せばギリ天才じゃね??」
ストローを引き抜き、空になったカップをポイッと腰袋に突っ込むと──
やる気スイッチがバチバチに入ったテティスが、地下工房の奥へとズンズンと歩き出す。
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セーブルの前に置かれた型板を…
形状記憶魔眼で撮影し、
余剰部削除結界で一気に形を整える。
丁度そのとき四十段目の石板の荒組みが完成したセーブルは…
テティスの魔法に目を見張る。
空から…何やら見たこともないキラキラとした異物が降ってくるのだ。
「セー兄!それ上にぶん投げて〜」
テティスがモヤモヤした魔法を維持しながら、1ミリの誤差も無さそうな整った扇状の石板を指す。
セーブルは数十キロはある段板を抱えて空へ放った。
「ガテン系ギャルだいひょーなめんなっつーーの!
魔素粉砕光沢彩色魔法
──纏わりつくラメ。
──ギラギラとした配色の⭐︎やら♡…
──何層にも覆い被さるニスのような膜。
「おとさないでよぉぉぉ!」
わずか数秒……見た目を変貌させた石板が降ってくる。
間違いなく、ガシッとキャッチされたそれは……
──まるっきりギャルの爪先のような段板だった
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犇めく樹々の隙間を、猛スピードで駆け抜ける
一台のミニクーパー。
コカトリスの住む小屋を出発して、すでに四時間。
──だというのに、その勢いは一切衰えていなかった。
排気量わずか1000ccにも満たない小型エンジンが、
信じがたいパワーで唸りを上げながら──
人の背丈をも超える藪を次々と踏み倒し、
その先に突如現れる巨木を──
「──サイドブレーキ…!」
ギリギリのタイミングで引かれる左手のレバー。
車体の後方が滑り込み、後輪から舞い上がる土と枯葉。
ミニクーパーは、まるで生き物のように身をくねらせながら、
まるで進行方向を無視したかのように、逆を向いてなお前進を続けていく──
もしこの場に観客がいたとしたなら、
きっとポカーンと口を開けたまま、首を傾げたことだろう。
「まもなく──目的地周辺です。」
リリは淡々と、しかしどこか楽しげにそう告げると、
疲れた様子も見せず、ちらりとおっさんに微笑んだ。
だが──
助手席の中年は、もう青ざめた顔でぐったりと
突っ伏していた。
窓ガラスに額を押し付け、
魂だけがひと足先に飛び出したような様相である。
最初は、楽しかったのだ。
超リアルなレースゲームに入り込んだかのようなスリル──
神の雫をこぼさぬよう、慎重に片手で支えながら、
スキール音と共に旋回する車体に、身を預けていた。
だが──
いくら飲んでも減らない、
キンッキンに冷えた高純度アルコールのストゼロが、
そのうちジワジワと効きはじめ──
……そこから先は、地獄だった。
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這うようにして車から降りたおっさんは、ぐらりと揺れる視界のまま、近くの木の根元に──。
その一部始終は、リリの配慮によって、ふわりと舞い上がった書類の繭に包まれ、誰の目にも触れることはなかった。
──
小一時間が経ち、ようやく体調を取り戻したおっさんは、木に寄りかかりながらあたりを見渡した。
「ここが……深淵?」
──いや、正直なところ、樹海の深淵 というものが何を指しているのか、彼にはさっぱり分かっていなかった。
だが、ひとつだけ確かに言えることがあった。
これまでミニで走り抜けてきた、視界を覆うような鬱蒼とした森とは──
まるで、空気が違う。
おっさんが先程、「肥料」を撒いた場所。
そこから先には、木が……一本もなかった。
────
正確に言えば、ここには確かに“あった”のだろう。
地面に、朽ちた根のようなものが毛細血管みたく這っている。
だが、幹はない。葉もない。影すらない。
「……自然に枯れたもんじゃねぇべ。これ、もがれた跡だべ……」
おっさんは呟いて、足元を見下ろした。
切り株のようなものもある。だが…それは人の手で伐った輪郭ではない。
粗く、裂けるように──何かが一気に押し潰したか、捻じり取ったかのような、暴力的な“断面”。
残されたのは、住宅ほどもあったであろう巨木の“残骸”。
……いや、もはやそれさえも残っていない。
倒された幹は朽ちたのか…
あるいは──喰われたのか。
周囲を見渡しても、その“本体”はどこにも見当たらなかった。
地面は不自然に平坦で、風すら止まっている。
枝のざわめきも、小鳥の声も無い。
「なんか……音が無ぇ」
おっさんが言うと、リリの書類がカサ、と揺れる。
彼女は空中に浮かぶ紙束の中の一枚を指先で摘み、じっと凝視していた。
「──地形の変化の痕跡があります。
満月時の深夜…何が起こるのでしょうか…」
その言葉を聞いて、おっさんの背中にじっとりと汗が滲む。
ここは“樹海の深淵”。
今はただの空白だが──
満月の夜には、何かが蘇る。