第十六話
湯を沸かし…
淹れただけのコーヒーを飲んだリリは、すっかり体調を回復させた。
「わ…私の書類魔法が……」
聞いてみれば、どうやら以前までは…
情報取得の際、電波の悪い山奥でラジオを流しているような状態で──
「ガガッ……──の薬そ……ピー!…崖の……咲き誇……」
と、断片的にしか聞き取れなかったらしい。
だが、コーヒーを飲み干してしばらくすると──
「x382018445:y113002292──真紅なる薬草1束。
登るよりもロープ降下が推奨されます。
咲き誇っています。」
──急に、クリアな音声で、
かつてない精度で情報が取得できるようになったとか。
「じゃ…じゃあ焼酎の原料や作り方もわかるんけ?」
おっさんが、縋るように問いかけると──
リリのメガネが一瞬、虹色に発光した。
「──完全解析、完了しました。」
「ほ、ほんとけ…!?」
「はい。
原料のキビ魍魎は、この樹海の深淵で、
──満月の深夜にしか採取できません。」
「満月限定!? なんでそんなRPGみてぇな縛りあんだっぺ……」
「──また、蒸留のための装置および技法は、
かつてのドワーフ帝国の地下遺構に封印されています。」
「……ああ、もう完全に冒険コース確定じゃねぇかコレ」
リリは無表情のまま、スッととメガネを持ち上げて、
「──現在、目的地へのルートを算出中です。
焼酎、完成まであと──57工程」
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リリによれば、満月の夜は十八日後だという。
そんなに滞在する気はないのだが、
樹海の深淵とやらの場所を突き止めて、
転移ができる様に何か建築物を建てておけば…
満月の晩に一瞬で来れるのではないか?と考えた。
ドワーフの滅んだ帝国は、
三毛ドラゴンのいる火山の火口なのだが、
取り付けた勝手口には、もしかすれば転移出来るかもしれないが…
火口はとんでもない標高を登らねばならない。
さすがにおっさんでも、
ヘリとかは持ってないし、
ミケに頼めば、あわよくば連れてってくれるかもしれないが、
あいつ…数千年寝るとか言ってたし……
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休憩を済ませ、再び車へと乗り込む。
みーくんを探すと、すでにボンネットの上でヘソ天スタイル。
太陽を受けて、まるで「もうここでええわ」みたいな顔をしている。
──まさか、あの500メートル下の地上まで飛び降りる訳もなし。
おっさんが転生して初めて建てた建築物──
4本の樹木を切り揃え、組んだデッキの上にちょこんと建てた小屋。
その下へ、フワリと移動する。
木製の階段をキコキコと上がって中へ入れば──
入り口の寸法ガン無視の存在感を放つ、
部屋いっぱいいっぱいサイズのコカトリスがドカンと横たわっていた。
「そういえばおまえ……どうやって入ったん……?」
相変わらず、ふてぶてしくスヤスヤと寝息を立てている。
その横には、おっさんよりもでかいヒヨコと、鮮やかな赤い殻の卵が1つ。
──敵意はなさそうだったので、そっと卵をひとつ拝借。
お礼にと、腰袋から肉や魚を取り出し、顔の前にモリっと盛っておいた。
「……これでチャラな?」
──
リリはハンドルを握ったまま、片手をすっとかざす。
カサッ…という小さな音とともに、
空中に一枚の黄ばんだ紙が出現した。
──その紙面には、まるで航空写真のように詳細な地形が描かれており、
樹海全体を鳥の視点から見下ろすような──
言ってしまえば“ドローン映像”にも近い、リアルな地図が映し出されていた。
さらにそこへ、黒いラインがスーッと描き加えられる。
目的地であろう場所までのルートを示すその線は、
森の起伏や木々の間を巧みに縫うように伸びていく。
「な、なんだっぺこれ……」
おっさんが思わず声を漏らすと、
リリは眼鏡をクイッと上げて、いつもの無表情で淡々と答える。
「最新の書類魔法です。
──前回のコーヒーにより、描写精度が512倍に向上しました。」
「512倍って……ISDNよりどれ位はえぇんだ?……」
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時代錯誤な例えを持ち出したおっさんであるが…
おっさんのインターネットに関する知識は、
東北の少々奥まった住所のせいで、迎えることの出来なかった、ADSL…光ファイバーに至っては業者に、
「数十年後じゃないっすかねー?」
と言われてしまった。
パソコンで始まったネットゲームの黎明期。
不安定な回線により、突然画面が固まり…
風呂に入れる程の時間をかけて再起動を果たし…
周りに居たはずの仲間は消え去り、ポツンと寝転ぶ自分の死体。
数ヶ月を掛けてようやく次を望めるレベル上げが、
たった一度の切断死により、一週間程度の経験値がパーになる苦行。
それでもおっさんは楽しんでいたのだが、
いつに間にか会社員となり、ゲームをする暇もなく過ごすうちに…
時代は進んだ。ピーガガーと音を鳴らして接続を試みていた、イスドンなどと馬鹿にされた回線は消え去り、光ファイバーすらいらない…
ハイサイ?とかいう沖縄的なサービスも普及したのだが…この頃にはおっさんはネットを使うこともなくなり、知識も興味もISDNの時で時間が止まっていたのだった。
──これは…長い余談である──
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しかもその地図、よく見るとわずかに動いている。
風に揺れる木々、流れる川、漂う霧──まるでリアルタイム映像のように。
──魔法とは思えぬ文明感。
それが、リリの書類魔法の
“本来の姿”だった。
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結局、階段は作ることになった。
おっさんは──飛べないからだ。
家の中央に堂々と立つ、深い黒褐色の大黒柱。
それを掘り込んでステップを取りつけてしまえば、地下から屋上まで一直線に繋がる美しい階段になる……はずなのだが。
「これってさー、大事な棒なんでしょー?知らんけど?」
と、テティス。
「おとーさん、カンナでピカピカにしてたよねー」
と、トゥエラ。
「ふむ……たしか、『大帝国柱』と呼ばれていましたか?
意味と用途は、まだ把握していませんが…」
と、セーブル。
「とても美しい木ですわよね……これを穴だらけにするとなりますと……」
と、パステル。
──不穏すぎる四人の作業計画が、今まさに練られようとしていた。
──
位置的にはちょうどいい場所に立っているため、どうしても目がいってしまう──
この「大帝国柱」を中心に、上がりきった場所をロフトのように、一周回遊できる通路にするのも良いかもしれない。
だが…どうしてもこの立派な柱に、ノミを入れるのは躊躇ってしまう。
覚悟というか、度胸がまだ出ないのだ。
きっと、おっさんであればこう言うだろう。
「その発想はなかったべw」
そうやって笑い飛ばしてくれる気がする。
「アレじゃね?女神像の神殿にあったみたいな? 浮いてるやつ作ればいーんじゃね?」
テティスのひと言で、常識の階段が音を立てて崩れていった──。
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セーブルは直接見ていないのだが、話は聞いている。
目からトリカブトが落ちる様な衝撃を受けたが…
地下に保管してあるストーンウッドを一つ手に取り、
大黒柱の側の空中に…
置けば、当然の様に床に落ち転がった。
「魔法的な技術なのでしょうか?その階段は…」
と、パステルも興味を示すが、
「アレってさーちょー昔にホビット族が作ったらしーんだわ。ってことはマじゃなくね?」
「おそらをほるのー?おもしろそー!」
四人はステップを取り付けたい一点を囲み、睨み合うような構図で宙を見つめる。
ノミとハンマーを構えたセーブルは、空中にストーンウッドを嵌め込む為のほぞ穴を掘ろうと試みるが……
──これではまるっきりエアー大工である──
──
「マジウケるんですけど?空に穴『カツーン!』ほr……」
指を刺し笑いかけたテティスの横で、小気味のいい音が響いた。
カツーン!…カツーン!…
トゥエラが鼻息を荒くし、
何も無い空中に穴を掘り始めた。
セーブルのやっていたエアー大工と、要領は変わらないのであるが…
確かに、そこにはストーンウッドの板の厚みとピッタリ合いそうな、四角い穴が…
まるで木材を掘ったときの様に、空気の木片屑を撒き散らしながら、掘り進められていった。
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三人は目を見開き、トゥエラの作業に釘付けになる。
信じられるわけが無い。
テティスは魔法で、結界やら壁やらを出すことは出来るが…
それは永続的なものでは無いし、よほど魔力を高めなければ、寝ている間に消えてしまうであろう。
空に穴を掘る。
一般的な、おっさんから預かった鉄製のノミでだ。
信じられるわけが無い。
だが、目の前の小さな女性は…
何も疑うことなく、宙を掘り進めてゆく。
そう、なにも疑ってないのだ。
セーブルは自分を恥じた。
最初からできるわけが無い。と思い込んだ上で、
宙にノミを突き刺していた。
──
今一度、気合を入れて、トゥエラより上の段になるであろう場所にノミを構える。
目には見えている。ここに、扇形の美しい段板が嵌り、
それが柱の周りを螺旋状に登ってゆくイメージが。
だが、いざノミを合わせハンマーを打ち付ける時、心の奥底の何処かで…
そんな馬鹿な。
という僅かな雑念が過り…ノミは空を切る。
テティスは何かに腹が立ったのか、電動ドリルを持ち出し、
ギュウィィィィィィィィィン!
と高速回転させるが…
それはただ、宙でドリルを動かしているだけであった。
王女パステリアーナは頬を染め、
幼きトゥエラの仕事ぶりに魅入り…
教祖を崇拝する信者の様に手を組み目を潤ませていた。
「おにーちゃん、これじゃちっちゃいよ?」
突然トゥエラに話しかけられたセーブルは、ハッとした。
目の前に転がるのは、たった一つのストーンウッド。
手で運べるサイズだ。
扇状のステップを造るのであれば、五個から十個程度の石材を、加工して組み合わせ…
一枚の板に仕上げなければならない。
その作業に関しては、おっさんから習得済みであり、少し気が沸ると──おかしな形の物を造ってしまう傾向もあるのだが…型板でも作り無心で挑めば多分量産できるであろう。
「トゥエラ殿、ここはお任せします。私は段板を拵えて来ます。
と、幼女に向かい最敬礼の姿勢を取り、地下へと駆け降りた。