第十四話
家族達が冷しゃぶに満足した頃合いを見て、おっさんは皆に打ち明けた。
「新しい家なんだけんどもよ、後は中が完成すれば、大体住めるようになるんだっぺけど…」
分からないことや、やり方は教えるから、
あとはお前達でやってくっちゃらいいべ?と、
「おとーさんぐあいわるいのー?」
「どうされたのですか?どこかお怪我でも?」
と皆に心配されてしまった。
そうゆう訳じゃなくて、おめたち家族が力を合わせて頑張った家に、おっさんは住みたいんだ。と説明すると…
よほど海鮮が美味かったのか、皆は目を潤ませた。
まぁ、セーブルも仕事の納めについては大体理解できてるっぽいし、
娘達も、連日の冒険者活動でちょっと日焼けしてきた。
少し気候が落ち着くまでは──
のんびり大工さんごっこでもしてればいいべ。
おっさんは、焼酎のジョッキをカラカラ鳴らしながら、
どこかくすぐったそうに笑った。
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普通に住むぶんには、一階部分だけで十分だし、
便利なフレコンもあるから、わざわざ地下に氷室を作る必要もない。
つまり今のところ──
地階には、特に用途がないのである。
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家の外は日中は暑いので、広々とした地階におっさんは…
材木加工が出来る工業機械や、材木、ストーンウッド、釘や金物ペンキに至るまで…おおよそ使うかもしれなそうな物品を並べた。
そうしてみんなを集めて、この機械はこう使っては危ない。とか
例えばこうゆう材料が欲しいなら、こう作ればいい。とか、
ざっくりとしたKY活動とアドバイスをした。
「え? パーパは一緒にやらないの?」
と、テティスが頬をふくらませる。
「勇者様の華麗なお仕事、見ていたかったのですわ」
と、パステルも残念そうに呟いた。
おっさんはニヤリと笑って、
「難しかったり、わかんねぇとこあったら教えてやっから。
…ちっと日中は留守にすっかもしんねーけども、頼んだっぺよ」
と、ゆっくりみんなを宥めるのだった。
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そうして翌朝を迎え、改めて家族たちと新築の現場を見渡す。
「とりあえず床でも貼ったらいいべ?」
おっさんはそう言いながらも、結局のところ――
「怪我すんなよ。地下に落ちんなよ。無理すんなよ……」と、過保護が止まらない。
「夕方までには帰れると思うけど、セーブル、皆んなを頼むな」
そう言って弟子の肩をポンと叩く。
トラックに乗り込もうとしたそのとき――
庭には、すでにエンジンをかけ、
車内を涼しく保った“ミニ”が待機していた。
その横で、リリが静かに近づいてくる。
「旦那様、私もご一緒しても……よろしいでしょうか」
細い指でメガネのフレームを持ち直し、少しだけ上目遣いで伺ってくる。
「……その、現場作業では、あまりお役に立てそうもありませんので」
「ん? そうけ? まぁいろいろ調べ物とかもしたかったし、一緒に来てくれんなら助かるけんども」
スーツの似合う、歩く辞書のような大人の女性に、
助手席のドアを静かに開けられ、エスコートされるままにおっさんは乗り込んだ。
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「どちらへ向かわれますか?」
運転席から、リリが静かに問いかける。
おっさんは顎に手をやり、しばし考え込む。
もともとは、ギルドに行って何かしらの調べ物をしつつ、
ついでに軽めの依頼でも受けてみようか──そんなつもりだった。
だが、隣にいるこの有能すぎる女性には、
書類魔法という反則じみた知識の泉がある。
ならば──と、おっさんはぽつりと呟いた。
「……あんな、いつも呑んでる酒あっぺよ?
アレをもっと美味くしたやつを作ってみたいんだっぺよ」
超どうでもいい欲望を、ハンドルを握る美人に堂々と告白する。
リリは、目を細めてひと呼吸置くと──すぐに頷いた。
「なるほど。そうなりますと、原料となる穀物や、蒸留を行うための装置や技術、そしてその歴史的背景についても把握しておく必要がありますね」
まるで有能なAIのように、冷静かつ的確におっさんの願望を解析し始めた。
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リリの運転は、とても穏やかだった。
トラックで練習をさせていた時のような、
巨大地震体験コーナーみたいな恐ろしさもなく…
最初から地面の凹凸を全て理解しているかのような、
ほんの僅かな蛇行運転により、
魔法の絨毯にでも乗っているかのようなフワフワとした安定感で…
時速は120キロを超えていた。
おっさんは安心し、腰袋から神の雫を取り出す。グイッと半分ほど煽り、
古臭いドリンクホルダー…銀メッキのスプリングみたいなダサいやつに缶を収める。
ダッシュボードにはなぜか人工芝が敷かれ、
小さな椰子の木が生えている。
車内に漂う服にまで移りそうな…
甘ったるいバニラの芳香剤と、
エアコンから吹き出す煙草臭い風が、
おっさんの郷愁をそっと撫でた。
小物入れには、納車当時からそこにいたガムが…さらに昭和の匂いを昇華させていた。
車内は軽く掃除して、娘達の好きなように改造して構わない。
と言っておいたのだが…
溶けたワックス然り、
イギリス国旗のバンダナを巻いたヘッドレスト然り、
弛んだTシャツを着せた背もたれ…
まぁいい。
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リリに尋ねる。
この世界の焼酎はどのようにして作られているのか、と。
すると、ピーガガ…とメガネの片レンズが赤く染まり、
まるで相手の戦闘力でも調べているのか…
と思いきや、
「かつては、古代ドワーフ族の秘伝であったそうです。」と言う。
──おっさんはまるで判っていないのだが、
この世界では既に絶滅してしまった…
古代ドワーフ族、
ダークエルフ族、
の最後の種を二人とも娘として育てている。
それが後にこの世界にどんな影響を及ぼすのかも…
まったく範疇の外である──
普通に考えれば、サトウキビみたいな甘ったるい植物を探して、蜜を絞り…
なんやかんやでモクモクさせれば、焼酎が出来るはずである。
……詳しい工程は知らん。知らんけど、たぶんそうだ。
そもそも、おっさんは既存の焼酎に、なんの不満もなかった。
あれは完成された逸品で、精々お茶で割るくらいしか、手の入れようがない。
──だが、あの日。
おっさんは呑んでしまったのだ。
セーブルが嗜んでいた、あの毒酒を。
グイッと煽って、おそらく──数秒もせずに卒倒。
……だが、その刹那。
口に含んだ時の香り。
広がる風味。
喉を通るときの滑らかさ──
すべてが、天国であった。
実際、天国のすぐ手前まで行ったわけだが。
あの酒は、カクテル的な何かで、多少甘ったるく…
毎日呑みたい物ではない。
だが、無味無臭の焼酎で、毒は含まずに、
あの天国行きチケットが再現出来るのであれば…
醸造についてはリリの魔法でも、苦戦しているようだったので、
とりあえずおっさんは…
ミニクーパーごと樹海へ飛んだのだった。