第七話
ほろ酔い気分で、セーブルと酒を酌み交わしていたところへ──
食事をひと段落させ、紙の束を抱えたリリが近寄ってきた。
「旦那様、今日も美味しいお食事をありがとうございます」
穏やかな微笑みを浮かべながらも、その顔にはわずかな疲労の色が滲んでいた。
「そっちもお疲れさん。ワインか、カクテルでも作ってやっけ?」
おっさんが立ち上がり、腰袋からグラスと果実酒を取り出す。
「公爵閣下が家族の食事を作り、さらにカクテルを振る舞うとは……聞いたことがありませんな」
セーブルが笑いながら言う。
新鮮な桃の果汁を使い、ピーチフィズもどきの一杯を作ってやると、
リリは嬉しそうに「ありがとうございます」と頷き、ふわりと隣に腰を下ろした。
「──これを、ご覧ください」
そう言って、書類の束の中から数枚を取り出し、テーブルの上に広げる。
ひとつは、⚪︎⚪︎地方××の街で発生した崖崩れ。
別の紙には、大河の氾濫により農耕地帯が壊滅したとある。
強風で風車が複数倒壊し、漁に出た船団が消息を絶ったという報告も混じっていた。
どれも遠くの話で、この惑星の地理すら把握しきれていないおっさんにとっては、
「それがどれだけ異常なのか」の判断はつかない。
だが──報告があまりにも連続していることは、ひと目でわかる。
「断定はできませんが、これも……魔王の復活に関係があるのかもしれません」
書類を見つめたまま、リリが静かに言う。
ふと、その横顔に影が落ちた気がした。
「魔王〜? っちゃ〜……」
おっさんが眉間をかしげながら、ワイングラスをくるくると回す。
ラノベ知識を総動員してみるが──
「なんつーか……魔族の王で、魔物の軍団を引き連れて、
世界征服とか企んでくる系……じゃないんだっぺか?」
と、口に出してみる。
だが、報告役であるリリは、紙束を抱えたまま小首をかしげた。
「いえ……魔王とは……なんなんでしょう?」
まさかの、定義すら曖昧。
その曖昧さに一拍おいてから、横からセーブルが口を挟む。
「以前──王より仄聞した話では、“魔王とは意思である”と」
「……いし?」
「はい。“存在”というより、“何かの方向性”そのもの──とも」
ワインを口に運びかけたおっさんの手が止まる。
意思?方向性?
なんだそれ、ますます訳がわからん。
魔王ってのは──“ラスボス的ななにか”じゃなかったのけ?
「……聞けば聞くほど、珍紛漢紛だな……」
ぽつりと呟いて、ワインを一口、静かに飲み干した。
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そんな収穫もない話し合いをしていても、
夜は更けて、朝日は登る。
ここから先の工事は、おっさんとセーブルがいれば十分なので、女性陣は好きにして良いと言うと、
揃って冒険に行く!と出掛けて行った。
昨日打設したばかりの基礎コンクリートは…
本来であれば、ハンマーで叩いたりすれば、まだ強度が出ていない為、欠けたりヒビが入ったりするのだが…
──カッ……キィィィィィィィ………ン──
いつまでも止まないモスキート音のような甲高い音色が空に響いていた。
「まずは床だな。足元がしっかりしてねぇと始まんねぇ」
おっさんは腰袋の奥に手を突っ込み、ゴソゴソと探る。
次の瞬間──バサリッと広がったのは、建材がぎっしり詰まった巨大なフレコンバッグ。
中からは、製材済みの柱材、土台材、金物類などがきちんと束ねられ、まるで新品同様に収まっている。
──
現状は、50坪の長方形をしたコンクリートの大穴。
そこに、床の土台──「大引き」と「根太」と呼ばれる構造材を、一本一本並べていく。
すべての部材をストーンウッドにする必要はない。
現地で入手した樹海産の天然木もまた、驚くほどの強度と柔軟性、美しい木目を持っており、
おっさんは、それぞれの材質と反りを目視で確認しながら、“適材適所”で配置していった。
「梁みてぇに空中を渡す部分は、こっちのストーンウッドだな……」
重量のある材を扱うにも、おっさんは慣れた手つきで持ち上げる。
軽くユニック車で浮かせたそれを、セーブルがすっと支え、二人の連携で所定の位置に落としていく。
ピタ……。
吸い込まれるように、接合部がはまり込む。
木槌の音すら必要ないほど、精密に噛み合った構造体が、音もなく床を組み広げていった。
──
今の所、部材の緻密な加工は全ておっさんがやっている。
セーブルにもやらせたいのは山々なのだが…
彼の仕事はユニーク過ぎるのだ。
おっさんは、普通に住みやすい平屋が建てたいのであって、
「栄螺堂」みたいな不可解な家を作りたいわけではない。
──だから、まだ彼には釘打ちや材運びといった、
“構造に関係ない”部分を任せている。
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冒険者活動チームも順調そのものであった。
──なんと、リリが車の運転を覚えたのだ。
以前から、おっさんのトラックで練習してはいた。
けれど、半クラッチ、エンジンブレーキ、ヒール&トゥ……
マニュアル車の操作は、異世界人のリリにとっては未知の領域。
教本だけでは理解できず、挙動もギクシャク。いつも「ギュウゥン……ガクンッ」と変速が悲鳴をあげていた。
──そんなある日。
彼女は、ふと目を閉じ、深く息を吸うと──
「ピ〜ガガ〜」という例の音とともに、書類魔法を起動。
次の瞬間、眼鏡の奥の瞳が淡い銀色に染まった。
彼女が何処にアクセスし、何を参照したのかは不明である。
……だが確かにその日から、
リリのシフト操作は“鮮やか”になり、クラッチミートも“完璧”になった。
誰が呼んだか──
彼女はついに、“頭文字L”となったのだ。
「これな──」
おっさんはプリンターの前でニヤニヤしながら、1枚の紙を取り出した。
“普通自動車運転免許皆伝”と、でかでかと書かれた紙に、
おっさんのサインと、意味不明な紋章が捺されている。
しかもきっちりラミネート加工までしてあった。
「リリ、おめでとさん。……教習卒業だ」
リリはそれを受け取ると、一瞬呆気に取られ──
そのあと、ふふっと嬉しそうに笑った。
「……ありがとうございます、旦那様」
「ついでにな──」
そう言って、おっさんは腰袋から、
ドスン、とコンパクトな何かを引っ張り出す。
それは、かつて“走っていた記憶のある”旧型ミニクーパーだった。
深い青緑のボディ、
クロームのバンパー、白いルーフ。
「昔…嫁さんと付き合ってた頃、よくコレでドライブしてたんだ。
リリは目を見開いて、それから、そっと助手席側のドアに手をかけた。
「……そんな大切なものを、私に?」
「乗ってくれるならな」
リリの笑みは、春の光みたいに優しかった。
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リリだけがもらった「運転免許皆伝証」。
それを見て、当然のように娘たちが食ってかかってきた。
「え〜!? 私たちは何もないの!?」
「ズルいズルいズルいズルい〜〜〜ッ!」
こうしておっさんは、
「よく食べたで賞」
「ミスKOGYARUで賞」
「王女証明書(発行番号:000001)」
と、次々と手作りの“しょうもない認定証”をパソコンで作らされ、
ラミネーターをギュインギュイン回す羽目になった。
「……ったく、しょうがねぇなあ……」
そんなぼやきとは裏腹に、どれもデザインが凝っていて、
“発行者:おっさん建築代表取締役”のサインまで添えられていた。
──今日も、くだらなくて、愛おしい。
そんな家族との1日が、ゆっくりと終わっていく。