第十六話 なんだべ、ジャガー!?
幸いなことに、
自分たちの立っている地面は、
木から生えている枝ではあるのだが、
目測でざっと、二車線道路。
丸みを帯びてはいるものの、
わざわざ端まで行かなければ、
落ちる心配は無さそうだった。
しかし凄い。圧倒される。
おっさんは、
この鬱蒼とした森林を、「森」だと認識していた。
だが眼前に広がる樹々の大海原を見てしまっては…
まさに樹海。
その言葉が相応しいのかもしれない。
トゥエラを見やると、
頬を染め、目を爛々とさせている。
腰袋から双眼鏡を取り出し、倍率を高め、
遥か先を観察する。
朧げに霞んでいるが、山脈や海のような影が、
かすかに見える。
「あそこが……端、なんだっぺか?」
ぼやけた境界は、距離感もスケールも、
全く掴めない。
目の錯覚かもしれないし、
実際にそこまで続いているのかも怪しい。
だが確かなのは、
——この世界が、あまりにも広すぎるという事実だけだ。
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無理だろうとは思いつつも、おっさんは
レーザー距離計を構える。
これは本体は煙草の箱くらいの機械なのだが、
先端から赤いレーザー光線を照射し、
室内や屋外の、
100メートル程度までの距離を測れるという画期的な道具である。
であるのだが…
おっさんは山脈っぽい影に狙いをつけ、
「計測」ボタンを押す……
液晶にデジタル表示された数字には……
【158キロメートル】
と出た。
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「んなばかな……」
測れたことにか、距離にか、
どちらに驚いたのか、
自分でもわからんぼやきが漏れた。
だが──海か。
こんな魔境みたいな樹海のくせに、
パンも米も甘海老まで転がってる世界だ。
もし、本当にあの先に海があったなら……
どれほど美味い食材が待っているのか。
おっさんは、年甲斐もなく胸が高鳴っていた。
日本で墜落事故を起こして、転生(?)したとはいえ、
歳はもうじき五十路。
本来なら、仙人みたいにこの森でひっそり朽ちても構わない──
そう思っていた。
だが、目の前には保護対象児みたいな幼い娘がいて、
その手を引く責任を、もう手放すことはできなくなっていた。
もしも、この樹海の先に人の営みがあるのなら──
トゥエラにも、世界を見せてやれるかもしれない。
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一頻り、地平線の丸みを噛み締めながら、
目に焼きつけるように景色を堪能したおっさん。
「さて、戻るっぺか…どっから?」
後ろを見やれば、
まるで『お帰りはこちら』と言わんばかりに、
人ひとり通れるくらいの穴が
ポッカリ空いている。
娘の手を引いて、
半信半疑でその穴をくぐってみれば──
次の瞬間、
鬱蒼としたいつもの森林に、ポンと戻っていた。
目の前では、
空っぽになった洗面器を脚でバタバタ揺らしながら、
「まだくれるべ?」とアピールしている巨大ジャガーがドヤ顔。
おっさんは苦笑しつつ、
「また後でな」となだめ、
トゥエラの手を引きつつ、
なんとなくの勘だけを頼りに、
海が見えたであろう方角へ歩き出す。
──と、その瞬間。
ドン!
強めの頭突きで、おっさんは不意を突かれた。
「なんだべ、ジャガー!?」
振り返れば、
猛獣が頭をこすりつけ、
どうにも「乗れ」と言いたげな仕草をしている。
……マジで?
体高は2メートル超え。
普通なら絶対に躊躇する高さだが、
猛獣は身体をググッと低くし、
乗りやすくしてくれる。
まぁ…
餌もくれてやったし、
噛みつかれる心配もないだろう。
まずはトゥエラを持ち上げ、
高い高いの要領でジャガーの首元に座らせる。
そのあとおっさんも、
昔乗ってたオフロードバイクを思い出しながら、
エイっと跨がった。
──さて、異世界猛獣ライドの始まりである。
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絶叫マシンみたいに加速するかと身構え、
おっさんは前に座らせたトゥエラを抱え込み、
衝撃に備えた。
──が、意外にもジャガーは、
観光地の人力車みたいに、のそのそと歩き始めた。
ホッと胸を撫で下ろし、景色を眺めると、
やはり目線が高いと見えるものも変わる。
鳥の巣に、蜘蛛の巣、幹に巻きつく大蛇……
まぁ、快適なドライブとは言いがたいが。
とはいえ収穫もあった。
ジャガーを止めてもらい、地上から梯子を伸ばせば、
ダチョウの卵くらいありそうな巨大な鶏卵を、
ごっそりと採取できた。
親鳥の逆襲を心配したが、
幸い、気配はなかった。
その後も、野草や木の実、花の蜜……
何かしら食材になりそうなものを、
のんびり拾い集めていく。
歩かずに済むだけで、
随分と気持ちに余裕ができたのか、
あるいは、背中のふかふかした感触が心地よすぎて、
完全に猫に癒されているだけかもしれない。
そうして、日が暮れるまで──
おっさんとトゥエラとジャガーの、のんびり旅は、
日が暮れかけるまで続いたのであった。