第四話
冒険者組を風呂に送り出したおっさんは、
冷凍庫からジョッキを取り出し、
ギンギンに冷やした焼酎を注ぎ、一口煽る。
氷すら入っていない酒精25度。
いわゆる、「キー」という呑みかたである。
冷凍庫に入れた焼酎は凍らない。
ただ、トロリと濃さを増す。
すると背後から、静かな声が届く。
「──私にも、少々分けて頂けますか?」
振り返れば、すでに寝巻き姿のセーブルが立っていた。
「呑みっしぇ呑みっしぇ。ジョッキならまだあるべ」
と笑ってグラスを差し出すおっさんに──
セーブルはふるふると首を振り、こう言った。
「……その材質では、溶けてしまうので」
そう言って、両手を器のように差し出した。
その掌には、いつの間に採ったのか──
例のカエルの酸毒が、ぼんやりと湯気を立てている。
「おめ……正気か?」
さすがに、どん引くおっさん。
だがセーブルは、にこりと微笑むだけだった。
仕方なく、酒をその掌に注いでやると──
ジュワァァッ……!
硫化水素のような鼻にツンとくる蒸気が立ちのぼり、
その湯気ごと、彼はぐいっと喉に流し込んだ。
「……ん。悪くないですね」
平然とした顔で、まるで常温水でも飲んだようにそう言った。
おっさんは──言葉も出なかった。
心臓にピリッと来て良い。
などと、常軌を疑う食レポをするセーブル。
聞いてみれば、訓練と称し幼い頃から少量の毒を常食して来たのだとか…
何処かの暗殺家の漫画で読んだような話を聞いてしまった。
他にも、睡眠薬だろうが惚れ薬だろうが、
何をどれ程飲んでも効かない、どころか…
美味い毒と不味い毒がある。などと、
酒飲みの会話のノリで語ってくれた。
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風呂から出てきた女性陣──
髪先からは甘いシャンプーの香り、
湯上がりで火照った肌に、タオルを巻いた肩。
そんな彼女たちに──
トゥエラには、冷えたジュースを。
テティスとリリ、そしてパステルには、
山脈ゴブリンの血をグラスに注いで振る舞った。
「……乾杯、ですわね?」
パステルが照れたようにグラスを掲げると、
リリも「試飲の記録に」とクールに口をつけ、
テティスは「うっま!まじ勝ち酒〜!」とご機嫌である。
その姿を見て、おっさんは──
「……いかん……枯れかけた身体でも、これは妙な気分になるなぁ……」
火照って上気した頬。濡れた髪先。
異世界の姫と魔女たちが、浴衣姿でワイングラスを傾けるという
この地味にエグい光景──
さすがに、直視できなかった。
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──そろそろだっぺか?
おっさんは徐に立ち上がり、カエル肉の進捗状況を確認しに行く。
60℃の湯は、長期間浸ければ火傷してしまうが、一瞬ならどうということはない。
袖を捲ったおっさんはザブリと腕を突っ込んで、密封袋を何個か取り出す。
が……
「なんじょしたもんだっぺ?」
肉が消えているのだ。
いや、正確には消えていない。
袋に確かな重さもある。
だが…見えないのだ。
ワインとジュースと毒入り酒で盛り上がる若人達を横目に、台所に立つおっさん。
悩んでいても仕方がないし、エアコンも動いているが賑やかな熱気も立ちこめる。
冷たいオカズが良いだろう。と、
ボウルに氷水を張って、袋を浸してみる。
すると…
なんと言うんだっけ?こうゆうのは…
エイリアンじゃなくて…プ…プデレター?
モヤモヤと肉の輪郭が見え始めた。
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おっさんは調理人特権、
誰にも咎められない「味見」を、堂々と行使した。
指でつまみ上げた一切れ──
透明なそれを、口に放り込む。
モチャ…モチャ…モチャ……
なんだ、この食感は。
フグ刺しのような? レバ刺しのような?
それとも──もっと未知の何かか。
とにかく、とんでもなく美味いのは間違いなかった。
まずは──
ごま油+すり下ろしニンニク。
そこに、薄くスライスした玉ねぎを添えて──
パクッ。
「……っぉぉぉ……酒が足りん。」
次──
味ぽん+柚子の皮をひとかけ。
「……焼酎から冷酒へ。
ノーカラーチェンジだっぺ……」
グラスを置きながら、ふと気配を感じる。
次の瞬間──
「おとーさん?」
頬をぷっくり膨らませて睨んでくる、トゥエラ。
腕を組み、胸をそらして仁王立ちのテティス。
メガネをずらし、冷たい光をたたえた視線で睨むリリ。
その三人をオロオロ見つめる、パステル。
……囲まれていた。
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あ、味見だっぺよ…
と狼狽えながらも誤魔化しつつ、
雅な絵皿を腰袋から取り出す。
美しい五彩が施された、Lサイズのピザを乗せても余る程大きい器だ。
これは…能登半島の災害。
それの復旧に、大工として派遣され、
重機すら搬入出来ない被災地で、人力で瓦礫を運び、仮設住宅を建てた。
悲惨な記憶だった。
だが、おっさんの第一陣としての仕事が終わり、
東北へと帰還する日…
娘も孫も失った老婆が、
泣きながら、ありがとうと押し付けて来たのが、
この皿だった。
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それを、流水で丁寧に洗い流し、
おっさんは菜箸を手に取った。
ひと呼吸。
いまいちボヤけて見えにくくなってきたのを自覚して、
腰袋から老眼鏡を取り出す。
慣れた手つきで耳にかけ──視界が一変する。
「……よし」
九谷焼の中心から、円を描くように──
半身ずつ肉片を重ねて並べていく。
まるでフグ刺しのような薄造り。
職人の集中力が、空気をすっと張りつめさせる。
やがて完成した一皿を、静かに居間のテーブルへと運ぶ。
──と、すでに全員集合していた。
誰に呼ばれたわけでもないのに、
娘たちも、パステルも、リリもセーブルも。
それぞれに飲み物を手にしながら、
いつのまにか「ただの晩ごはん」じゃない空気を感じ取っていた。
「とりあえず、一皿目だ」
おっさんは、そう言いながら、
小ぶりの霧吹きを取り出す。
中身は──ニンニク醤油。
しゅっ、しゅっ、とやさしく散布すると──
大輪の花びらが、皿の上にふわりと浮かび上がった。
肉が“透明”だったからこそ起こる、視覚の魔法。
誰もが、言葉を失う。
見たこともない──けれど、なぜか懐かしさすら覚えるような、美しさだった。
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「これはな、こうやって食うんだぞ」
と、実演してやる。
皿を真上から時計に見立てて、
二時間分程を箸で掬い取り、口へ。
「んめぇぞ〜じゃんじゃん食わっせ!」
と、次の段取りをしに台所へ引っ込む。
数秒後…
悲鳴にも似た、喝采が上がった。
そこから、おっさんは大忙しだった。
なにせ──
誰一人、米を要求しないのだ。
刺身一皿、絵皿に広がる“花”は、
出すそばから秒で消える。
だが──
この美しい皿は一枚しかない。
洗う。並べる。味付け。運ぶ。
これを、何往復したことか。
普通の白皿で出せば、きっと“味”は落ちない。
でも……この料理を、それで出す気にはなれなかった。
──この皿だけが、この晩餐にふさわしかったのだ。
たぶん、年齢的にも今はもうあの地に生きてはいない。
でも──
皿を拭きながら、おっさんは静かに思う。
「……あんがとな。娘や孫たちによろしくな」