第三話
気候的にいくと今は六月くらいなのか、
かなり汗ばむ日もあれば、
冷たい雨が降って寒い日もある。
日没はかなり遅く、おっさんの酒タイマーがアラームを鳴らしても…
まだ太陽は沈む気配がない。
大工体験も切り上げて、2人ともシャワーで汗を流し、
夕飯の支度をどうしようかと考えていた頃…
娘達とリリとパステルが帰ってきた。
玄関のドアが開いて、
「ただいま〜!」
と元気な声が響く。
トゥエラが一番に飛び込んできて、
おっさんの腰にダイブ。
「かえる! ぬるぬるのやつつかまえたー!」
「ぬるぬるのやつ……?」
顔をしかめるおっさんに、
後ろから続いたテティスが叫ぶ。
「マジやばいから! きもいし! でも味はガチでエグいらしいよ〜」
パステルは、少し気恥ずかしそうに──
「……なんだか、街の食材調達って、意外と過酷ですのね」と笑った。
最後に現れたリリが、
お馴染みの魔法書類を手にして、
「調理法は低温処理限定です。要注意です」と真顔。
冒険者ギルドで借りたという、リアカーの様な台車に積まれた、
何故か鎖でグルグルに巻かれた物体に目をやると…
おっさんの4人分くらいの体積のあるカエルだった。
鎖が苦しいのか、「ゲコォ…」と呻くカエルと目が合う。
まったく違うのだが、なぜか鏡を見た様な感覚に陥り、
目を逸らした。
鎖の隙間から、とめどなく透明の粘液がこぼれ落ち、
地面に生えた雑草を溶かしてゆく。
とても、手で触る勇気は出ない。
「これ…どうやって捌くんだ…?」
落ちていた枝で突いてみても、ジュウ…と煙をあげる様子を見て途方に暮れる。
すると、後ろから──
風呂上がりのセーブルが、タオルを肩にかけてやって来た。
「ほぉ……」
目の前の毒ガエルを一瞥し、息を吐くようにそう呟く。
「これは……立派な毒ガエルですね。
宮廷でも、滅多にお目にかかれませんよ」
まるで日常の一幕かのように話すその様子に、皆が目を丸くした。
「……おまえ、詳しいのか?」
「ええ。王国の“毒と抗毒講習”では、教材に使われることもありますので」
どんな講習だよそれ……とおっさんが顔をしかめる横で、
セーブルは鎖に巻かれた巨体をじっくりと観察していた。
「この種は、外敵に捕食されないように──
常に皮膚から“酸性の毒液”を分泌しています。
しかもこれ、死んでしまうと体内に毒が回り、
可食部までダメになってしまう」
「……じゃあ、どうすりゃいいんだ?」
「簡単です。
気絶させればよいのです。」
にこりと笑って、セーブルはタオルで首をぬぐう。
──簡単って、なぁ……
その目の前には、
粘液まみれのカエルが「ゲコッ」と呻いているのだった。
すると背後から声が上がる。
「寝かせればいいってワケ? そんなら、
あーしの魔法でいけんジャン?」
テティスが胸を張るが──
「いえ、寝ても酸は止まりません。
必要なのは“睡眠”ではなく、“意識の刈り取り”です」
セーブルが静かに言いながら、
ゆっくりと毒ガエルに近づいていった。
「おい、ちょっと待て! 素手で触るんでねぇ!」
おっさんが慌てて止めようとするも、
当の本人はどこ吹く風で──
平然と毒ガエルの“首らしきあたり”をそっと撫で始めた。
ジュワァァ……ッ!
焦げるような酸の匂いが立ち上る。
肌が焼けるような音に、おっさんは思わず声を荒げる。
「バカ! やめろって! 皮膚が溶けるぞ!!」
だが、セーブルは涼しい顔のまま、こう答えた。
「ご心配なく。毒は効きませんので」
さらりと、まるで自分が“毒無効スキル”でも持っているかのように。
いや、たぶん……本当に持っているのだろう。
そのまま首の筋を辿り──
ピンポイントで頸動脈を探り当てると、
人差し指と親指でキュッと締め上げた。
数秒。
カエルの全身がビクリと痙攣し──
「ゲ……コ……」
低く呻いたかと思うと、
粘液をぽたぽた垂らしながら、その場にグッタリと崩れ落ちた。
おっさんはその一部始終を見て、思わず呟いた。
「……こええな、やっぱ影の騎士ってのはよ……」
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湧き出ていた粘液は、気絶と同時にピタリと止まった。
それを見届けたセーブルが軽く頷き、後ろへ下がる。
「今です。水を──」
「任せな!」
おっさんがホース代わりにバケツを掴み、
ずばしゃーんと何杯もの水をぶっかける。
ジュウッと音を立てながら、
地面にこぼれていた酸が洗い流され、
肌を刺すような刺激臭もやがて薄れていく。
──そして、カエルの体表は静かになった。
「よし……これで触っても問題ねぇな」
おっさんは腰袋から革手袋を引っ張り出し、手早く装着。
そのまま魔物の腹部に手を当てて──
ゴクリ、と喉を鳴らす。
「……さて。ここからは、おれの出番だ」
魔物の解体と調理──
それはおっさんが
“異世界に来て一番最初に覚えた仕事”だった。
腹の皮を裂く位置。
骨と筋の流れ。
腐りやすい内臓の処理と、可食部の見極め。
全部、身体が勝手に覚えている。
「セーブル。抑えといてくれ。暴れはしねぇだろうが、万が一がある」
「了解です」
セーブルが片手でカエルの顎を押さえると、
おっさんはナイフを抜き──
シュルシュルッと、寸分の無駄もない手付きで、腹部を開いていく。
「うぉ……すげぇ……」
後ろで娘たちが興味津々に見守る中、
まるで芸術のように手早く、美しく、
巨大カエルの“食材化”が進められていった。
食えない部位は、ほとんどない──
ただし、焼いても煮ても、
すべて溶け落ちるという厄介な性質を持つ。
しかも冷蔵保存も不可。
時間が経てば、ドロリと溶けて“毒の粘液”に還ってしまうという、
繊細すぎるグルメ食材だった。
「めんどくせぇが……こいつぁ、面白ぇな」
おっさんは、黙々と作業に取り掛かる。
包丁の切っ先が、ぬるりとした表皮を裂く。
分厚く透き通るその筋肉は、驚くほど柔らかいのに、刃を吸い込むような弾力があった。
──これは、刺身サイズに切り分けるのが正解だ。
そう判断したおっさんは、
ひたすら薄く、細く、均一に肉を切り分けていく。
切った端から、密封袋に詰めていくのは、異世界でも変わらぬ現代知識のなせる業。
庭には、でっかい産業廃棄物用袋が広げられ、
その中にテティスが魔法でお湯を注ぎ入れる。
「60度、きっちり頼むぞー」
「任せなさーい!マジ職人かよってくらい安定させたる〜!」
お湯がたまると、おっさんは温度計を差し込み、しばらく真剣な顔でにらめっこ。
やがて──
「よし、60ぴったり。……保温っと」
手元の油性ペンで、袋の側面にでかでかと『保温』と書き殴る。
書き込まれた文字がふわっと光り、内部の温度を固定する。
──これで何時間置いても、袋の中の湯は冷めない。
そこに、肉の入った袋たちを全部放り込んで……
「とりあえず、2時間。酒でも飲んで待つかね」
おっさんは腰を下ろし、空を見上げた。
太陽は、まだ沈む気配を見せていない。