第二話
それから数日──
おっさんは図面を描きつつ、青年に“大工のいろは”を教え始めた。
材木なら、山のようにある。むしろ売るほどある。
そこでおっさんは、玄能、ノミ、カンナ、鋸、差し金、コンベックス……
必要な道具を一式詰め込んだ腰袋を新調し、セーブルに渡した。
そして、ごく基本的な作業──
釘打ち、切断、計測──を、手本として見せてから、実際にやらせてみる。
武器を振るうその姿を見ていて、何となく想像はしていたが……
──大工作業をさせても、セーブルはやっぱり人外であった。
五寸の鉄釘を、玄能の一撃でズドンと打ち込み、
普通なら無理な使い方をすれば曲がるか折れるはずのノコギリも──
彼が使えば、ほぼ見えない速さでスライドし、
おっさんのチェーンソーと張り合う勢いで、丸太を切断してみせた。
「……電動工具、いらねぇんでねえべか……」
呆れとも、ため息ともつかない声を漏らすおっさん。
だが、ここで感心して終わりにはしない。
次のステップ──“精密加工”に進む。
おっさんは一本の四角い材木を手に取り、
鉛筆で、歪な形の線を描いていく。
それは「アリ」や「カマ」と呼ばれる──
木材同士を噛み合わせるための、伝統的な仕口。
「いいか、これは“見た目”じゃなくて“噛み合わせ”が命なんだ」
おっさんはそう言って、鋭い目つきで鉛筆の線をじっと見つめる。
ほんの糸のように細いその“墨”を──
なんと“半分”だけ残すように、ノミを使って慎重に削り落とす。
下品な言い方をすれば、どこか“男性器”を思わせるような──
そうした形状をしたのが、「カマ」と呼ばれる継手だ。
大工の世界では「オス」と「メス」という呼び方が当たり前のように使われる。
それぞれがきっちりと加工されていれば、
切り離されていた二本の材木を、まるで最初から一体だったかのように──
一本の“強靭な梁”へと組み上げることができる。
これは──
馬鹿力や身体能力だけでどうにかなるものではない。
小手先の繊細さ。
正確な目。
そして、木と対話するような“感覚”が必要になる。
──まあ、長年やってりゃ誰でも出来るもんだが。
そう思いながら、おっさんはセーブルに“カマ継手”の加工をやらせてみた。
最初こそ、慣れない手つきで恐る恐るノミを走らせていた青年だったが──
しばらくすると、あっという間に“木目”を理解していた。
逆目に刃を入れれば割れてしまうこと。
あえて墨を残して大雑把に落とし、最後に“墨半分”で仕上げる技法。
まるで長年の職人のように、動きから無駄が消えていった。
「口出すタイミングがねぇな……」
おっさんは、つい口を挟もうとして──
結局そのまま、黙って見守ることにした。
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何度かの失敗はあった。
でもそのたびに、おっさんは黙って材を切断し、
新たな墨を引いてやった。
少しずつ──
セーブルの指先から、迷いが消えていった。
そして、だいぶ材木も短くなってきた頃だった。
彼はふと、墨付けすらしていない角材を手に取ると──
何のためらいもなく、ノミを打ち込み始めた。
「おいおい……」
声をかけようとしたおっさんだったが、
その刃先の動きに──思わず、言葉を飲んだ。
──それは、見たこともない“継手”だった。
とんでもなく変な形。
合理性も構造力学も、ぶっちゃけ説明がつかない。
けれど、たしかに──
材と材は、吸い込まれるように「パコン」と噛み合い、
……がっちりと固定された。
おっさんは目を丸くし、
「……ユニークすぎるべ……」とつぶやいた。
でも、それはたしかに──
“世界にひとつだけの、セーブルの継手”だった。
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おっさんとセーブルが、材木を前に黙々と手を動かしていた──
その頃、街の東側、小麦畑の向こうでは──
「王都式・初心者冒険訓練プログラム!」
などと、それっぽい名目を掲げた、少女たちの小さな探検が行われていた。
参加者は、トゥエラ、テティス、リリ、
そして王女パステリアーナ。
全員がそれぞれ、
冒険者バッジのような手作りの飾りを胸に付けて、
街の外に広がる林や花畑を元気に駆け回っていた。
とはいえ──
目的地は、街を囲う木製の塀から肉眼で見える範囲内。
依頼内容も、ギルドから正式に許可された
“初心者向け採集クエスト”である。
「こっち、なんかそれっぽい葉っぱあったよー!」
「マジ、ポーション草っぽくない?」
「これは……花びら三枚のパターン。癒し系かも」
「わたくし、こちらの白い花を押し花にしたいですわ!」
楽しげな声が、草花の香る風に乗って広がっていく。
目的は、ポーションの素材となる薬草や花びら。
それに、腹痛や食あたりに効く苦味のある蔓のような植物、さらにはキノコ類や、
地元でも珍しい“鑑賞用植物”の収集など。
一見、地味なクエストではあるが──
娘たちにとっては、すべてが本格的な冒険だった。
トゥエラは草の間に潜む昆虫に「きもいー」と飛びのき、
テティスは毒草に鼻を近づけて「マジくさっ……」とむせ込みながらも、
各自、真剣に植物図鑑と見比べては、丁寧に採集袋へと詰め込んでいく。
王女パステリアーナに至っては、摘んだ花を髪飾りにし、
花畑のど真ん中でくるくると回りながら、
「……ああ、この地の風は、王都より自由ですわね」などと、完全に旅人気分であった。
──その足元には、魔獣の影も、盗賊の気配もない。
けれども、ほんの少しだけ、
草むらの向こうに潜む“何か”の気配が、風にまぎれて忍び寄っていたことに、
まだ誰も気づいていなかった。
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いち早く気がついたのは、テティスである。
彼女は、信頼できる装備を手に入れから、
魔法への不安感がなくなり、結界魔法を常時行使していてもへっちゃらになったのだ。
草を踏み分けて歩く4人の冒険者ごっこ一行。
…そのとき、テティスの額に汗が滲んだ。
「ん……? この感じ……」
彼女だけが感じる微かな圧。
結界魔法の周囲に、何かが干渉している。
トゥエラがしゃがみ込んでキノコを観察していた。
「ねえ、これたべれるやつかなー?」
パステルも屈みながら…
「あら、意外と可愛い見た目ですわね♪」
テティスは足を止め、片手で魔力を操る。
微かに光る結界の輪郭が、草むらの向こうで歪んでいた。
「くるよ。なにか、いる。」
──
草むらから飛び出して来たのは、
大きなカエルだった。
普通であれば少女たちは押し潰される危険もあったが、4人を囲う見えないテントのような結界の上に張り付き、全貌を露わにした。
「キモい! まじキモすぎ! 無理なんですけど!?」
──テティスが叫びながら一歩後ろに下がる。
だが、結界があるため、相手はこちらに触れることすらできない。
それが逆に「じっと見てしまう」時間を作り出してしまっていた。
「うわ〜……ぬるぬるしてるねー」
トゥエラはどこか楽しそうに、興味津々で見上げている。
「わ、私の勇者様の……偽物ですか!? ええい!まがい物め!」
パステルはカエルと目が合ったとたん、勝手におっさんと見間違えたらしく、
杖を振り上げて詠唱に入ろうとする。
そのとき──
「ピーガガァーッ!!」
FAXの通信音と共に、リリの手に書類が現れそれに目を通して一言。
「これは…かなり希少な食材ですね」
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巨大カエルは、
体中からローションのようなぬるぬる粘液を、
とめどなく撒き散らしていた。
足元の草花は瞬く間に溶け、
地面には光沢のある水たまりが広がってゆく。
「こっちみんなって〜!エグすぎ!」
「とえらがー斬るねー!」
トゥエラが斧を抜き、粘液ごと真っ二つにしようと踏み出した、その瞬間──
「いけません!」
リリが手元に書類を展開し、
素早く目を走らせながら、淡々と告げた。
「……あの粘液。混ざると食材としての価値が失われるそうです。
とても希少な、低温調理に向く“透明筋肉”なんだとか」
「え〜!?じゃ〜燃やしても凍らせてもダメじゃ〜ん!」
テティスがぷっくりほっぺを膨らませる。
そのとき──
「ならば……ここは、私にお任せくださいませ」
静かに一歩前に出たのは、パステリアーナ王女だった。
風になびく美しい金髪と共に、
彼女は首元の黒い石のついたネックレス、
──王家の象徴たる“律令の結印具”を、そっと外す。
それはまるで、
鎖鎌か、分銅武器のように、
長く伸びた鎖がきらりと陽光を反射しながら、
空中を滑るように舞いはじめた。
「王命……此処に在りて、外敵を封ず──」
低く、美しく響く声。
パステルの瞳に、王族の威厳と覚悟が宿る。
振り回される“風呂栓”は、
そのまま空中で曲がり、意志を持つかのようにカエルの背後に回り込むと──
ガシィィンッ!
音もなく、粘液まみれの巨体を縛り上げた。
まるで見えない檻に封じられたかのように、
巨大カエルはピクリとも動けなくなっていた。