★第八章 第一話
凶報の届いたバーベキュー大会から、
幾日かが過ぎ去った。
おっさんはちゃぶ台の上で、カリカリと筆を走らせている。
気候は徐々に夏めいてきて、エアコンが活躍し始める。
猫はウッドデッキの上で、
まるで自分が太陽電池ででもあるかのように、
ゴロンと横たわって光合成を始めた。
一方その頃──
暇を持て余した娘たちとリリ、
そして王女パステルまでもが、
ギルドで“冒険者ごっこ”を始めていた。
とはいえ、危険な依頼は受けさせていない。
採取や調査の類に限定された、
いわゆる「お使いクエスト」ばかりだ。
だが、本人たちは真剣そのもの。
「魔獣の足跡、発見しましたっ!」
「きっとこれは、Sランクの予兆っしょ〜!」
今日も元気に、子供と王女と受付嬢が、
小麦畑のあぜ道を駆け回っている。
──
おっさんは、平屋が好きだ。
2階でも3階でも、高層ビルだって、
建てようと思えば建てられる。
だが──
「住むなら平屋。だっぱい。」
そんなことをブツブツ呟きながら、
ちゃぶ台に広げたスケッチブックに、黙々と鉛筆を走らせている。
結局、兵士たち四名と近衛騎士一名には、
王都から緊急招集がかかり、帰還することになった。
馬車で戻るにはあまりに手間も時間もかかるだろう──
そう判断したおっさんは、
イケメン騎士に軽自動車を一台宛がった。
当然、初運転では危なかろうと、
数日かけて敷地内で実技練習も済ませてある。
「クラッチはゆっくりだぞ」
「信号は無いけど心の一時停止な」などと、
まるで田舎の親父のように教え込んでいた。
そして出発の朝。
「困ったことがあれば連絡しろ」と渡したのは──
今や懐かしい、プリペイド式の携帯電話。
異世界ではあったが、どうやら一応使えるようだった。
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残ったひとりの近衛騎士。
その役割は──もちろん、王女殿下の護衛なのだが……
実際のところ、あまり仕事がない。
というのも──
トゥエラとテティスが、
あまりにも最強すぎるからである。
人口が増え、にわかに発展し始めたこの街では、
やはり“良からぬ考え”の輩もちらほら現れるのだが──
トゥエラが「きらいー」と言って軽く突き飛ばせば、
そのまま10メートルほど吹っ飛び、
テティスが「マジうざいから」と呟けば、
対象は瞬時に膝まで氷漬けとなる。
……そんな状況で、
わざわざ無法を働こうとする者など、
もはや存在しない。
護衛騎士の彼が剣に手をかける場面など、
ほとんど訪れなかった。
だからといって──
長屋で朝から酒を喰らっているわけにもいかず。
最初のうちは、ちびっこたちの後を追い回しては
警護していたのだが……
数日後、彼の心は静かに折れた。
「このままでは、俺はダメになる気がする」と、
おっさんのもとを訪れ、こう願い出た。
「何か……仕事を、ください」
静かだが真剣なその声に、おっさんも思わず頷いてしまう。
そんな彼の名前は──Sable。
実はかなりの剣の使い手であり、
本人いわく「国王様の影」という役職に就いているらしい。
あくまで非公式な立場なのだろう。
語る口ぶりはあくまで謙虚で、冗談めいていたが──
その眼の奥には、確かに“戦場を知る者”の色が宿っていた。
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おっさんは──小学生の頃、
近所の剣道道場に通わされ、毎週竹刀を振っていた。
とはいえ、特に剣の道に目覚めたわけでもなく、
「面!胴っ!」と叫ぶのが恥ずかしい年頃だったこともあり、
あくまで習い事の一つにすぎなかった。
中学に上がると、流れで剣道部へ入部。
だが、気が弱かった少年は──
高圧的な先輩の理不尽なシゴキに耐えられず、
次第に部活から足が遠のいていき……
気づけば、幽霊部員として名簿の隅に残るだけの存在になっていた。
運動という運動が、もともと得意ではなかった。
ボールを投げれば変な方向に飛び、
蹴っても自分が転び、
走ればすぐに息が切れる。
いわゆる──運動音痴、という人種であった。
そんなおっさんではあるが、
唯一自分に合っていたスポーツは、ゴルフであった。
誰とも戦わない。
目の前の自分の結果とだけの勝負。
これが相性が良かったようで、
今朝も解体用の長いバールを振り回し、腰の運動をしていた。
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ふと視線を向けると、
タンクトップにハーフパンツ──完全に夏休みの大学生みたいな格好の、ムキムキ青年がひとり。
……だが、手にしている物は明らかに異常だった。
長い棒の先に、斧と槍のような刃が組み合わさった、鉄の塊。
──見たこともない謎の武器だ。
名前すら思い浮かばない。
それを彼は、片手で、何の苦もなく、ブンブンと振り回していた。
彼は、消えるのだ。
お屋敷の描かれた衝立の前で、
端から端まで一瞬で移動したり、
屋根の高さまで跳んだのかと思えば、
次の瞬間には、地面に槍を突き刺している。
そんな若者を、ポカーンと眺めながら──
「……漫画みてぇだな」と、おっさんはつぶやいた。
そして手元に目を戻すと、
長尺バールをゴルフクラブに見立て、
10メートル先のポイントを狙ったアプローチショットの素振りを再開する。
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一頻り汗を流したおっさんは、
相手の好みなんぞ分からんが、とりあえず冷たいコーヒーを淹れる。
グラスに氷をカランと鳴らしながら、
「若ぇ奴はだいたい甘ぇもん好きだべ」と、
砂糖とミルクもトレーに添えた。
それを片手に──まるで1人頂上決戦みたいな青年へ、声をかける。
「おはようさん〜。ちょっと休んだらどうで?」
見上げた先、
上空を飛び交っていたはずのその姿は──
既に目の前に立っていた。
「……はえぇな、おい」
思わず笑って、
「豆さ搾った、ちょいと苦い水なんだが……砂糖とかも欲しけりゃあるぞ」と、
グラスを手渡す。
青年は一口啜り──
「なんと……このような飲み物があるのですか!」
と、目を輝かせた。
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話をして驚いた。
彼は──昨夜の夕食のあと、誰にも告げず、ずっとこの場で仮想の敵と戦い続けていたらしい。
「一晩中……け?」
おっさんも、夜間の緊急工事なんてのは何度も経験がある。
だが、殺し合いを想定した訓練を、朝まで一切の息乱しもせずやり通すなど──
それはもう、別の生き物に見えた。
タンクトップのシャツは、すっかり汗で濡れそぼっていたが──
それは妙に清々しく、嫌な臭いなどまるで感じなかった。
「そんなに退屈なら……でえくでもやっけ?」
おっさんは、持て余した力の向かい先が、
間違った方向へ向かわぬよう──
心から案じていた。
「ダーク……ですか?」
その言葉を聞いた青年──セーブルは、すこしだけ目を見開いた。
彼はすでに、“王国の影”として──
やむを得ない暗殺や、密偵。
さらには誘拐された人々の救出といった、
決して歴史には記されない裏の仕事を、
幼き頃より叩き込まれ、実践してきた。
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「大工はいいぞ。
てめえが作ったもんが、地図に残る。
んで、みんなが嬉しそうに使ってくれるんだ」
そう言って、おっさんは腰袋から──
かつて樹海で伐り出した、手頃な丸太を取り出す。
チェーンソーで切り出し、ノミで形を削り、カンナで整える。
わずかな時間で──セーブルが使っていた武器に似た“木刀”を、手作業で作り上げてしまった。
先端の槍も、斧の刃も──すべて一本の木でできている。
見た目は土産物みたいなおもちゃだ。
……それが熟練の騎士に通用するとは、普通は思わない。
けれど──
「そりゃっ」
と、おっさんが振り抜いたその一撃で、
セーブルの槍斧は、
音もなく、真っ二つに断ち割られていた。
──
「やば!…申し訳ない……」
うっかり壊してしまった武器を拾い、
「溶接で治るべか…?」
と気を揉んでいると、
「私を……ダークにして下さい!!」
彼は、おっさんが簡易的に作った木刀を握りしめて、決意したのであった。