第三十五話
王女様とは別の寝室で、
娘ふたりに挟まれて眠ったおっさん。
気がつけば、朝を迎えていた。
──いや、窓の外は相変わらず真っ白な空間。
朝も夜もないこの神域では、
完全に“感覚”によるものだ。
絡みついていたトゥエラとテティスをそ〜っと剥がしながら、リビングへ向かうと──
すでにリリがコーヒーを淹れてくれていた。
「ありがとなぁ……」
湯気の立つカップを受け取りながら、
昨夜の様子を聞いてみると──
やはり、姫様は“風呂の入り方”すらおぼつかなかったらしく、
結局リリが一緒に入浴し、身体を洗ってやったのだとか。
「シャンプーとリンスとは素晴らしいものですね。
乾かしたら、まっすぐさらさらになって見違える様でした。」
本人も鏡見て感激していたそうだ。
そう微笑むリリに対し、
さらに衝撃だったのが──“トイレ”での顛末である。
ビデの使い方を教えた際には、
「お、おやめください〜〜っ! あぁ〜〜〜だれか〜〜〜!」
と、姫様は羞恥で顔を真っ赤にして助けを求めたらしい。
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おっさんは、今さらながらに知ったのだが──
王女様の名前は、「パステリアーナ」と言うらしい。
由緒ある、気品と響きを備えた名である。
けれど、すでにリリとはすっかり打ち解けたようで、
姫からは「パステル」の愛称で呼ぶように言われているのだとか。
なんとも微笑ましい話である。
リリは書類魔法を使い、王都の冒険者ギルドを経由して、
王宮へと「姫君は無事で安全に保護されている」
という報告を届けておいたそうだ。
なお、相手方は同じ魔法の術式を持たぬため、
返信は来ないのだという。
……が、少なくとも、向こうに“情報が届いた”という安心感はある。
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娘達も起きてきて、
昨夜の楽しかった思い出をリリに聞かせていた。
DDRはさすがに置いてなかったのだが、
リズム系ゲームや、クレーンゲームに夢中になる子供達は、なんともめんこかった。
ややあって、リリが王女様を起こしに行き、寝室から連れ出してきた。
煌びやかなドレスのまま寝ることはあるまい。とは思っていたが、現れたお姫様は……
なんとパジャマ姿だった。
この身体のどこに、昨日の満貫全席が納まったのか──
そう思わずにはいられない、細身ながらもメリハリのあるシルエットに、
おっさんは一瞬、息を忘れそうになるのだった。
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初対面となるトゥエラとテティスは、
人族の街で育ったわけではない所以か──
「貴族や王族は恐れ多く敬わねばならない」
などという常識を、そもそも持ち合わせていなかった。
王女殿下にキャイキャイとはしゃぎながらまとわりつき、
あろうことかタメ口で、まるで友達のように話し始めたのである。
「おねーちゃんあそぼー」
「てか姫、マジ姫じゃん!バチクソかわい〜〜んだけど!?」
リリが慌てて止めようとするも、お姫様は気さくに、子供達の相手を始めた。
……まあ、見た目だけで言えば、その美貌は現実離れしているとはいえ、
今の彼女は、金髪のパジャマ少女。
「外国から来た留学生」と言われても、そう不思議ではない姿である。
「王女様、朝食はどのような物を好まれますか?」
と、おっさんは伺うが…
「私の勇者様? ……普段のように喋ってくださいましな。
昨夜、しっかり聞こえてましたのよ? “訛り”も、ぜーんぶ」
優しく微笑む姫に、おっさんは観念して肩を竦めた。
「んだば──うめぇもんでも食いさいっぺか?」
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今朝は、「頂」での朝食予約は入れていない。
となれば、何処かのレストランへ行くか──あるいは、おっさんがまた腕を振るうか、という二択になる。
しかし、もし姫様の昨夜の食欲が“普通”であるなら──
ぜひ、あのビュッフェに案内してみたいところだ。
提案してみると、娘たちは声を揃えて「いくいくー!」と大喜び。
姫も、「喜んでお供いたしますわ」と、優しく微笑んだ。
「姫様にはちょっとアレかもしれんが、自分で食いたいもんを好きなだけ皿に取る食事でな」
移動しながら、おっさんはビュッフェスタイルの食事について説明する。
メイドも給仕もいないレストラン。
とはいえ、おっさんもフォローはするつもりだが──
本人が“好きにやってみる”のも、
案外おもしろいのかもしれない。
フロントで人数分の朝食チケットを受け取ったおっさんは、
「ほれ、ちゃんと持っておけよ〜」
と一人一人に渡しながら、
娘たちと姫様を引き連れて、朝食会場へ向かう。
エレベーターの扉が開き、朝の光が差し込むフロアへ出れば──
そこには、まるで“世界の料理祭典”とでも呼びたくなるほどの、
豪華絢爛な料理の大海原が広がっていた。
湯気を上げるスープ鍋、
ジュウジュウ音を立てる鉄板、
ガラスのショーケースには色とりどりのフルーツや
宝石のようなスイーツ。
ラディアンス・ホールと銘打たれたこの朝食会場は、
名の通り、朝の光に満ちた“輝きの間”だった。
ガラス張りの空間には、島の外縁まで見渡せる絶景の食事席がずらりと並び、
外へ出れば、潮風を浴びながら食事が楽しめる開放的なテラス席も用意されている。
料理はこの島の名産品や海の幸はもちろん、
世界中の趣向を凝らしたメニューが並んでおり──
中には、おっさんの胃袋を刺激するような、
素朴な「蕎麦」や「うどん」なんかも、
しっかりとスタンバっていた。
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真っ白な虚無の空間のはずが、どういう訳か…
眼前には五島列島の美しい海が一面に広がっていた。
……この絶景は、
女神像たちからのサービスなのだろうか?
今回はリリがしっかり指揮をとってくれたおかげで、
立食パーティーのような騒がしさにはならず、
料理はテラス席へと丁寧に運ばれ──
全員、きちんと椅子に腰を下ろし、海を眺めながらの優雅な朝食となった。
姫様を“娘”のように扱うと心に決めたおっさんは、
どこかホッとしたのか、すっかり気が緩み──
「どっかに酒ぐれぇ、あるんでねぇが……?」
と、朝食会場には無いはずのアルコールコーナーを探し出し、
トレーに置ききれないほどの酒を注いだグラスを並べて、テラスへと向かう。
普通なら、料理を載せるトレーは“一人一枚”が限度だ。
だが──女性陣は違った。
テティスの魔法で、料理を乗せた皿たちが宙にふわりと浮かび、
空中を行進するように追従してくると──
「やったー!美味しそうだね〜♪」と、
皆で喝采をあげながらテラスへ向かっていく。
魔力など微塵も持たないおっさんは、その光景を目を丸くして見送りつつ──
「……はぁ、うらやましいこって」
両手のトレーに酒をぎっしりと載せ、
こぼさぬよう…慎重なすり足で、ゆっくりと皆の後を追いかけるのであった。