第十五話 あんちゅーだっぺ
モーニングを済ませたら、今日もピクニックだ。
その前にムカデの解体を済ませ、
1キロ単位のブロック肉に分けて冷凍していく。
数えてみれば、合計で200個。
──生涯分の甘海老なのではないだろうか。
プレハブも片付け、トゥエラを先頭に歩き始めると……
のそのそと、後ろからジャガーが付いてくる。
「なんだ? まだ足りねえんけ?」
と声をかけるも、ツンとそっぽを向き、
数多い脚で器用に顎を掻いている。
まぁいいか、とうっちゃって歩き出す。
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それからどのくらい歩いたか…
暫くは我慢して、
娘のあとを追っていたのだが、
悪意を感じる鬱蒼とした景色に…
イラっときた。
「めんごいから、こっちゃさこぅ」
と、トゥエラを天ぐるまっこしてやり…
「ずねー木、どこさあるんでぇ?」
と森を睨むと…
ザ…ザザ…ズザザザザザザザザ!
森が割れた。
いや…なんというか…
おっさん、モーゼじゃないんだが。
地平線が見えるほど良くなった視界に、
その遥か向こうに、
空高く聳える。
『木』 があった。
これは……
遥か昔、父親に連れられて見た。
横浜ランドマークタワー。
地面から見上げても先が霞むような、
あのビルを思わせる高さと存在感。
「……ずねーんでねんでねえの……」
思わず口から漏れたのは、半分ため息、半分呆れ。
目の前の巨木は、
まるでこの森の王様のように静かに、
だが絶対的な存在感を放っていた。
その根元には、異様なほど巨大なうろ。
洞窟でもなく、谷でもなく──『木のうろ』だ。
黒くぽっかりと開いたその穴は、
光さえ飲み込んでしまうほど深く、底が見えない。
まるで、森の心臓へと繋がっているかのようだ。
おっさんは、いつもの現場仕事の延長で、
つい「足場組めるべか?」などと頭を巡らせたが……
「いやいや、そういう話じゃねーべ」
と自分でツッコミを入れる。
その隣では、
トゥエラがきゃっきゃと飛び跳ねながら、
「おーきーきあったー!」
無邪気に叫ぶ。
怖さなんてカケラも無いようだ。
「……ちょっと、入ってみっか……」
心のどこかで「やめとけ」と誰かが囁いたが、
もう手遅れだった。
おっさんはトゥエラの頭をポンと叩き、
「いぐべ、おめー先さ行くなよー?」
と軽口を叩きながら、
腰袋から懐中電灯と安全ヘルメットを取り出す。
目の前には、
見上げるだけで胃がキュッとなるような、
暗く深い未知の世界。
森の空気が、さっきまでより少しだけ冷たく感じた。
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後ろを振り返ると、
ジャガーは丸くなってゴロンと寝転がっていた。
この巨大なうろには、まるで興味がないらしい。
まぁ猫は、暗くて狭いところが好きそうでいて、
時々まったく逆のことをする。
「時間かかるかもだべしな」
そう呟くと、
おっさんは洗面器いっぱいのカリカリを置いてやった。
これで文句はないだろう。
まずは安全確認だ。
腰袋から鉄釘を一本取り出し、
ダーツの要領で、暗闇の中にシュン!と投げ込む。
──カキン!
硬質な反響音が戻ってくる。
何も起こらない。
よし、大丈夫だべ。
おっさんは娘の小さな手をギュッと握り、
恐る恐るうろの中へと足を踏み入れる。
……その瞬間。
視界がぐにゃりと歪み、
地面が消えるような感覚に襲われた。
まるで高速エレベーターに乗った時のような、
あのふわりとした浮遊感。
「あっ……これヤベーやつか?」
言葉にする暇もなく、
二人の身体は闇に飲み込まれた。
娘の細い腕をぐいと引き寄せ、
おっさんは現場仕込みの反射で身構える。
──数秒間の、暗転。
……そして、唐突に差し込む眩い光。
目が慣れる間もなく、
視界一面に、果てしない空が広がっていた。
「あんちゅーだっぺ……」
呆けた声が漏れる。
そこは、巨木の頂上付近。
信じがたい高さから見下ろす、緑の絨毯。
遥か遠く、かすかに湾曲した地平線が見える。
この森は、間違いなく一つの大陸であり、
この世界は、間違いなく──惑星だった。
ほんの数秒前まで、
地べたでうろうろしていたおっさんたちは、
今や、天空に突き刺さる塔のてっぺんに立っていた。