第三十三話
七柱の女神像達は……
空を仰ぎながらポカーンとしていた。
──そりゃまあ、自分たちより遥かにデカい建物が、
いきなり目の前に現れたのだから無理もない。
「女神さんよう、ちゃんと明日の朝には帰れるようにしといてな〜」
軽くお願いをしつつ、
おっさんはお姫様に手を差し出し、
エスコートの真似事をする。
「こういうことには、あまり慣れてませんけん……どうかご容赦くださいませ。」
できるだけ訛りが出ないように気をつけながら、
相変わらず誰もいないフロントカウンターへ向かい、
目的の部屋の鍵を預かる。
さて、夕食をどうするか──と思案する。
レストランや大浴場へ姫様を引っ張り回すのは、
さすがに野暮ってもんだ。
こういう時は、やっぱり部屋で全てが完結するのがスマートってもんだっぺ。
それにもう、夜も更け始めている。
重たい肉料理やピザみたいなガッツリ飯も、
ちょっと違う気がする。
そうなると……アレだ!
おっさんは、フロントに“とあるサービス”を手配すると、
姫様を連れて、本館エレベーターへと向かう。
以前、家族で泊まった別館最上階の
“アクアリウムスイートルーム”も考えたが──
あそこは別館、ちょっと歩かせすぎる。
できるだけ近く、そして申し分ない格式を備えた部屋となると……
本館最上階、
ブルーラグーンビュッフェの一つ下のフロアにある
スイートルーム──
Midnight Celestialに案内する。
カードキーで解錠し、重厚な扉を開けば──短いエントランスの先に…
夜の空をイメージした、
落ち着きと気品を感じるリビングルーム。
床は深いネイビーブルーに淡く模様が走るカーペット。
天井は天の川を模した光ファイバー照明。
ソファは濃紺のベルベット張りで、
腰を下ろせば吸い込まれるような沈み心地。
テーブルには、既にウェルカムドリンクと冷えた果物がセッティングされており、
柔らかな照明がグラスの縁をきらめかせていた。
「まぁ!まぁ…なんと美しく気品のあるお部屋なのでしょう!?
王宮にもこのようなお部屋はございませんわ」
姫様が感激してキョロキョロと部屋を見て回る。
今のうちに、と思いバスルームやトイレの使い方を説明するのだが…
普段は恐らく、メイド的な従者がいて、
風呂もトイレも世話を焼いてもらってるのであろう、体の洗い方もわからないのかもしれない…
しばらく感嘆の声を上げながらおっさんの後をついて来ていたが、
バスルームの説明を受けると、扉の前でぴたりと足を止めた。
「……まぁ、こちらが浴室? こんな大きなお風呂が一人用とは……なんて贅沢なのかしら……」
ガラス張りの湯船の前で首を傾げたり、
操作盤をじーっと見つめたり──
「これは……どうやってお湯を呼ぶのですの?
あっ、押してもよろしいの? ポチッ」
しゅごぉぉぉぉ……
派手な音を立てて湯張りが始まり、姫様はわたわたとおっさんの背に隠れた。
「わっ……あ、あら、あら……!? びっくりしましたわ……」
まさか、一国の王女様を裸に剥いて、おっさんが洗ってやる訳にもいくまい…
とりあえず食事を済ませて、リリでも引っ張って来るしか方法はあるまい。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
そうこうしていると──
「リーン……」
という、涼やかなインターフォンの音色が室内に響いた。
まるで銀風鈴のようで、
どこか心を和ませる、耳に心地良い音。
こんなSE一つにもこだわりが詰まっていた。
──あれはたしか、ホテル設計の最終段階。
「どうせ鳴らすなら、耳に優しい音がいいんでないのけ?」
という一言から始まり……
わざわざ国境を越えて、カナダの自然公園に赴き、
そこで偶然見つけた希少種の天然記念物・硝子玉蟲の鳴き声を、
録音機材持参で3日張り込みして採取。
その音源を元に、エフェクターで音質を加工して、
わずか一瞬の「チリン」に全力を注いだという、意味不明の情熱の産物である。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
ドアの向こうには、大きなワゴンが届いていた。
おっさんはそれをリビングの中央へと運び、手際よく配膳してゆく。
ここ数日、気温が上がり、少々汗ばむ陽気が続いていた。
そんな夜にはぴったりの——
いや、量はちょっと尋常じゃないが——
まるで“満貫全席”のような豪華絢爛な冷やし中華が、
煌びやかな小皿の上にズラリと並んでいた。
「なんと……なんとお美しい料理なのでございましょう!?」
またしても、感激に打ち震える姫様。
目元をうるませながら、冷やし中華の万華鏡のような盛り付けに見惚れている。
──が、そのドレスに酢醤油でも跳ねてしまった日には、後々面倒ごとになりかねない。
そこでおっさんは、ワゴンに同封されていた紙エプロンを手に取り、そっと姫様の首元にまわして結ぶ。
「すんませんな、ちと失礼を……」
ガラス細工のような涼しげな器に、ほんの少しずつ──
具材の彩りが崩れぬよう、できるだけ丁寧に盛り付けていく。
まるでかき氷をすくうような手つきで、麺と具材を盛った一皿が完成。
それを姫様の前にそっと置くと、
「では、どうぞ──暑い日が続きましたので、冷涼な麺料理を用意してみました。」
と、軽く頭を下げた。
──異世界の姫君が、冷やし中華を一口頬張る。
次の瞬間──
「……ッッ!!」
その表情に浮かんだ驚愕と感動を爆発させた破顔は…
王族としての品格を一瞬だけ吹き飛ばすに充分だった。