第三十二話
要するにこれは、チンピラの類である。
じりじりとおっさんを、後方まで囲み切り、
ナイフやら棍棒やらをチラつかせて威嚇してくる。
石像がもし居合わせていたならば、
こんな10人かそこらのチンピラ、一瞬で爆死しそうなもんだが…
元いじめられっ子とはいえ、
この異世界に来てから、大型車や、飛行機のような巨大な化け物達を、
腰袋の道具を駆使し、
食肉にしてきたおっさんである。
バールの様な物でも取り出して振り回せば、
きっと簡単に殺ってしまうであろう。
だが、こんな輩でも、この街にとっては貴重な働き手であり、力仕事や狩りでもさせれば、街の財産となり得る。
簡単に殺していい物では無い。
とりあえず、手の骨でも砕いて、戦意を喪失させればいいのだろうか…
だが待てよ。
中途半端な制裁を加え、逆恨みを受けて…
リリ達に危害でも及んだ日には……
いろいろと最悪の事態を想定し、
どうするべきかを悩んでいると…
チンピラ達は、
おっさんが怖気付いていると勘違いしたのか、
脅し口調で金を無心してくる。
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そんな時だった。
突如現れた──全身に鎧をまとった、二人の乱入者。
彼らは言葉もなく、立派な大剣の腹でチンピラたちをなぎ払い、瞬く間にその場を鎮圧してゆく…
殺気立ち、どよめく無法者たち。
中には、逃げ出そうと背を向ける者もいた。
「……おっと、逃がすと後が面倒だっぺ」
おっさんは、腰袋から1メートル級の家屋解体用バールを引っ張り出すと──
脚を狙って薙ぎ払い、逃走を阻止。
ずだん!という重たい音とともに、何人かが地面に転がった。
──乱闘騒ぎののち……沈黙。
倒れ伏す集団。
立ち尽くすおっさん。
そして遠くから、
月明かりを浴びた純白の馬車が、静かに近づいてくる。
その最前列で──
鎧に身を包んだ顔も見えない騎士達が、
音もなくおっさんの前に跪き、頭を垂れた。
訳もわからず、首を傾げる酔っ払いのおっさん。
静まり返る路地。
それらを不気味に照らす、赤い月。
不穏で、不条理で、そしてどこか異様な……
そんなカオスが、夜の街を包み込んでいた。
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目の前の騎士風の鎧は、どことなく見覚えがあった。
王都でギルドの仕事として、騎士団の建物へ立ち入った時、同じ様な鎧姿の男達が大勢いた。
目の前の彼らは、それよりも洗練された立派で品のある甲冑に見えるが…
向こうのほうから、馬車を追い越し走ってくる数名の新たな騎士達。
こちらは、一段見劣りする、顔も見えている普通っぽい軽鎧の男達。
彼らは縄のようなもので、
チンピラ達を縛り上げていった。
やがて、遠目に見えていた、煌びやかで豪華な馬車が…おっさんの前方まで来ると、
ゆったりと停車する。
馬を操っていた御者が、馬車の扉を恭しく開き…
中から現れたのは……
いつぞや見た、王城のバルコニーの姫君だった。
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「ああ……ついに、お会いできましたわ、我が勇者様──」
うら若く、それでいてどこか艶やかな少女が、ためらいもなく酒臭いおっさんに抱きついてくる。
柔らかな胸元が押し当てられ、
おっさんは反射的に背筋を伸ばした。
推定、王族。
手でおっぺし返す訳にもいかず、
ただオロオロと困り果てていると……
最初に現れた鎧姿の二人が、慌てて兜を脱ぎ捨て、おっさんに向かって駆け寄ってきた。
「姫様っ!いけません!」
「いくらお相手が侯爵閣下とはいえ、このような街中では──!」
──いやいや、待て待て。
次々と飛び交う不穏な単語におっさんの思考が追いつかない中、
ようやく体を離してくれた少女に向かって、恐る恐る声をかける。
「……あの、どちら様かと勘違いしてませんか? オレ、大工なんですけど……」
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チンピラ十数人は、縄で互いを繋がれたまま、どこかへと連行されていった。
場に残されたのは──
ぽかんと立ち尽くすおっさんと、
豪奢なドレスを纏った姫君、そして彼女を警護する騎士ふたり。
御者は馬車の影へ姿を消し、もはや気配すら感じない。
「……で、えっと、何がどうなってこうなって?」
とりあえず、騎士の一人を通訳代わりに、
姫様の事情を伺ってみると──
なんとも驚きの話が飛び出した。
──あの日。
おっさんが王都の自宅で、
突如飛び込んできたワイバーンを叩き落とし、
酔っ払いのような男を捕縛した出来事。
あの暴漢じみた男は、
実はこの姫君のストーカーだったらしい。
しかも、ただの変質者というわけではない。
一応は名家の貴族であるため、王家も対応に頭を悩ませていたという。
そんな折、ついにその男は姫の私室にまで押し入り──
王家の証たる「鎮魂の首飾り」を奪って逃走。
「奪われたままであれば、私は……王族の籍すら剥奪されていたかもしれませんの……!」
震える声でそう語る姫の瞳に、薄く涙が滲む。
あの時、おっさんが偶然にも“ワイバーンごと”撃墜していなければ──
今この場には、別の未来が待っていたのかもしれない。
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ちなみに姫曰く、
「王位継承権は第二位でして。頼りになる兄がいますので、私などは自由なものなのです」
……などと、とんでもないことをサラッと告白されてしまった。
いやいやいや。
万が一、兄君に何かあった場合、次の女王になるお方なんでしょうが!
おっさんは過去、仕事ぶりを評価され、
総理大臣からペナントのような物を頂いたり…
皇居内のトイレの詰まりを治したこともある。
確かに、身分の違う方々と話す機会はあった。
……が、それはあくまで、職人とクライアントという関係性であって——
抱きつかれたのは、初めてである。
おっさんはギルドに戻るべく、騎士たちに訊ねた。
「姫様の泊まるとこは……確保してるんだっぺか?」
だが、返ってきたのは申し訳なさそうな表情と首振りだった。
この街にあるのは、せいぜい冒険者向けの安宿。迎賓館のような施設は、影も形もない。」
「ま、まさか……馬車の中ってわけにも……!」
慌てふためく騎士たち。
「どうしたもんでしょう……」と、おっさんに泣きついてくる。
おっさんは知っている。
なにせラノベ好きである。
こういう時、王族のお姫様を迎えるのに必要なのは——
ベッドや風呂、トイレといった“機能”ではない。
「身分相応の格式」だ。
仮に貴族が納める立派な屋敷でもあれば話は早い。
だが、この街はホビット族の街。
必要最低限の設備こそあれ、
そういった「象徴的施設」は、ゼロ。だ。
──どうすんだ、これ?
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ましてや現時刻は……感覚的にだが、そろそろ寝る時間だ。
いくら凄腕の職人でも、一瞬で客間を拵えることなど出来るはずもない。
おっさんは、脳内で全力で思考する。
(あのリゾートホテル……あれが出せれば、
姫様を泊めるにしたって完璧なんだけどな……)
そう、実は可能なのだ。
場所さえあれば、例の“リゾートホテル”を丸ごと召喚することができる。
だが——。
このホビットの街において、そんなものを展開できる十分な空き地など、存在しない。
仮にギルドや役所の真ん前でやったとしても、
“スイートルームだけ召喚出来たとしても、それに繋がる廊下や施設まで必要になる”ため、
結局“全体召喚”じゃないと成立しないのだ。
「ダメだ……立地が足りん……!」
と、そこまで考えて、おっさんはようやく思い出す。
とても広く、安全で、
魔法的に隔絶され、
しかも“時間すら動かない”という、あの空間——
──女神像ルームを。
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おっさんは、近衛騎士たちに姫様の安全と貞操についてしっかりと確約を取り──
一晩預かることにした。
……そして、こんな場合に…
「お姫様を“お姫様抱っこ”した場合、
それは何抱っこになるのか」という哲学的問いが脳裏をよぎる。
だが、今はそれどころじゃない。
とにかく、抱き上げる。
そして──
「うおらァ!」
全力のBダッシュで街の中心へと走り出す。
向かう先は、あの謎の神殿──女神像の間。
途中、姫のスカートがひらめこうが、
誰かがぎょっとしようが、関係ない。
だってこれは「国家の危機」なのだから。
神殿にたどり着いたおっさんは、
そのまま螺旋状に浮かぶ石段を、
まるで赤いオーバーオールの配管工の如く、ジャンプでひょいひょいと駆け下りる。
「ヒャッホー!」
──到着したのは、静謐な白の空間。
整然と並ぶ、七柱の女神像たちが口を開く。
「おぉ、おっさんよ──山脈での調整、見事であっt──」
「明日にしてくんちぇ!!」
すかさず叫び、女神たちの言葉を押し切る。
そして、次の瞬間──
ずどどどどどーん!!
おっさんの腰袋から飛び出したのは、あの大自然の孤島に建つ、最上級シーサイドリゾートホテル──
名を、「Sanctuary」
スイートルームに、床水槽完備。
天然温泉にルームサービス。
まるで地球の五つ星をそのまま引きちぎって持ってきたような豪奢さ。
真っ白な空間に、いきなりそびえ立つそれを見て、
姫様はポカンと口を開け、立ち尽くした。
「お姫様、ようこそ。今日からここが、あんたの寝床だ」
おっさんは、そうニヤリと笑って告げた。
──王族なんぞ迎えたことはない。
だが、快適な宿を提供するのは、大工としての務めだ。
異世界でも、地球でも、それは変わらない。