第二十九話
おっさんは朝飯の支度のため、
囲炉裏のある居間から、
一段降りた土間の炊事場へと来た。
よく乾燥した薪が積まれ、かまどもあるのだが…
これも雰囲気作りの為のフェイクであり、
実は上に居座る立派な羽釜っぽい鍋は、
最新型調理家電である。
研いだ米を羽釜の下段に、切った具材を上段に。
そして調味料トレーは携帯アプリと連動しており、
指示通りの分量をいれておけば…
カレーと炊き立てご飯が勝手に完成する。
支度が済んだら朝風呂だ。
昨夜は酔ってそのまま寝てしまった為、
メシの前に汗を流したかった。
ギシギシと軋む薄暗い廊下を歩き、
年季の入った木戸を開けば…
普通の洗面所とユニットバスである。
ここばかりは、古めかしさが快適性を超えることが難しく、妥協せざるおえなかった。
しかし…と
ホビット族の元で腕に覚えさせた、ストーンウッドを持ち居れば、もしくは実現できるかもしれない。
などと、頭の中に絵を描くおっさんであった。
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朝食を終えた一行は、ゆるやかに下山の準備を始めていたが、
おっさんだけは、半日ほど時間をもらい、ひとり鳥居のもとへ向かっていた。
ぐるりと一周、鳥居の根元を回り込む。
──その足跡の後ろには、生えたように仮設足場が立ち上がる。
腰袋チートの力もあれど、
この男自身もまた、もはや人ならざる職人の域に足を踏み入れつつある。
割れた丸太の傷に、防腐剤をじっくりと染み込ませる。
細かなヒビにはパテを詰め、
深く入った裂け目には、寸分違わぬ精度で切り出した木片を埋め込んでゆく。
さらに、木割れがそれ以上進まぬよう──
蝶の羽のような形をした**「ちぎり」**を用意し、
鳥居の側にも対応する彫り込みを施す。
接着剤を塗布し、「カチリ」と収まる音とともに、それを打ち込んだ。
おっさんの手が止まることはない。
粗方の補修が終われば、
ブインブインを取り出し、表面を滑らかに削り上げる。
最後に、防虫防腐剤入りの塗料を、
幾度も塗り重ねることで、かつての鮮やかさを超える朱塗りの彩が甦っていく。
足場を解体し、引いた視線で見上げた先——
そこには、見違えるほどに整えられた真紅の大鳥居が、
傾き始めた陽の光を背に、堂々と聳え立っていた。
まるで、
幾千年の時を越え、再びその役目を果たし始めたかのように——。
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社は、もともと存在しなかった。
もし今ここで建て始めてしまえば——
数日間は完全に大工モードへと突入してしまうだろう。
おっさんは、それを自分でよく分かっていた。
だからこそ。
鳥居の先、日の光が差し込む小さな空間に——
子猫サイズの猫ちぐらをひとつ、そっと据え置く。
かつて、工務店主催のバザーのために拵えた逸品だ。
これが今のところの、
「白猫神社」仮設本殿である。
おっさんは軽く手を合わせ、静かに一礼した。
そして、
腰袋チートの力を使って、古民家をぱたぱたと仕舞い込み、
家族たちの待つ、花畑へと向かっていった。
朝の神域に、風がひとすじ、吹き抜けた。
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帰り道はまた、
あの暴風雪の中を、
魔法のエスカレーターで降りるものとばかり思っていた。
だが、みーちゃんが、ふにゃっと言った。
「送ってやるにゃ〜」
そう言って背中を差し出し、
「そこに手を置け」と示す。
おっさんと家族三人で、白猫の背中に手を重ねた——
その瞬間。
「ドドーーーン!!」
と、あたりの空気が震えた。
みーちゃんの身体が突如巨大化し、
おっさん達は、
その首元に張りつくノミのように………?
いや、違う。
これは……猫がでかくなったのではない。
こっちが——縮んだのだ。
花畑を背に置き去りにして、
白猫は、真っ逆さまに雲の海へと飛び込んだ。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」
覚悟を決めて、
おっさんは家族を抱き寄せる。
そして、
まるでロープのように太くしなやかな猫毛に、必死でしがみつく。
一瞬の浮遊感。
重力すらも置き去りにするような“跳躍”ののち——
目に映ったのは、
遥か高く聳える、後方の山脈。
そして、食材を求めて歩いた、広大なる森の全景だった。
みーちゃんは、雲海を翔ける“始祖の猫”。
その背に乗る、おっさんたちの旅は——
いま、再び地上へ向かっていた。
地上がグングン迫る中、
伸身ユルチェンコ3回ひねりで華麗に着地する白猫。
が…背中の乗客達の被害は甚大であった。
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いつの間にか元のサイズに戻っていたおっさん達は、地面に転がり青い顔で目を回していた。
暫しの休憩後、ようやく酩酊状態から回復し、
フラフラと起き上がる大人達。
トゥエラとテティスは、
「たのしかったー」
「まじウケるし〜」
とへっちゃらな様子。
リリなどはメガネが傾き、頭はボサボサ。
フォーマルなジャケットもはだけて、まるで徹夜明けのゾンビ社員みたいだった。
いつもの五人乗りトラックを、腰袋から展開する。
ズシン!と地面に着地した運転席に乗り込み、一行はホビットの街へと向けて出発しようとした。
…と、そこで、
いつの間にか、スタイリッシュな短毛白猫に戻っていたみーちゃんも、当然のように助手席のドアをカリカリと引っかいてくる。
「みーちゃんも、一緒に来るんけ?」
問いかけるおっさんに、返ってきたのは——
山頂で見せた“始祖”としての尊大な雰囲気とは打って変わった、
「にゃ〜」という、ただの猫っぽい鳴き声。
そして彼女は、するりと車内に入り込み、
トゥエラの膝の上で小さく丸まった。
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ガタポコと、整備もされていない野山を走るトラック。
途中、キラリと光る湿地帯を見つけては
「天然田んぼだっぺ」とばかりに立ち寄り、米類を補充。
ホテルに泊まったり、古民家でバーベキューしたりと、まったりとした旅は数日間続いた。
そして、ようやく——
遠くに、ホビットたちの暮らす街が見えてきた。




