第二十八話
腕枕には、懲りたはずのおっさんだったが——
今宵の左腕は、みーちゃんの顎置き台に任命されてしまったらしい。
ちょこんと乗せられた重さは愛らしいものの、
それが一晩続くとなると話は別である。
目覚める頃にはもう、首と肩がバキバキだった。
それでいて──
おっさんがようやく目を覚ますころには、
肝心の白猫の姿は、影も形もなくなっている。
まるで何事もなかったかのように、
どこかへ朝のパトロールに出ていったようだった。
寝ぼけた頭で、とりあえず一本。
タバコを咥えて外に出る。
匂いそうな口で、大きくひとつあくびをかます。
……が、意外と、そんなでもない。
というのも——
樹海で汲み置いていた川の水は、
歯周病菌も虫歯菌も、なんならガン細胞まで死滅させるという超謎パワーを持っている。
つまり、今や世界一健康体なおっさんなのである。
シャツとステテコのまま、
純毛の腹巻きに手を突っ込み、
便所サンダルをつっかけて、
ぼちぼちと鳥居の方へと向かう。
──しばらく歩くうちに、思い出す。
この先には、本来、干からびた荒地が広がっていたはずだ。
だが──
そこにあったのは、ニラのような……?
先細った植物がびっしりと茂る、
青々とした草むらだった。
ぐるりと鳥居の根元を囲むように広がり、
朝露に濡れて、きらきらと光っている。
そのど真ん中で、白猫が——
「ハグハグ」と、
ご機嫌に草を食んでいた。
おっさんは、しばし呆気に取られ、ぽつりと呟いた。
「……猫草け。」
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健康すぎるが故か、忘れていたが…
此処は雲よりも標高の高い豪雪山の山頂であった。
経験の浅い一般人なら、呼吸すらもままならない、
ドクターヘリ待ったなしの過酷な環境である。
見下ろせば全方位、彼方まで続く雲の海。
その海の底から、朝の息吹がふわりと噴き上がる。
水平線が、朱に燃えはじめ——
やがて、宇宙も、雲も、陽光に炙られ、紅く染まり始める。
そして、
目も眩むほどの光を纏いながら——今日という陽が、
静かにその姿を現す。
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…ようするに朝日が眩しかっただけだ。
おっさんにもなると、言い回しも何かとめんどくさくなるものだ。
猫草を掻き分け、昨日の作業の進捗を見定めようとしたのだが…
干上がった土も、裂け目も見当たらない。
ゴツい手で足元の土を穿ってみると…
ホームセンターで買ってきた、栄養満点の黒土。
のようにフカフカでしっとりと湿り気もあり、
糸ミミズみたいな微生物もウヨウヨと蠢いていた。
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何がどうなって、そうなったのかは解らないが…
おっさんの撒いた劇薬は、
この辺りの土壌を改善したようであった。
鳥居は相変わらず煤けているが、
それも後で補修してやれば、
この美しいみーちゃん神社も整う事だろう。
「みーちゃん、そいえばよ、
うめぇサーモンもあったんだっけ〜。
チーズかけて炙ってやんから、家さいくべ」
と猫に手招きし家路に着く。
尻を振るわせ突撃してきた猫は、
おっさんの裏モモを無意味に甘噛みしたり…
早く来い。と先を先導したり…
家に入ろうという段階で、マイペースに毛繕いを始めたり…
まったくもって、猫であった。
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「ところで、始祖っちゃなんなんでぇ?」
と猫に尋ねるおっさん。
みーちゃん曰く、
自分は、この世界の安寧を担う幻獣であり、
そのような存在に名を付けられたなどという事例は、過去幾千年無かった事だと。
なので、我はネームド幻獣
第一号…なのにゃ〜
などと、申しておりました。
結局、始祖の定義すら、オフサイドの説明並に、
よく分からなかったおっさんだったが──
まあ、別に気にすることでもない。
愛でていた野良猫が、
屋根から落ちて、死にかけて、
でも今こうして元気に──
尻尾を振りながら戯れてくる。
それで、充分じゃないか。
「ところで。テティスよ〜い…
おめさ、ここに、うんめぇもんがあるって話、してながったけか?」
一方その頃──
トゥエラに草花の冠をこさえて、
「お姉ちゃん」フェーズをこじらせている薄着のギャルは、
星空みたいな目で空を見ながら、ぽつり。
「いやさ〜、衰弱してんだけど〜?
生きてるチーズの塊っぽいのが見えたんだけど〜?」
「でもさ〜、パーパの知り合いっぽかったら〜
食えないし〜……マジ無駄足〜?みたいな〜⭐︎」
……やれやれ、であった。