第二十五話
いつもの時間に目を覚ましたおっさん。
皆はまだ寝ているようだ。
そっと戸を開け、朝の空気を吸いに外へ出る。
デッキに立ち、下を見下ろせば……
そこは断崖絶壁の山肌。
もしここから落ちれば、
麓まで一気に帰れるかもしれないが、
骨の一本も残らないだろう。
──だが、登っている時にはそうは感じなかった。
絶壁とはいえ、ゴブリンたちも暮らしていた場所。
登山道こそ無いが、
ただ「ひたすら大岩を登る」
それを繰り返してきただけなのだ。
──
しかし、ここから先は──また毛色が変わるようだった。
岩肌には変わりないが、生物の気配がほとんど感じられない。
草の一本すら生えておらず、
見上げた先の岩肌は、白っぽく霞んでいる。
おそらく霜か、あるいは凍結しているのかもしれない。
スパイクシューズなら各サイズ揃えてあるし、
落下防止のための安全装備だって万全だ。
高所作業のプロ中のプロ。
誰一人、怪我をさせずに下山させる自信はある。
──だが、始祖……ねぇ……
リリから説明は受けたが、正直なところ、よく分からない。
おっさんの頭に浮かぶのは、
昔読んだラノベに出てきた“ドラキュラの先祖”とか、
そんなイメージばかりだった。
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冷たい水で手顔を洗い、
朝食の準備だ。
といっても朝は簡単に…
フライパンに、ベーコンを並べ卵を破り落とす。
半熟くらいに火が入ったら、昨日の戦利品、
味の素をパラパラと、あと醤油を少々。
パンは焼きたてが、フレコンに保管してあるので、
人数分+数枚出し、
ベーコンエッグを乗せれば完成。
トゥエラは、起床数秒で食事に入れるのだが、
テティスとリリは時間がかかる。
プレハブの中に置いた洗面台でメイクに気合いが入っている。だそうだ。
トゥエラがモチャモチャとパンを齧りながら教えてくれた。
洋服も変わり、笑顔の二人が現れる。
「おお、朝からオシャレ番長じゃん」とおっさんが茶化すと、
テティスが「うるさ〜⭐︎」とウィンクし、
リリは「身だしなみは日々の戦闘ですから」と微笑む。
「劣化厳禁」のフレコンから、出来立てトーストを出してやり、コーヒーも配る。
トゥエラはミロが気に入ったらしい。
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ここから先は寒くなるし、防寒着とかの方がいいんじゃ?とおっさんが聞くが、
ファッションを捨てては生きられぬらしい。
せめて滑落防止のスパイクシューズを…と見せるが、
テティスが…
くるりと回って、片手を高く突き上げる。
「こ〜すればぁ〜、も〜まんたいっしょ〜⭐︎」
キラキラと魔法陣が広がり、シュウウン!と音を立てて山に伸びる。
轟音とともに、岩肌がメリメリと形を変え……
まるで「天に続く階段」のような石段が、遥か山頂へと現れる。
「あ…あんちゅーだっぺ…」
アンカー、ハンマードリル、ハーネス安全帯。
様々な道具を、想定して用意していたおっさんは、
膝をついて崩れ落ちた。
リリが背中を摩って励ましてくれる。
トゥエラはキャッキャと跳ね回る。
それから、しぶしぶプレハブや風呂トイレなどを片付け、
更地になった仮設デッキ。
「じゃあいくべか」
と、石段に足を踏み出せば…
グゴゴ…と歪に歪み始め、
ゆっくりと動き出した。
「エスカレーターけ!」
ついデカい声が出てしまった。
グオングオンと石段全体が動き、
家族全員を運んでくれる。
しかも…だ。
しばらく経ってから気がついたのだが、
風がないし暖かい。
まるでデパートの中にいる様だ。
──
途轍もない魔法を行使し続けるテティスだが、
心配して顔を覗き込むと、「ふふん」と余裕の表情。
ホテルで買い込んだ、“おとな用安心パッド”のおかげらしい。
リリも「これは……異世界革命です」と絶賛していた。
……ちなみに、おっさんも似たようなものを使っている。
たま〜に、チョロっとすることもある。年齢ってやつだ。
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のんびりとした登山(?)は続く。
トゥエラは少し先に登り、逆向きに歩き…
「おりれなーい♪」
などと遊んでいる。
快適な屋内施設のようだとは言ったが、
以前登った火山程ではないにしろ、
まぁまぁな山だ。
山頂までは当分かかるだろう。
周りを見れば、岩肌はやはり凍りつき、氷柱も垂れている。
もし通常の登山であったなら、
何日掛かるかわからないし、相当な苦行だったであろう。
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山頂が近づくにつれ、天候が急変してきた。
空は墨を流したように曇り、やがて白い粒が舞い始める。
最初はただの雪だと思っていた。
遠くから見れば、
「あぁ、上の方は雪あるんだな」くらいにしか思えなかった。
だが──
この高さに来てみれば、様子がまるで違う。
風はうねるように吹き荒れ、凍てつく粒子を巻き上げている。
手摺りの外の視界は白く閉ざされ、バチバチと大粒の氷塊が叩きつける。
「これ……ホワイトアウトってやつけ……」
エスカレーター状の岩階段の中は、テティスの魔法結界で守られており、
水滴ひとつ、風ひとつ、感じない。
しかし──
おっさんはそっと、結界の外へと手を伸ばしてみた。
「ちめて!!」
一瞬で感覚がなくなり、慌てて引っ込める。
「下手すりゃ、指ごと凍るど……」
これが本来の、この山の厳しさなのだ。
魔法の力に頼らねば、登頂など到底叶わなかっただろう。
そして、そんな極限環境において──
登っているのは、どう見ても雪山登山パーティではなかった。
テティスはミニ丈のスカートに、へそ出しのモコモコアウター。
寒さなんてどこ吹く風、ノリノリで石段の手すりに乗ってポーズを決めている。
「寒い? 余裕っしょ〜⭐︎ マジ神アゲ〜↑↑」
と、岩壁にまた魔法をかけては、道をどんどん整備していく。
リリはピンヒールにタイトスカート、
真面目なキャリアウーマンスタイルのまま、
結界越しに視界をスキャンし、データを解析中。
小型端末のような何かから、時折「ピーヒョロロ〜」という機械音が漏れている。
トゥエラはうさ耳の着ぐるみ姿で、退屈なのかDDRダンスを披露している。
そして──
おっさんは、ガチの作業服姿。
登山用スパイクブーツに、ニッカポッカ、膝当てにハーネスまで装備し、
工具満載の腰袋をぶら下げていた。
だが、いまやその努力も──魔法のエスカレーターには敵わない。
「……装備、意味あったんけ……」
やさぐれて、焼酎に手をかける。
⸻
空はまだ吹雪いている。
見上げた山頂は霞んで見えないが、確かに近づいている。
この異様なパーティが向かう先に、
いったい“何”が待っているのか──
それは、まだ誰も知らなかった。




