第二十三話
先の方を見れば、
──木々が急に消えるわけではないが、
その数は明らかに減ってゆき、
代わりにゴツゴツとした岩肌が姿を現し始めていた。
今回の目的は食料調達。
別に山頂まで登るつもりはない。
──ただし、
「美味そうな魔物が居る」なら話は別だ。
今のところ、目につくのはゴブリンたち。
だが、よく見ると──
その肌は緑ではなく、
まるで岩に擬態するような、燻んだグレー。
しかも、望遠鏡で覗いても、
あちこちに点在しているのがわかる。
おっさんは、腰に手を当てて、にやりと笑った。
「──よし、登るけ…」
おっさんは、ゴブリンが大好きなのだ。
あの魔物は、まるで“捨てる場所がない”ほど優秀で、
調味料のような香味パーツも取り放題。
脂・筋・内臓……どれを取っても別の旨さがある。
それが、「岩ゴブリン」のような亜種が居ると知ってしまっては、
あまり好きではない登山ですら──
やる気が漲ってくるというものだった。
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森林を抜ける手前で、おっさんは足を止めた。
──これ以上進むとなれば、
森林迷彩の作業服ではあまり意味がない。
地面は石混じりに荒れてきて、木々もまばら。
いっそ、ここで一度休憩を取ってしまおう。
腰袋から、現場事務所を取り出し──
簡易的な衝立を置き、即席の更衣スペースを作る。
「よし、着替えっか」
娘たちには、ホテルの売店で買い込んだ
おしゃれな女性物の服がギッシリ詰まった、
フレコンを手渡す。
トゥエラはウサギさんのついた服にご満悦。
テティスは、やたら派手なギャルっぽい服を選び、
ポーズを決めている。
そしてリリは──
「……旦那様。わたし、これがいいです」
手に持っていたのは、きっちりとした黒のスーツ。
冒険者ギルドというよりは、
日本の一流企業の受付嬢。
皆、個性的である。
──おっさんはちょっとだけ吹き出しつつ、
自分の装備を見直す。
「ん〜〜。いつものでもいいけど……
登山すんのにゃ、ちとキツいか」
そう言って取り出したのは──
膝まわりがゆったりしていて、
足上げも楽な、作業用ニッカポッカスタイル。
ズボンの裾は絞ってブーツイン。
「ん、こんでいいべ」
全員の支度が整い外に出たら、
空になったプレハブをシュルリと腰袋へ。
──まるで“着替えイベント”が終わった合図のように、
一行は岩の山へと足を踏み入れた。
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家族のファッションを見渡すが……
もしこの場に、本職の登山家がいたとしたら──
間違いなく激怒されたであろう。
「山を舐めとんのか!」と。
見た目は可愛いが、機能性はゼロ。
そんな服装で、彼女たちは崖……
に、限りなく近い斜面に挑もうとしているのだ。
リリなんて、ヒールの高い靴を履いている。
(まぁ、辛ければ履き替えるべ)
そう思い直し、おっさんは一歩、
斜面へと踏み出した。
梯子で上がれる岩は、梯子で。
無理そうなら、仮設足場をさっと組み立てる。
もし娘たちだけだったなら、
きっとこんな設備なんて不要だろう。
軽やかに、どこまでも飛び跳ねて、
山頂まで行ってしまうに違いない。
だが、今回のメンバーには──
腹の出たおっさんと、
ハイヒールの事務員さんがいる。
「よし、ゆっくり行くべ」
おっさんは、
安全ベルトを腰に巻かせようか一瞬迷うが……
あれはきっと、リリの美意識に反する。
ならばせめて、と。
優しく手を引いて、
足元を確認しながら導いてやるのだった。
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岩肌には、無数の穴がぽつぽつと開いている。
恐らくだが、あれがゴブリンの住処なのだろう。
最初の横穴までたどり着いたおっさんは、
娘たちとリリを手で制し、壁際に避けさせる。
そして──腰袋から発煙筒を取り出す。
「夜間道路工事じゃ定番だったっぺ」
パチン、と着火して、ピンクとも赤ともつかぬ煙を噴く棒を
迷いなく、横穴の奥へと投げ込んだ。
モクモクと満ちてゆく煙。
しばらく待つと──
「ゲギャギャギャギャ!」
灰色のゴブリンが、目をしばたきながら飛び出してきた。
おっさんは構えていた鉄砲の引き金を引く。
ズドン。
脳天に、一発。
どさりと倒れたそれを確認しながら──
再び穴の中に耳を澄ませ、続いて出てきた個体にもズドン。
それを数度繰り返すと、やがて中は静まり返った。
穴はどれも、ゴブリンが出入りするにはちょうど良いサイズだった。
縦横およそ一メートルほど。
おっさんは一応の安全を見て、
腰袋から取り出したコンパネ板を──
ドリルドライバーでコンクリートビス打ち込み、
一つずつ丁寧に封鎖していく。
シュィィィン……バチッ!
「……んだ、現場作業と変わんねぇな」
いくつも点在する穴を、
一つ一つ、同じ手順で塞いでいく。
やがて、一通り終わったとき──
目の前に広がる景色は、どこか既視感があった。
それは──
老朽化し、住人が消えたまま放置された
市営住宅や、県営団地の風景に──似ていた。
ベニヤ板とビスで無数の開口部が封じられた岩山は、
異世界とは思えぬほどのどこか懐かしい昭和の風景…
それが朽ち果てた、
“現代日本の空虚さ”を纏っていた。
「……あんまり、楽しい景色じゃねぇな」
おっさんはボソリと呟いた。
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現在地は、およそ五合目といったところか。
標高の具体的な数値こそ分からないが、
空気の薄さ、足元の傾斜、
そして──遠のく視界がそう告げていた。
先ほどまで点在していた、
ゴブリン──いや、
もはや“灰色の団地住民”たちの住まう横穴も、
登るにつれ見えなくなっていく。
「……アパート、もうねぇな」
おっさんは、くるりと空を見上げる。
陽が傾き、岩肌を赤く染め始めていた。
あまり高地で無理をするのは、
体のためにも良くない。
「そろそろ終いだっぺ」
腰袋から取り出したのは、
単管パイプとコンクリートアンカー。
いつものように慣れた手つきで
岩肌にパイプを固定し、
根太とコンパネを並べて、
崩落の心配のないフラットな床が、たちまち斜面に現れる。
その上に、寝床やキッチン、
風呂トイレと、次々と召喚していく。
娘たちは慣れた様子で荷物を広げ、
リリは“山ナメ装備”のヒールをそっと脱ぎ、ソックス姿でくつろぎ始めた。
それぞれが、静かに一日の終わりを迎える準備をしていた──