表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
136/279

第二十一話

噛むほどに味わい深く、

“極上のイカメシ”を堪能していたその時──


コトリ…という音もなく、

四人の前に漆器(しっき)の椀が、そっと置かれた。


香りは、まだ漂ってこない。


おっさんが静かに蓋を持ち上げると──

ふわりと、(いそ)の気配と、焦がし味噌の香ばしさが、

湯気とともにあたりに広がった。


──二品目は、(かい)の味噌汁。


その日の朝に採れたばかりの、

小ぶりながら旨みの強いヒオウギ貝(緋扇貝)を使い、

白味噌と焼き味噌(あぶりみそ)を合わせて仕立てられている。


潮の香りがじわりと立ちのぼる、深い味噌の香ばしさ。


口に含めば──

まるで、干潮の岩場にできた潮だまりへ、

そっと掌を差し出したとき、

海が静かに、優しく包み返してくれるような……

そんなぬくもりを感じた。


挿絵(By みてみん)


甘じょっぱいイカ飯を──

深みのある貝出汁と焼き味噌の香りが、

静かに、けれど確かに洗い流していく。


味噌汁の余韻は、まるで舌をすすぐ潮騒のようだった。


塩気、旨味、香り……全部が絶妙(竜宮城)()で押し寄せる。


しばし沈黙が流れる。


娘たちは、誰も口を開かない。

ただ、ぼんやりと眼を伏せて──

味の記憶を、じっと胸に刻んでいた。


➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖


そして空腹は…ゆっくりと浮上するように、


身を沈めていた味噌汁の主役──

ヒオウギ貝の身をそっと引き上げ、噛みしめる…


帆立のようにぷりっと弾ける歯ごたえの中に、

ほんのわずか、筋肉質なコリッとした噛み応えが混じる。


──そして何より、旨味が強すぎる。


トゥエラじゃないが、嚥下する(のみこむ)のが惜しい。


➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖


──ふと気づけば──


目の前にはすでに、


三品目と四品目が、静かに配膳されていた。


一つは、ワイングラスに注がれた

島野菜のスムージー。


片や、小鉢に盛られた、

見た目も涼やかな生ウニと海藻と甘夏のサラダ。


挿絵(By みてみん)


今し方まで生きていた、

殻付きのウニから剥ぎ取った実を──

豪快に、だが美しく盛り付けた逸品。


土台には、海藻とほぐした甘夏を和えたもの。

とろみのある酸味のタレが、素材を繋ぐ。


濃緑と橙のコントラストが美しく、

そこにぽってりと盛られたウニが、

ひときわ濃厚な“黄昏”を演出していた。


夜明けではない。

 それはまるで──夜景のようであった。


➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖


雲丹の上に数滴の醤油を落とし、

まずはそれだけを口へ……


舌の温度で溶けてしまうその身は…


噛むことも、飲むことも出来ない。


建築家として、気安く災害を表現には使いたくはない。

──ないのだが──


旨さの津波だ。


イカ飯と貝出汁の築き上げた防潮堤を粉砕する、

幸福の高潮が口内を蹂躙する。



次に、添えられていた大さじに、

海藻サラダとウニを盛りつけ咀嚼してみれば、


プチプチと弾ける柑橘の酸味に、

ねっとりとした海藻が絡み…

そして濃厚な雲丹が全てを纏めてくれる。


海葡萄うみぶどうのような茎海藻くきかいそうから出るとろみが、

早摘の柑橘をマイルドに包み、

そこへ協調性など欠片も持たない潮の暴力が

……不思議と調和する。


➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖


潮騒が飽和を起こしそうな口へ、


色の濃いドリンクを迎えると、


海の幸とは真逆の…畑の恵み。


紫芋をベースに、赤紫蘇が悪戯を仕掛け、

完熟のブルーベリーが僅かに香る。


挿絵(By みてみん)


全てをリセットし、

大地に引き上げてくれる濃厚なスムージー。


この一巡が、綿密に図られた五島列島巡りであった。


器から全てが消え去るまで、恵の巡礼は続く…


量としては、ビュッフェの数皿にも及ばない、

頂の朝食。だが、家族達の表情は、満たされていた。

〆がまた、(最後の料理も)うめーんだっけ(美味しいですよ)


テーブルにあった食器が全て、

霧のようにふわっと消え去る。


そして、最後の器が召喚された。


➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖


この一杯こそが、あの偏屈オヤジのすべてだった。


島の恵みだけを使い、

一本一本、手で引き延ばした──五島手延べうどん。


──そして、それに“乗せる”ことすら拒否した別皿のかき揚げ。


もう一皿、脇に添えられたのは、ただの粗塩。


言葉などいらない。

この三点で、“料理人の矜持”がすべて語られていた。


箸で麺を持ち上げ、汁をひと口、啜る──


……濃い。

だが、しょっぱくはない。


鼻に抜けるのは、焼きあごの強く香ばしい香り。


まるで、朝の浜辺で焚いた漁火のような、

野性と清廉を併せ持つ味わいだった。


挿絵(By みてみん)


指先に粗塩をひとつまみつけ──

それを舐め取ってから、

揚げたてのかき揚げに、かぶりつく。


サクッ……


音と同時に、おっさんの中で何かが崩れ落ちた。


──限界だった。


「おい! おんちゃん(おっさん)!!」


厨房の方角に向かって、思わず怒鳴ってしまう。


すると、ゴトン!


おっさんの目の前に、

大ジョッキに並々と注がれた島焼酎ロックが、

何も言わずに叩きつけられる。


おっさんは、まるで水でも飲むように、

それをガブガブと煽り──


「ゔぁ〜〜〜っ……」


ひと息ついて、ぼそりと呟く。


「……でれすけ(アル中)同士……わがってんでねぇの(早く出せってんだ)……」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ