第十七話
エレベーターに乗り込み、最上階へと向かうおっさんたち。
レストランの扉に刻まれた銘は——
「Blue Lagoon Buffet」
金文字のプレートに軽く息を吹きかけ、
扉を押し開けたその瞬間。
「おぉ……」
目の前に広がったのは、
百人はゆうに収容できそうな広大なディナーフロア。
煌びやかな照明と、数えきれないほどの料理が、
贅沢に並べられていた。
肉の山、魚の祭り、スイーツの海。
「わ……」「うわ……」「あふぁぁん……」
三人娘は、
目を見開いたまま入口でフリーズしている。
「ほれ、こっちゃさ来ぉ〜」
おっさんはにやりと笑いながら、
お盆を手渡しつつ説明する。
「種類が多すぎるから、ちょっとづつ色々食わっせ〜」
——が、その声を最後まで聞いた者は誰もいない。
おっさんは既に、アルコールコーナーへ早足。
リゾートホテルの本気は伊達ではなく、
酒の品揃えも超一流。
地酒から世界の銘酒まで取り揃えられたボトル群を前に、
おっさんの目は爛々と輝く。
「……こりゃ、呑まねば失礼ってもんだべ」
日本酒、ウイスキー、芋焼酎、ブランデーにカクテル……
グラスを次々に満たしながら、おっさんはご満悦。
料理は、まだ取っていない。
——だが、宴はすでに始まっていた。
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遠くの方で、娘たちの歓声が上がる。
「あっちすごいよー!」「みてこれー!」
「ハフゥゥゥゥウン…♡」
どうやら、料理を“テーブルに運んで食べる”
というルールを、彼女らに伝え忘れていたらしい。
まるで水面に群がる鯉のように、
華やかな浴衣姿がビュッフェ台に密集している。
取り皿も、果たして本来の役目を果たしているのか……怪しい。
だが、
おっさんはその光景を見て、肩をすくめて笑った。
「まぁ家族だけだっぺし……さすけねぇな」
焼き立てステーキのサービスコーナーでは、
鉄板の前に誰もいないのに、じゅう、
と香ばしい音が響き。
握り寿司の台では、
誰もいないはずの板前の手元から、トントンと新鮮な握りが並べられていく。
まるでポルターガイストか妖怪食堂。
ある意味ホラー。
それでも——
ぱっと頭に浮かぶ限りの料理が、
ほぼ網羅されていると言っていい豪華さ。
トゥエラとテティスは、
夢中になって走り回りながら料理を選び、
リリは爆衣寸前の衣服を両手で必死に押さえながら、身悶えている。
「濃ゆい……ッ! これは、至高の味が……ふぁぁぁ……っ!」
ビュッフェは、すでに戦場と化していた。
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このホテルを建てた離島といえば、やはり名物は魚介類。
朝獲れが当たり前の新鮮な刺身、ホタテ、ウニ……!
——などという王道には目もくれず、
おっさんは塩辛をちょいと摘み、
呑みに全力投球である。
とはいえ、家族たちの分にはしっかりと腕を振るった。
都内で食えば、一万円札が軽く飛んでいくような豪華盛りの海鮮丼を拵えてやったのだ。
トゥエラは、ついに箸さばきをマスターし、
満面の笑みで頬をふくらませている。
テティスはというと——
中学生ほどの体格に似合わぬほど堂々と、
カクテルグラスを片手に、くいっと傾けていた。
まぁ、この異世界において、
日本の常識など持ち込んでも無粋なだけ。
おっさんは笑って眺めるのみである。
と、その時。
リリは突然、手で口を押さえ、化粧室に駆け込んだ。
稲光のような音が轟き——しばしの沈黙の後。
見事に身だしなみを整え、
凛とした顔で再登場したのであった。
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ディナーを心の底から満喫し、もはや動けなくなっている娘たちやリリとは対照的に、
おっさんはテーブルの端にずらりと並んだ空のグラスを眺めながら、ぼやいていた。
「……結局、焼酎が一番呑みやすいんだわ。」
口にしたのは、
塩辛と糠漬けをちょいちょい摘んだ程度。
ビュッフェという戦場で、誰よりも悠々と、酒を味わっていた。
ホテル内には、土産物屋やゲームコーナー、カラオケにエステ……
楽しめる施設がこれでもかと揃っているのだが。
——誰一人、立ち上がる気配がない。
トゥエラはギブアップしたらしく、
左胸を下にして床にぺたりと倒れ込み、
スヤァ……と微かな寝息を立てている。
テティスはというと、ギャルの波動に磨きがかかり、
「やっばくな〜い?マジやばたにえん〜」などと難解なワードを連発しながら、
モスコミュールをちびちびと嗜んでいる。
そしてリリは、おっさんの肩にしなだれかかり、
冷えた日本酒を互いに差しつ差されつ。
蕩けたような目で微笑みながら、ぽつりと漏らす。
「今夜……夢なら覚めないでほしいですわぁ……」
その声はどこか酒に酔った、
甘く柔らかな風に乗って、
ブルーラグーンビュッフェの天井へ、
ふわりと昇っていった。
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ぐっすり眠ってしまったトゥエラを、
そっと抱き上げるおっさん。
「部屋行って寝んべか〜?」
そう言って皆に声をかけるが、ふと立ち止まる。
——あれ? 部屋のキーって、もらってたっけ?
そう気づいたときには、
もう足がエレベーターに向かっていた。
メシを食ったビュッフェ会場とは別棟。
たしか最上階が、一番いい部屋だったはずだ。
ホテルの建設にも関わったおっさんの記憶が、
そのまま体を動かすように、
エントランスホールへ降りていく。
フロントには当然、誰の姿もない。
……だが、そこにはちゃんと置いてあった。
上質な革紐
で巻かれた木製のカードキー。
なぜか…
「Welcome!」と手書きのメッセージカード付き。
「やっぱ……なんか色々と察して動いてくれてんな、このホテル……」
ため息まじりに苦笑いしながら、
それを手に取るおっさん。
眠る家族を連れ、
静かなエレベーターの扉が音もなく開いた。