第十五話
おっさん的に美味かったのは、
ゴブリンの睾丸袋に酢飯を詰めた、
お稲荷さんだった。
味醂と甘みが絶妙なバランスで、
刻んだ紅生姜を混ぜ込んで見れば酸味も程よく…
酒のアテにピッタリであった。
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本日のリリの爆衣案件は、
透明度も高く、ピリッと冷えた水深の浅い渓流。
そこを漂っていた足が嫌に多いイカ。
そいつを手掴みで捕獲して捌き、足や内臓は冷凍保管し、胴体部分をよく洗い、中に指でバターを塗り込み、
ジャンバラヤをギュッと詰め込みオーブンへ。
散らしたマヨネーズも焦げ、テラッテラの迫力。
ナイフで切り分け、口に入れた受付嬢は……
足元から妖艶な桃色の煙が上がり、
空中でブリッヂをしたような体勢で、イカ飯を頬張り…
服が溶け落ち全裸になった。
「オイヒ…濃ユウゥゥゥゥゥイィィィ!!」
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トゥエラはチキンライスを、
フワトロ卵で包んだオムライス。
テティスはイカの足を刺身に白米で。
それぞれ好きなだけランチを楽しんだ。
おっさんも大分気持ちよくなるまで
呑んでしまったので、
本日はこれ以上の運転は不可能となった。
天然の田んぼを背景に、
夕陽がゆっくりと落ちてゆくのを、
トラックの荷台で眺める家族達。
「そういえば…昔建てたあの民家…」
と思い出したおっさんが、腰袋からデデンと
取り出した古民家風別荘。
この家は都会をセミリタイヤしたお施主さまの
依頼で手掛けた家で、
わざわざあちこちの解体現場に赴き、古材の柱や梁などを譲って貰って来て、
新築なのに、古めかしさを感じられる。
をコンセプトに設計した、しかし風呂、トイレ、キッチンなどは最新の使い勝手という、
ハイブリット住宅なのである。
煤けた味のある板の間、
の下に潜む床暖房。
囲炉裏を中央に囲む畳の間、
灰と熾火は実はイミテーションで…
天井から吊られた鉄鍋がIH調理器具となっている。
その鍋に湯を沸かし、徳利を浮かべ熱燗をキュッとやるおっさん。
庭を見れば、竹屏に隠された岩露天風呂もある。
こちらも大きな庭石…に偽装された電気給湯器により快適に湯張りできる。
家族達のはしゃぎ声が塀の向こうに響く。
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陽が落ち、薄暗くなれば…
古びた部屋に灯りが燈る。
見上げれば、屋根の裏側まで見える、
梁や小屋組剥き出しの造りの、裏側。
部屋から見えない位置に這わされたLEDテープ。
これが長押の裏側や、歪に曲がった太い梁の背にも配置されており、
柔らかな電球色の光源が、
だが、何処から降り注いでいるのかは感じさせない緻密さで、部屋を優しく包む。
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たしか、おっさんがまだ三十代の頃。
だいぶ古い記憶で忘れかけていた現場だが、
あの頃は誰一人認識すらしていなかった、
「仮想通貨」とかいう…おっさんにしてみれば、
「アデナけ?」くらいの
よく判らない物を運用し、
大金を得たという若いビジネスマン。
彼は今でも元気だろうか?
思えば、
屋根瓦も全て太陽光発電パネルが組み込まれ、
井戸水も水質検査の結果◎を取得し。
おっさんの知る中ではいち早く完全自給自足を再現した、
画期的な施主であった。
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あの時代を振り返れば…若い大工は腕にも自信を持って、俺に作れぬものなどない。
と、多少自惚れていたかもしれない。
くたびれた現在のおっさんが室内を見渡せば、
少し恥ずかしくなるような納まりも目につく。
『おさまり』という字は、糸の内側と書く。
つまり、髪の毛一本の隙間もない仕事。
これが納め、である。
あの頃は今の自分はピークだと粋がっていたが、
多少老眼の進んだ、
今の方がよっぽど良い仕事は出来る。
ピークなどと言うのは、最後の時まで来ないものなのかもしれない。
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しかしながら、若いというのは未熟だけでは無い。
突飛もない発想や、
人の意見を吸収できる柔らかい想像力。
年と共に失われていく非常識。
おっさんは大工として、そうはなるまいと、
美術館に赴いたり、
よく知らないアイドルのコンサートも見学したり、
老いを防ごうと…
ゴルフもゲームもキャバクラも、
惜しげなく金を使って鍛えた。
それでも…
あの頃と比べてしまうと、
マトモな発想しか浮かんでこない。
つまらない大人になった気がする。
アクリル板を曲げて造った、
スナックの酒棚。
アーチ状の大きな引き戸と透明な棚板で、
酒瓶が浮いているように魅せた。
朽ちた一枚板を加工し、
ワルサーP38を再現し、
それをベンチの側板とし、
背面にはくり抜き彫刻で、
『ルパン三世』と掘ったり…
まぁ面白かった。
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だが、異世界も悪くない。
生きている岩で組んだ暖炉。
海竜の背に作ったテーマパーク。
亀の甲羅を屋根にしたログハウス。
地球ではあり得ない、馬鹿げた仕事ができる。
もし、おっさんのピークがあるのだとすれば、
この世界での最後に建てる建築物、
なのかもしれない。