第十一話
いつ見ても不吉な、赤々とした巨大な月が…
ぼんやりと霞み、
煌めく星達も薄れ、
……要するに、空が白み始めた頃。
おっさんは寝床にしている宿に帰り着いた。
寝静まる家族達を起こさぬ様にと、
音を立てずに戸を開け部屋に入るが…
娘達も妻も、プンプンであった。
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「おとーさんなんかくさーい!」
「お楽しみに……なられたのですか?」
「ゔ〜……パーパ?まじありえないんですけど?」
……不覚である。
ヴァヴィーちゃんの、
金木犀を蜂蜜に漬けたような——
汗と混ざった甘ったるい香水臭が、
どうやらおっさんの体にも“うつって”いたらしい。
それはまるで…
夜の蝶に振り撒かれた鱗粉。
……などと謳ってる場合ではない。
愛する家族たちから、
まるで汲み取り車でも見るような目で睨まれ、
おっさんは肩を落とした。
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異世界の宿屋には、
シャワーや浴槽などあるわけもなく。
ブーイングを背に浴びて退場したおっさんは、
路地裏でユニットバスを召喚し、
加齢臭までサッパリ落とし、
だいぶ酔ってはいたが、
自分への戒めも込めて半身浴で汗を流し…
改めて家族に謝罪した。
どうやら、怒ったフリをしていただけの
淑女達は、
おっさんの今日の出来事を、
隅々までつっついてくる。
おっさんも、娘達の動向が気になり、
どんな店で何が売っていたとか、
ホビットの服屋はサイズが全く合わないとか、
リリは出張扱いなので、業務が忙しいとか、
テティスはDEとバレると大変なことになるから、化粧がめんどくさいとか、
トゥエラは、舞踊革命が楽しすぎたせいか、道を歩いても全然前に進めないだとか…
めんけくてしゃーない。
おっさんは、今の大工仕事が楽しすぎるので、
あと数ヶ月はこの街に留まりたい。
と告げると、
何の問題もない、というか…
大体ちょうど良い。
などとリリが言っていた。
娘達も大工のお手伝いをしたいなどと言うので、
似合いそうな作業服と、腰袋をくれてやった。
二人は嬉しそうに、エアー大工を披露してくれる。
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今日の現場は休みである。
親方がそう言っていた気がする。
家族の許しを得たおっさんは、
取り敢えず布団に倒れ込む。
朝まで呑んだのなど、いつ以来だろう?
五十路が近くなり、
休肝日など設けたことはないが、
日を跨いで酒を呑むなんて機会は、
十年以上無かったかもしれない。
牛蛙のように
ゔぉ〜ゔぉ〜とイビキを放つおっさん。
それを他所に、
宿屋の朝食を済ませ家族達の今日は始まった。
リリは早くから何処かへ出かけ、
トゥエラは新品の作業着で、
ハンマーとバールを振り回しながら、
イメトレDDRに勤しむ。
テティスは寝入るおっさんの顔に、
油性マーカーで髭や眼球を描き込み、
一人でウケている。
ネットもテレビもない退屈な異世界だが、
時間など潰さなくても、
楽しい1日はあっという間に過ぎてしまうものらしい。
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太陽が中天を過ぎ、
ホビットの親方も、
ようやく酔い潰れ眠りにつく頃…
おっさんはモソモソと布団を這い出た。
「朝け…」
午後である。
腰袋から出した樹海産の冷えた水で喉を潤す。
おっさんの腰袋は便利でチートだが、
この異世界で目を覚ましてから、
腰から外れた事がない。
どちらかと言うと、呪われた装備である。
ようやく覚醒したおっさんは、
せっかくの休日を、
半分寝て過ごしてしまったことに後悔し、
娘達を誘って散歩にでも行くかと、身支度を整える。
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「おとーさんトゥエラねーおとーさんのごはんたべたいのー」
「あ〜あーしもーパーパのハイカロパーごはん食べたいしー」
娘達と街中を歩き、
異世界的な串の刺さった肉などを
買い与えていたおっさんだが、
嬉しいおねだりをされてしまった。
とはいえ、
宿の部屋でキッチン出すわけにもいかんしな…
少し考え、
「んだらば、家でも借りっけ?」
と、賑わう商店街からコースを変え、
不動産屋らしき店を探すことにした。
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さっきの肉串を売っていたご婦人に、
「ヴィヴェバヴィィファフィヴァバ」と尋ねると、
「ヴヴォーヴァフヴェッヴォベ」
みたいな感じで教えてくれた。
この街のホビット達は、初対面の者にも、
いきなり友達のように接してくる。
おっさんはお礼に、黄金入れから、どこぞの王女様が被るような、
冠を引っこ抜き、ご婦人の頭に乗せてやった。
ご婦人は一瞬ポカンとしたが、
次の瞬間、どこからともなく「ブヴォ〜!!」という歓声が上がり、
その場にいたホビットたちから拍手が起こった。
おっさんは照れくさくなって、
串肉をもう一本買ってしまった。
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程なく、家の絵の看板を見つけたおっさん達は、
店内に入り、
両目にモノクルを付けたインチキ臭い店主に、
しばらく住める家はあるか?と尋ねる。
「ヴィービーヴェイ?ヴォンヴェヴヴィィベィ?」
などと聞いてくるので、適当な金塊をカウンターにドシンと置き、」
「ヴォヴァバヴェ」
と言っておく。
置かれた代金を見て、両目が飛び出し、
二つのモノクルが宙を舞うが、
すぐに立派な鍵と地図を寄越されたので、
無事に契約できたのであろう。
おっさんは鍵を受け取りつつ、
「……ヴォヴァバヴェっちゃ、万能語だっぺか」
と呟いた。
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一旦宿屋に戻り、チェックアウトの手続きを済ませ、
外出中のリリへの言伝を頼み、
新居へと赴く。
地図をクルクル回しながら、ようやく辿り着いた賃貸物件は……
立派なお屋敷。
が描かれた更地だった。
おっさんの現場と同じ、
謎石板、を積み上げ、豪邸のイラストが壁画として描かれており、
裏側に回ると、沢山のつっかえ棒が斜めに壁画を支えていた。
「こうゆうパターンけ》」
受け取った鍵の差す穴も見当たらない。
まぁ見るからに胡散臭い店主だったし、こんな物か。
と納得するおっさん。
せっかくの最高級資材をこんな壁画に使うとは、勿体無い。
少々腹はたったが、
まぁ賃貸物件だし壊すわけにもいくまいと、
無駄に広い土地にいつものプレハブを建てる。
場所さえあれば、キッチンも風呂もトイレも設置できる。
「さすけねぇな」と、おっさんは飯の支度を始めるのであった。