第十話
複雑すぎる細工に、
夢中になっていたおっさんの耳に、
突如、怒号のような声が飛び込んできた。
『ブェブバボボゥブァ!!』
——なんだっぺ?
肩を怒らせノシノシと近寄ってきた…
声の主は、職人達の親方らしきホビット族の男。
年季の入った作業着に、ゴツゴツした手。目は本気。
恐らくだが、おっさんよりも年上の親方は、皆の仕事を見回り、指示や苦言を飛ばしているようだ。
………だが、彼らの言語には——
なぜか「は行」しか存在しない。
バ、ビ、ブ、ベ、ボ。
それに加えて、発音不能な…
ヴェ”とか“ヴァ”とかのニュアンスまで入ってきて、もう意味不明。
おっさんは手を止めて、慌てて顔を上げる。
どうやら、自分の手先を見て何か言っているようだが……。
「サッパリ解らん!」
返事に困ったおっさんは、思わず愛想笑いしながら、
長年、愛用している刃物を見せてみる。
すると、親方は「ブベッ……ブファフォ……」と、
満足げなのか怒ってるのか、
全然読めない笑い声を漏らしつつ、
どこかへ行ってしまった。
とにかく、おっさんは——
また一つ、異世界の謎に触れてしまったのだった。
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ここでの建築には、釘や補強金物の類いを一切使わないようだ。
おっさんだって、過去には神社や仏閣の、
修理も新築も手がけたことがある。
たしかに──
そのときも、柱や桁、梁といった骨組みは、
釘やビスのような接合資材は使わず、
精巧な加工だけで組み上げていた。
だが——
壁の板貼りや屋根、天井板から、果ては、床板まで…
釘を使わないなんて話は聞いたことがない。
だが、ここでは、
そのすべてを“組み”だけで施工しているのだ。
と、いうか……だ。
そもそも「釘」や「ビス」で固定するという、
概念自体が存在していないように思える。
「M」と「V」のような凹凸の接合。
まるで寄木細工のように…
寸分の狂いもなく板をはめ込み、
それだけで天井の板材すらピクリとも動かない。
おっさんは…脳が沸騰した。
なんという非効率。
だが、なんという技術力。
まるで石をも欺く、緻密な木の工芸品。
数ミリの誤差も許されない世界。
——覚えたい。この技術を、俺の腕に。
静かに……
燃えるような嫉妬の燈が、おっさんの胸に灯る。
そしてそのまま、
無言でノミを握り、作業に戻っていった。
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夕方になると、現場はあっさりと仕事を終えた。
どうやら、残業という文化は存在しないらしい。
大勢いるホビット職人達の中で、
親方が一際老けているのはなんとなくわかるのだが…
それ以外の、
ホビットたちの年齢感はまったく読めない。
「ビビェバ、ビビェバ〜!」
と、嬉しそうにはしゃいでいる……若い衆?
なのだろうか?
それを横から、
「ヴァボヴィ、ヴァボヴィ……」
と、なだめているっぽい、
ベテラン職人……のような者がいる。
すべてが憶測だが、
なんとなく——
「酒を呑ませてくれ」的なやりとりなのでは?
と察したおっさん。
「そしたらば、任せとけ!」
そう呟いて腰袋をゴソゴソ漁り、
冷凍庫から、
キンッキンに冷えたジョッキをズラリと並べて、
そこにロックアイスを満載し、
そして——4リットル焼酎を並々と注ぎ込む。
最後に、ノリと気合いとなんとなくの語感で、
「バヴィッベ!」
とか叫んでみる。
一瞬の静寂の後——
カメムシ色のホビットたちが、ぞろぞろとおっさんを囲み始めた。
親方が、真っ先にジョッキを手に取り、
そのまま——グビリッ、とひと口。
そして目をカッと見開き、吠えた。
「ヴォウヴァアアアブ!!!」
どうやら……
美味かったらしい。
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カメム……じゃなかった、
ホビットたちは多少汗臭いが、
寡黙で真剣な仕事中とは打って変わって、
気の良い連中だった。
おっさんが並べたお徳用焼酎は……
ジョッキで溺れそうになる、
滑稽な呑みっぷりを笑ってる間に、
あっさりと2本空になり——
ホビットたちの赤みがかった緑肌は、
次第に黄色っぽく変色していった。
(えっ、体表の色変わるの!?)
驚きつつも観察していると、
機嫌の良い親方がバンバンと、
おっさんの背中を叩いてくる。
地味に痛い…
口からは、いつものように
意味不明な「ヴァブバッブァ!」の連打。
だが、何となくわかる。
——どうやら「酒場に行くぞ!」的なアピールらしい。
日本だったら、
これはもう完全に、
暴力&飲み会強制のパワハラ上司だ。
だが、ここは異世界。
そんな、しょうもない事は誰も気にしない。
結局、おっさんはそのまま…
肩を組まれ、連れていかれてしまったのだった——。
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親方のお気に入りのヴァヴィーちゃんがいるという、
趣のあるスナック的な飲み屋に拉致られた。
会話なんぞ全く通用しない。
だがおっさんは日本語、
しかも、訛りの強い東北弁しか話せないのに、
欧米、北欧、東南アジア。
どこだろうが大工仕事をしてきた。
「んだ。んだか?そーけー、だっぱい!」
この4リアクションがあれば、だいたい通じるのだ。
なので親方とも、肩を組み、
「ヴァ〜ヴィヴォ〜〜ビヴォヴィべ〜ヴァバ〜バァヴヴァ〜♪」
と日本でよく歌っていたカラオケも、
ホビットのリミックスで普通に熱唱出来る。
ラップの部分もだ。
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ベヴォベヴォと笑い転げていた親方が、
突然ピタリと動きを止めた。
空気が一瞬にして変わる。
周囲のホビットたちも、次々と姿勢を正し始めた。
「……なじょした?」
戸惑うおっさんの視線の先に、
スッと店の奥から現れたのは——
青汁みたいな色の……恐らく、女性ホビット。
その体色は深く濃く、つややかで、
カメムシ色のホビットたちとは明らかに格が違う。
親方は、目を見開き、
蟷螂拳のような謎の構えでその女性を迎え入れる。
「……なるほど。
色が濃い方が、めんごいってことけ。」
おっさんは、頷きつつ、
若いカップルを見るような気持ちで、二人を見守った。
「ヴィーバッヴァヴァバッパ!」
親方の顔は紅潮して、語彙がますます意味不明に。
それに対し、女性も、
ほのかに笑みを浮かべながら——
「ヴバビヴァ〜♡」
女性側もまんざらじゃないらしい。
おっさんは、グラスの氷が溶ける音を聞きながら、
ただ静かにその光景を見守っていた。




