第九話
漆黒の石段を登り、
休憩所に辿り着き、
大聖堂へと繋がる木扉を、
ビスを抜き開放しようとしたが…
ビスも扉も、そこにはなかった。
あるのは、漆黒の壁。
その、重い扉を押し開けると──
そこには…
まるで別世界のような光景が広がっていた。
そう──地上に戻った時、
ある程度予想はしていたのだ。
だが、改めて目にしたその“変化”は、
言葉に詰まるほどの衝撃だった。
以前のこの神殿は、
黄土色の乾いた粘土のような素材でできていて、
あちこちにヒビが走り、
太陽も隙間から漏れるような──
“古ぼけた遺跡”というにふさわしい佇まいだった。
だが、今は違う。
これはあれだ。
おっさんが、あの地獄みたいな螺旋階段を、
踊り抜いて降りたときの──
あの漆黒の謎石材。
それが、床にも、壁にも──
天井は高すぎて見えないが、
おそらく同じ素材なのだろう。
しかも、継ぎ目ひとつなく、
つるりとなめらかに繋がり、
まるで積み木遊戯のような精密さ。
それでいて、蝋台やアーチ天井、
大聖堂の壁面彫刻など──
一目見ただけで「これは無理」と思えるような、
おっさんでも到底再現できない、
高尚な建築技術がそこかしこに見て取れた。
おっさんは思わず、
初めて上京してきた田舎者のような顔で、
ぽけ〜っと見上げながら歩き──
大扉を押し開けて、街中へと踏み出した。
そこで、言葉を失う。
別に、
眼前にスカイツリーが建っていたわけではない。
だが──街が、美しい。
すべてが漆黒の建材かと思われたその石積みの街並みは、
まるで魔法のように彩りを帯びていた。
スカイブルーの雑貨店。
パステルピンクの洋服店。
イタリアンレッドの武具店。
エメラルドグリーンの食品店。
目が驚く。
そして──街に溢れる、人々の気配。
活気と笑顔と、怒声すらも混じった、
まさしく生活の息吹。
誰ひとりとして、
神殿から出てきた不審者に注目する者はいない。
それが、逆にいい。
おっさんは、ひとり小さく息を吐いた。
──この街はもう、甦った。
そう、感じた。
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神殿前にて──。
まるで鶏肉商人のように
笑みを浮かべ、ゆっくりと街中を眺めるおっさん。
街の光景は生命感に溢れ、
どこか懐かしく、あたたかい風が頬を撫でる。
そこへ──
めんこい娘たちと、すっかり“母親ポジション”のリリが駆け寄ってきた。
「おとーさん、おっそ〜い!」
元気いっぱいにトゥエラが飛びつき、
「なにをなさってたんですか?」
リリはメガネを直しながら、少しだけ呆れ顔。
テティスはというと──
頬をほんのり赤らめて、
モジモジと下を向きながら、小声で呟いた。
「……ぱーぱ、待たせすぎだし〜〜」
その顔は、
まるで“素直になれない14歳”そのもので──
おっさんは思わず、にやけそうになるのを堪えた。
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皆から一斉に文句をぶつけられ──
おっさんはようやく気づいた。
どうやら、戻ってくるのが──
丸一日、遅れていたらしい。
あの七柱の女神像たちとの与太話なんて、
体感じゃ10分かそこらの出来事だったのに。
「やっぱ、あそこは別んとこの世界だったんだべか」
頭をぽりぽり掻きながら、
おっさんは改めて
“神殿の奥”の異質さを思い返すのだった。
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「……そいでおめ達、
これはどうゆう状況なんだっぺか?」
おっさんが尋ねると、
家族たちは口々に説明を始めた。
曰く──
七柱の“女神像”によって、
ふわっとテレポートのような魔法で、
この場所に送られたらしい。
その時点ではまだ、以前と同じように──
生気のないホビットたちが、
街中をふらふらと漂っていたという。
けれど──
おっさんが今、目の前に見ている光景は
──どう考えても、違う。
「……ここ、
元はダム湖の底みてぇな場所だったろうに……」
だが今や、遠くの森も山脈も一望できる。
完全に──地上にある街だ。
家族たちが目にしたという“変化”はこうだった。
まばゆい光とともに、街が──
道が、建物が、人々が──
まるで絵の具を注ぎ込まれたように、
次々と“色”を取り戻したらしいのだ。
そして──
まるで「ほんの昼寝から起きたばかり」みたいに、
そこら中の人間たちが急に目を覚まし、
何事もなかったかのように仕事や生活を始めたのだという。
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美味そうな匂いを漂わせる居酒屋。
小洒落た内装のホテル。
そして、色とりどりの民族衣装が並ぶ服屋。
──街は、
どこを見ても“ちゃんと”活気に満ちていた。
「まぁ、とりあえずは……ゆっくりすっぺな」
おっさんはそう言って、
家族たちを連れて街をぶらつく。
貨幣は一文たりとも持っていないが──
黄金の延べ棒やら、装飾品の類なら、
フレコンに何袋もある。
「なんとかなんべ」とタカをくくりつつ、
賑やかな往来を進んでいると──
気づけば一際ゴージャスな街区へと紛れ込んでいた。
メイド服の女性。
執事風のイケおじ。
スーツ姿の筋骨隆々。
そして、笑顔の奥に“闇”を宿した美女たち──
当初抱いた“独特”なイメージとは裏腹に、
見かける住民たちは、
ぬいぐるみのような愛嬌をたたえていた。
──酒もうまいし、飯もうまい。
思ったよりずっと、居心地がいい。
ふと隣を見ると──
テティスが、なぜか顔を真っ白に塗り、
フェドーラ帽を目深にかぶっていた。
「……マイケルかよ」
思わずツッコミを入れるおっさん。
だが、彼女なりに──この街では
“そうしなきゃならん理由”があるのかもしれない。
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翌日も、のんびりと街をぶらついていると…
大きめの商店のような造りの、
建設途中の現場に出くわした。
おっさんはワクワクしながら作業風景を眺めていると、
なんと——扱っている壁材が、
あの謎の石材じゃないか!
背の低いホビット族の男たちが、
見慣れない刃物やヤスリを器用に使って、石を精密に加工している。
居ても立ってもいられなくなったおっさんは、
そのまま現場に突入して、こう言い放った。
「給料なんていんね!弟子にしてくんちぇ!」
さっそく作業に加わったおっさん。
扱う石材は、見た目こそ地球でもよく見る
コンクリートブロックほどの大きさ。
——なのだが。
その密度?いや、質感?
とにかく「素材の常識」が全部ぶっ壊れてる。
鉄のような堅さがあるのに、
どこか木のような“しなやかさ”もある。
重さは確かにコンクリート級。
なのに、触れても“冷たさ”を感じない。
物体なのに、温度がないってどういうことなのか…
「経験と技術なら、そうそう遅れは取らんぞ…!」
そう思ったおっさんは、
腰袋から鋸やノミ、ハンマーを取り出し、
見よう見まねで加工にチャレンジ。
もしこれが本当に“石”なら、
普通の道具じゃすぐに刃こぼれして使い物にならないはずだが——
……切れる。
彫れる。
掘れるッ!!!
ただし、めちゃくちゃ硬い。
以前、樹海でウッドデッキやログハウスを
建てたときに扱ったあの超硬木材たち。
日本の栗や樫なんて比じゃなかったあの木材ですら、
この素材の“硬さ”には敵わない気がする。
仮にコンクリートブレーカーで叩いたところで、
たぶん“砕け”ない。割れずに、跳ね返してきそう。
けれど、不思議なことに——
集中してノミを挿れ、鋸を入れれば、
きちんと削れる。斬れる。
ほんと、まるっきり意味不明な材料だった。