第六話
終わったのか……。
全身から汗と加齢臭を噴き出しながら、
石段の上にドスンとへたり込むおっさん。
こんな運動、若い頃に喧嘩に明け暮れた頃ぶりだ。
腰が……膝が……いや、もう全部痛ぇ。
「くたびっちゃ〜……何だったんでぇこれ?」
声に力が入らず、ため息混じりに天を仰ぐ。
そのすぐ後ろで、トゥエラとテティスもついに
“ステージクリア”したらしい。
トゥエラはぴょんと跳ねて、
ニコニコとおっさんに駆け寄ってくる。
「おもしろかったー!もっとしたいねー!」
その無邪気な笑顔に、
さっきまでの地獄のような階段地帯が、
まるでレジャー施設にでも見えてくるから不思議だ。
一方、
息を切らしつつもドヤ顔で髪をかきあげるのは、
ギャル化したテティス。
「てかパパ、エグすぎなんだけど!? あーしあんなパーフェクト見たの初だわ〜!マジ尊敬っしょ〜〜!」
どうやら本気で感心してくれているようだ。
若干、何を褒められてるのか微妙な気持ちになるが──まあ悪い気はしない。
「んで、リリは……どうした?」
周囲を見回すおっさん。
さっきまで一緒にいた受付嬢の姿が見当たらない。
するとテティスが、
心底呆れた顔でぼそりと吐き捨てた。
「あの人マジ無理〜〜〜。センス皆無すぎてウケるんだけど!え、逆にどこで育ったらあの動き出んの?ってレベル〜〜!」
──ギャル語でのディスが、なかなかに酷い。
「……戻されたんけ?」
「あー、なんか途中でBAD出しまくってたから、たぶんまたリトライ部屋ってやつ?に飛ばされたんじゃね〜?」
「もごせなぁ……」
「いやマジで本人が一番かわいそうだから。ってかさ〜、あの人ビートにすら乗れてなかったし、マジでBGMに謝ってほしいレベル」
──これが、ギャル流の同情らしい。
やがて、闇の階段の奥に、小さく光が灯る。
あの異常な“跳舞遊戯”を超えた者にだけ──その先が開かれる。
おっさんは、腰を押さえつつ、立ち上がる。
「……よし。行くべ」
今度こそ、この階段の終わりへ。
全身に残るダンスの余韻と、痛む関節を抱えながら──
おっさんと娘たちは、ふたたび歩き出した。
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一歩、また一歩と進むたびに──
周囲の闇が、少しずつ薄れていく。
足元の黒い石段は、やがて静かに終わりを告げ──
そこには、真っ白な床が広がっていた。
壁があるのか、天井なのか、それすらもわからない。
まるで空気そのものが“白”に染まっているような──
無機質で、静寂な空間。
おっさんは、ふと思った。
──これはたぶん、死んだ直後に来るやつだ。
死後の世界っていうか、転生の待合室っていうか……
そういう“俗っぽい認識”が脳裏に浮かぶ。
だが、神も、天使も──何者も現れる気配はない。
ただ、ひたすらに──白。
……だったはずなのに。
耳に届いた。
ボソ……ボソ……と、どこか遠くから、声が。
「……マジかよティーじゃん……なんでいんの? ありえないんだけど〜〜」
「てかさ〜、あいつこの前シフト押し付けたくせにバックれたってマ? 信じらんないんだけど〜〜」
女の声──しかも複数。
しかも、どっかで聞き覚えがあるような、
ないような──
ギャル特有の“ダル絡み”のイントネーション。
おっさんは思わず立ち止まり、目を細める。
真っ白な空間の先に、うっすらと見えてきた──
人影?
いや……違う。人ではない。
まるで枯れた木のような──
ボロ布をかぶせたマネキンのような──
朽ちて、ひび割れて、それでも“喋っている”──
そんな“人型のナニカ”が、空間いっぱいに──
無数に“生えて”いた。
「…………うわ……」
おっさんの背後で、トゥエラが一歩引く音がした。
テティスは、表情を消し、腕を組んだまま黙っている。
リリは……いない。多分まだリトライ中だ。
──異形の影たちは、こちらを見ていない。
けれど、
声だけは、確実にテティスへ向けられていた。
「ねぇ、マジでなにしに来たの? ってか、まだいたの? だる〜〜」
「え〜? あーしらがどんだけ頑張って“代わり”やってたか知ってる〜?」
「マジ空気読んでほしいんだけど〜」
その口調は、どこか“友達ごっこ”のような、歪な馴れ馴れしさ。
けれど──そこには確かな“憎悪”が含まれていた。
おっさんはそっと、娘たちの前に一歩出た。
「……テティス。ここ、なんなんだ?」
テティスはほんの少しだけ、口元をゆるめ──
「──あー……たぶんここ、“アタシがいた場所”の、残りカスっぽいかも」
その声は、いつもよりほんの少し──冷たかった。
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どうせ、この空間にいても──
腹は減らない。
のども乾かない。
おまけに、たぶん──時間も進んでいない。
だが、上に置いてきたリリは、別だ。
(あいつ……一人で、寂しくしてっかもな)
泣きべそかいて、腹ペコで、
きっとまた「んはあぁぁぁん」って言ってるに違いない。
おっさんは、そっとテティスに目配せする。
そして──指で、ちょいと“飲みたい”ジェスチャー。
その仕草に、テティスが「ぷっ」と噴いた。
それは、おっさんが今まで見たことのないような──
少女らしい、いたずらっぽい笑みだった。
彼女はすっと立ち上がり、枯れ木のような影の群れへ歩み寄っていく。
「……あーしさー、もうココ卒業するから。
この腐った地脈も、もう余裕で直せっから。
先輩方〜、マジでお疲れ様〜〜〜」
軽く、手を振る。
異形たちは黙ったまま、まるで塩をかけられたナメクジのように、
静かに、白い霧へと溶けていった。
テティスは振り返り、おっさんを手招きする。
「ぱぱ〜、あと一回だけお願い」
その指が向く先には──
ズドン。
まるで千葉の観音様ばりの、
巨大なダークエルフの像が──七体。
それぞれが、異なる表情と姿勢で並び立ち、
空間そのものに威圧感を与えていた。
その足元には、
畳ほどのサイズの──いや、“座布団”くらいか?
九枚の石板が、整然と並べられている。
おっさんは眉をひそめ、
しばらくそれを見つめてから、ボヤいた。
「……ファイナルステージってやつけ?」
テティスは、肩をすくめて笑う。
「ここマジえぐいから。
ガチで覚悟しといてね、ぱぱ〜」
そして二人は──
何かを知っている者と、何も知らない者のまま、
そろって石板の上に、足を踏み出した。
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石板の前に立つ二人に、
数十メートルはある女神像の目から…
レーザー光線が突き刺さる。
不思議と体を貫通し、床を照らし、
複数の絡み合うビームが五芒星、六芒星を作る。
そしてどこからもなく、
「イヒヒヒ」
という少女の笑い声と共に…
ゲリラ豪雨のような矢印が降ってくる。
とてもじゃないが、おっさん一人では無理だ。
だって、四つ以上の矢印が塊で落ちてくる。
手足は4本しかないのだ。
しかし、同じ舞台にテティスもいる。
二人は一瞬目を合わせ、
仕事にかかる。
おっさんは腰袋から、
トラックの荷台シートを縛るゴム紐を取り出し、
両手に構える。
足捌きだけではどうしても間に合わない石板を、鞭のようにバシィ!と叩く。
テティスはおっさんに密着し、
シャンプーの甘い香りの汗を振り撒きながら、
矢印の塊を処理する。
たった数分。
その地獄が終わった。
【最難関葬送曲PERFECT! 】