第四話
一安心したおっさんは、まず家族を部屋の中へと促し、最後に自分が入って扉をそっと閉じた。
次の瞬間──
「……っと」
腰袋から静音モード付きのインパクトドライバーを抜き出し、
シュィィィィン……と音もなく、扉の四隅にビスをガッチリ打ち込んでいく。
「よし、これで外からは開かねえべ」
魔法も結界もないが、現場の知恵とツールだけで
要塞化するその手際に、ちょっとした安心感が宿る。
おっさんは腰を落ち着けながら、クーラーバッグからジュースと片手サイズのブリトーを取り出して配る。
具はチーズとソーセージ。
子どもたちにも扱いやすく、**片手でつまめる“現場メシ”**だ。
あとは……焼酎をひと口。
「ふぅ〜……」
闇と静寂に包まれた地下の一室。
けれどそこに、小さな団欒が生まれていた。
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ひと息ついたおっさんは、ヘルメットのライトを調整しながら、
足元の階段をじっくりと観察した。
──この階段だけ、何かがおかしい。
建物全体は、はっきり言って脆い。
柱も壁もヒビだらけで、よく見りゃ月明かりが漏れてくる穴まで開いている。
ちょっとした地震が来りゃ、簡単に崩れそうな代物だ。
なのに、この階段だ。
まるで一流の左官屋が鏝でピシッと仕上げた土間のように、
一切の凹凸もない滑らかさ。
だが素材は土でも石でもない。
墓石のような天然石かと思えば、
触れても、冷たさすら感じない。
──温度を感じない。
まるで“質量”すら、こちら側の常識とは違っているかのようだ。
「……いくけ?」
そう言って後ろを振り返り、
おっさんは一歩、階段に足をかけた。
キュッ、と靴底が吸い付くような感触。
先ほどまでいた神殿の床部分が、頭上に見える。
周囲にはかろうじて石造りの基礎……のような構造も確認できた。
だが──数段、十数段と降りた頃。
明らかに“何か”が変わった。
背後を振り返ると──
もう、さっきまで見えていた天井も、基礎も、どこにもなかった。
光はヘルメットにある。
けれど、その光が“何にも反射しない”。
辺り一面、真っ暗な“空間”。
壁も、天井も、床すら……“ない”。
おっさんは、知らず、足を止めていた。
ただ、黒の中に浮かぶ階段だけが──
淡く、鈍く、ずっと、下へ下へと続いている。
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いつだったか登った、
砂漠の中にそびえていた“アホみたいな塔”。
あれをふと思い出したが──
この足元の階段だけは、
明らかに別モノだった。
文明が違う? そんなレベルじゃない。
そもそも“作り”が根本的におかしい。
足元には、だいたい“畳一枚分”ほどの真っ黒な踏み面。
仮に“石段”と呼ぶとして──
それらは完全に独立して、空中に浮いていた。
大きくゆったりとした螺旋を描くその足場は、
普通に考えれば、中央に柱があるとか、
外壁から張り出してるとか、
何かしらの“支持構造”があるものだ。
だが──この階段には、支えがない。
まるでゲームのような空中足場。
ジャンプして乗った瞬間に落ちてもおかしくない、
おっさんは、一段降りるごとに
腰袋から取り出した角材でコンコンと突いたりしていたが……
「……バカらし」
途中でアホくさくなって、やめた。
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頼りない頭の照明だけで奈落へ……
というか…
「一人増えてんでねーの?」
先頭のおっさん。
それに引っ付くトゥエラ。
すぐ後ろに続く、テティスとリリ。
その隙間に紛れ込んだ…幼女。
「誰だ?おめ」
と顔を覗き尋ねるが、
薄ら青い顔に銀の髪…
やけに見覚えのある…
テティス?
後方のダークエルフを見れば、
どんなご馳走を食べても、
薄目で無表情キャラを貫こうと努力を続けている彼女が、
目を見開き狼狽していた。
「な…なんでわたし…?」
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テティスそっくりの幼女は、意識があるのかないのか──
ただ無表情に、本人の前に立っていた。
よく分からないが、幽霊という感じではない。
肩に触れてみると、ちゃんと質量がある。
幻でもなさそうだ。
「まぁ……どっちも、めんごいからいいんでねーの?」
おっさんは分からないことは棚に上げ、とりあえず階段を降り始めた。
すると──
まるでコピーされたように、テティスとまったく同じ動作で歩き出すミニテティス。
トゥエラは面白がって、後ろから構うが、
何の反応も示さない。
テティスがそちらを見ると、ミニも同じようにトゥエラを振り返る。
この階段、いや、この空間そのものが、
ダークエルフ──テティスに何かしら関係している。
それだけは間違いないようだった。
そして、ふと気づく。
……どれくらいの時間が経ったのだろう?
何時間、何十時間、降り続けている気がするのに──
腹も減らなければ、喉も渇かない。
誰一人、座って休憩することもなく。
会話すらない。
まるで……**“時間が動いていない”**ような──
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おっさんは、ふと思い立ち──
降りてきたばかりの黒い石段を駆け上がってみた。
すると──
十数段ほど登ったところで、あっさりと、
先ほど休憩していたあの部屋に戻ってしまった。
「……あんちゅーだっぺ……ほんずねぇ」
現実味のない現象に、頭を抱える。
だが考えても埒が明かない。
家族を呼び戻し、一旦休むことにした。
チビテティスも、当然のように着いてくる。
部屋に戻ると、中央にどかりと円座を組み、
食事の支度を始める。
大きめの土鍋をカセットコンロの上に置き、
昆布と水をあたためながら、切った具材を順に投入。
こんな妙な状況の時こそ──
ピリ辛の、キムチ鍋だ。
我が家は、小柄なトゥエラですら、
唐辛子もワサビもそこそこいける口。
絹ごし豆腐をどっさり入れ、
炒めた豚バラでコッテリ感を出す。
野菜もキノコもたっぷりだ。
ご飯もよそい、四人分──
いや、チビテティスも含めて五人分、
きちんと並べてやる。
「くわっせ。ちっと辛れーけんどもな」
ぐつぐつ煮立つ鍋を囲み、
いつも通りのにぎやかな食卓風景。
……のはずだった。
おっさんが、
酒をすすりながらその様子を見守っていると──
チビテティスが、テティスとまったく同じ動きで、
鍋を口に運び──
ふいに、ぼわっと光を放った。
それはまるで、無数の蛍の群れのようだった。
光の粒となったチビテティスは、ふわふわと宙を舞い、
やがてテティスのまわりをくるくると纏い──
そして、静かに吸い込まれるようにして、消えた。
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チビテティスが光の粒になって消えてからも、しばらくの間、誰も言葉を発せなかった。
何が起きたのか──説明できる者など、誰一人としていない。
だが一人だけ、まるで“最初から分かっていた”かのように、いつも通りの仕草で手を動かしている者がいた。
テティスだ。
見えていなかったのか?
それとも……あえて、何も言わなかったのか。
彼女は静かに取り皿を手にし、
キムチを一枚、箸でそっと取り上げると──
それで豚バラ肉をくるりと巻き、
キノコと野菜をそっと添え、
まるで料理番組の実演のように丁寧に、それを口元へ運ぶ。
「……」
おっさんが、呆気に取られたまま、何も言えずにいると──
テティスは、ごく自然な声色で、
まるで一つの工程を終えたかのように、ぽつりと呟いた。
「あ〜し、思い出しちゃったっぽい。てかここ、うちの実家じゃね?」