第三話
道も、入り口もない──完全に閉ざされた街。
梯子やウインチを使えば、侵入できないことはない。
けれど……なんというか、気持ち悪い。
おっさんは、世界中を巡り、仕事をしてきた大工だ。
奥地の少数民族の村でも、
砂漠の一夫多妻集落でも、
無法者が屯する荒れた街でも、
施主の意に沿うために、真面目に、
誠実に仕事をしてきた。
自分と文化が違おうが、常識が通じなかろうが、
相手の望みをしっかり理解できれば、
現場は成り立つ。
それがプロの仕事ってもんだ。
だが、この街の住人たちは……何かがおかしい。
建物の外にわらわらと出てきているくせに、
飢えているわけでもなけりゃ、
貧困に喘いでいる様子もない。
暴動が起きてるわけでもなけりゃ、
誰かを探してるでもない。
だというのに──
全員が、まるで目的を失った風船のように、
フラフラと、無言で、ただ歩いていた。
日が暮れかけたため、ドローンは一度引き上げたが、
その光景が脳裏に焼きついて離れない。
あれはただの徘徊じゃない。
“全住民が、思考を放棄したように彷徨っている”──
そうとしか言いようがなかった。
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取りあえず、穴から少し離れた場所に車を停めて、
夜営の準備をする。
このままパスして、
別の場所を目指したい気持ちもある。
だが、問題は目の前のそれが──
まるで冒険映画のセットのような謎の街だということ。
しかも、あの中心部。
どこかで見たことのある顔が、
神殿らしき建物に彫られていた。
──どう見ても、テティスにそっくりだった。
だが、問題も多い。
この大所帯を引き連れて、
あの穴の底まで侵入し、
さらにあの建物まで辿り着くには……
ちと無理がある。
そもそも遠近感の狂う景色で、
正確な広さが把握できてないが、
あの街は、見た感じでも──まあまあ広い。
こっちの気配がバレた訳でもなし、
とりあえず今は、腹を満たして頭を冷やす時間だ。
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悩んでいても腹は減るので、
狼煙はあげずに簡単な晩飯……
ということで、
冷やし中華を作ることにした。
樹海で採れた平打ちのツルツル鋭い草を茹で、
氷水でキュッと締める。
具材は……
・ドラゴンハムの千切り
・コカトリスの玉子で作った、甘めの錦糸卵
・イソギンチャクの魔物の漬物スライス(酸味担当)
・トゥエラが川辺で摘んできた野草
・リリが勝手に持ってきた軟体魔石の細切り
仕上げに、
混濁魔石をブシュッと豪快に絞り、
醸造黒魔石汁をひとまわし。
「ほれ、冷やし中華だっぺ」
誰も“中華”が何かは知らないが──
うまいもんは、うまい。
真っ赤な月が、夜空にぽっかりと浮かんでいた。
そんな頃、テティスの魔法が以前よりも“バージョンアップ”したという話しを聞いた。
それならば──と、例の巨大な穴の中心部にそびえる謎建築。
あそこまで、四人で忍び込めるかと尋ねてみた。
「余裕です」と、テティスは淡々と答える。
ただ一言だけ、
「……長時間は辛いので、短時間でお願いします」と付け加えていた。
それぞれ、黒装束に身を包み、
静かに穴の淵へと立つ。
飛ぶのか?ワープか?それとも──
「どんな魔法なんだ?」
と尋ねると、
テティスはひと言。
「傾斜結界魔法、です」
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「いいか? 絶対に騒いだらダメだからな」
そう念押しするおっさんを先頭に、全員で傾斜の前に並ぶ。
目の前に広がるのは──
夜の空気にふわりと浮かぶような、オーロラ色の透明な滑走路。
それはまるで蜃気楼のように、ゆらゆらと、幻想的に輝いていた。
「……行くぞ」
おっさんは覚悟を決め、オーロラのようにぼんやり光る傾斜に身を預けた。
その瞬間──
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
叫ぶなって言ったのお前だろ!?
──と、誰もがツッコみたい気持ちになっただろう。
グネグネと蛇のようにねじれ、
時に宙返りし、時に空中をフワッと跳ね、
まさに”魔法の巨大滑り台”は、全力でスリルを演出してくる。
「きゃーーーーー!たのしーーー!!」(※トゥエラ)
「あひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃん!!」(※リリ)
「も……もれ……っ」(※テティス)
──結果、全員大騒ぎである。
時間にして、わずか数分。
オーロラの波に運ばれ、四人は無事、
あの謎の建物の正面入り口に──着地した。
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街の中は、驚くほど静まり返っていた。
昼間、外を徘徊していた住民たちの姿は──どこにもない。
「……なんとか、セーフって感じか?」
おっさんが小声で呟く。
四人はそろりそろりと建物の正面扉へ近づき、
まずは軽く押してみる。
……が、ビクともしない。
「ん、鍵か?」
と、思いきや──
少し力を抜いて“引く”と、まるで拍子抜けするほど、あっさり開いた。
「鍵……ないんかい」
重そうに見えた扉は、軋むことなくスルリと開き、
中からは埃の舞う空気と、かすかに湿った匂いが流れ出してきた。
足元には、色褪せた赤い絨毯。
毛足はすり減り、ところどころ破れていて、
それでもどこか格式ばった“歓迎”の気配を残していた。
中は……広い。
奥行きのある石造りのホール。
壁には朽ちた装飾と、意味の分からない象形文字のような彫刻。
だが──
気配はない。
音も、動きも、息づく気配すらない。
「……行くぞ。照明、点けてけ」
おっさんの指示で、全員がそれぞれのヘルメットに装備したライトを点灯させる。
カチリ。カチリ。
順に灯る光が、ぼんやりと内部を照らし出す。
四人は、まるで肝試しにでも来たかのように、
肩を寄せ合いながら、静かに──それでも着実に──
この謎の建物の中へと足を踏み入れていった。
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そろそろと、奥を目指す。
壁には、意味の分からない文字と──
どこかテティスを思わせる、長耳の女性たちの彫刻。
幾何学的な模様に混ざり、バランスも秩序もない彫像や刻印が
やたらと雑多に並べられていて、
まるで……誰かの落書き帳の中に迷い込んだようだった。
やがて通路の突き当たりにたどり着いたおっさん達は、
右へ、壁沿いに進んでいく。
建物の外観からすれば、これは正面──中心部にあたるはずだ。
ほどなくして、また扉が現れた。
入り口にあったものと大差ない、装飾も簡素な木の扉。
ただ、表面にびっしりと刻まれた、ひび割れたような魔法文字が
どこか“封印”を思わせる。
おっさんがそっと引くと──
まるで待っていたかのように、音もなく開いた。
中を覗き込む。
その先には、静かに下へと続く──
石造りの階段。
「……地下、か」
耳に届くのは、自分たちの呼吸音と、
かすかな地下からの空気の流れだけだった。