……だけど、一つだけ分かることは……
「……あの、梨壺さま……?」
「あっ、ごめんね伊織さん。ちょっと痛かったんじゃないかな? 後頭部」
「……あ、いえそれは大丈夫です」
「……そっか、それなら良かった」
ただただ唖然とする僕に、お言葉の通り心配のご様子でお尋ねになる梨壺さま。……いや、強く押されてはいないし、褥も敷いてあるから痛くはない。なので、本当に大丈夫なのだけど……
「――っ!!」
「……ん? どうかした伊織さ……あれ、もしかして初めてだったりする? こういうの」
「……あの、その……」
「……へぇ、意外だね。でも……ふふっ、可愛いね伊織さん。ほんとに、すっごく可愛い」
そう、僕をじっと見つめ微笑む梨壺さま。幾重にも重なっているであろう、ご自身の衣服にそっと手を掛け外しながら。
「……あの、梨壺さま。その、貴女には帝さまが……」
とにかく、言葉を紡ぐ僕。……いや、これが真っ当な指摘じゃないことは分かってる。令和と平安ではそもそもの価値観が違うのだし……そもそも、月夜さまも仰っていたように、帝さまは数多のお后さまと関係を持っていらっしゃるのに、お后さま側だけが遠慮しなければならない道理はない。……ただ、それでも今はどうにか彼女を思い留まらせ――
「……うーん、でも正直、別にそんなに好きでもないんだよね、帝さまのこと。それこそ、なるべく呼ばれたくないくらいだし」
「…………へっ?」
すると、不意に届いた衝撃の発言。……今、呼ばれたくないって言った? ……いや、だって彼女は帝さまに見ていただくために髪の色まで――
「……うん、この髪だけど……実は、『呼ばれない』ように染めてるの。帝さまは……まあ、帝さまに限らないけど黒髪が大の好みだから」
「……呼ばれない、ように……」
「うん、でも后である以上、明確に拒絶の意思を見せるわけにもいかないじゃない? だから、作戦ということにしてるの。他のお后さん達との違いをつけるっていう体でね。……まあ、そもそもほとんど呼ばれることもなかったけどね」
「……それが、本当の……」
すると、唖然とする僕にクスッと微笑み告げる梨壺さま。自身の髪――鮮やかな黄色の髪を指差しながら。
「……さて、閑談はこれくらいにして……そろそろ始めよっか? 伊織さん」
「……いえ、でも僕は……」
「あれ、良いの? もし、伊織さんが拒絶しちゃったら――ひょっとすると、さっきの話はなかったことになっちゃうかもね?」
「……っ!! ……それだけは、どうか……」
その後、何処か不敵な微笑で告げる可憐な少女。さっきの話――それは、言うまでもなく……そうなると、月夜さまは――
「うん、分かってくれて良かった。でも、心配しなくて大丈夫だよ。私も、そこまで経験があるわけでもないけど、初めてでもないから……ちゃんと、私がリードしてあげる」
「…………」
そう、莞爾とした笑顔で告げる。……うん、分からない。なんで、僕なんかに……だけど、一つだけ分かることは……ここで、断るという選択肢はないということ。
朧な月が、御簾越しに僅かに差し込む。仄かな月光と鮮明な灯火の中、更に距離を詰めそっと僕の唇を塞ぐ梨壺さま。ハッと脳裏に浮かぶのは、艷やかな黒髪を纏う清麗な少女。そんな彼女に、心中にて謝罪を述べる。そして、溶けるような甘い香りの中でそっと目を閉じた。




