八話 国立冒険者高等学校
「……えー、つまりこのようにして、公式が成り立つわけで。ここで更に一と二の公式を使い……」
「……ふわぁ、あ」
昼休みを挟んだ五限目。
チョークの音が鳴り響く中、思わず出た欠伸をかみ殺す。
どうして数学の授業はこうも眠気を誘うのか。全国の親御さんも眠らない子供がいたら、これ聞かせればいいんじゃないかな。たぶん二秒で寝るよ。
かく言う僕も限界に近い。
ノートを見れば博物館に飾ってそうなミミズ文字がある。
既に知能は崩壊していた。
昨日は興奮して眠れなかったしなぁ……。
「はぁ……」
目の前の黒板に綴られる意味不明な記号を眺めつつ、ため息を吐く。
……結局最後まで分からなかったな。いい点も取れなかったし。
そう思うと少しだけ、名残惜しさのようなものを感じなくもない。
あれだけ憂鬱だった授業。
でもいざ終わるとなると……これが案外、寂しいものだった。
――国立冒険者育成高等学校
それが僕の通う学校である。
名前にあるように、冒険者を育成する学校だ。まんまだな。
ただこれはちょっとした詐欺というか。
名前からして生徒全員が冒険者になれる……と思われがちだが。実際はそんなこともなく。
別に適合者じゃなくても入学は可能。偏差値も然程高くない。
とある特殊な場合を除けば普通の高校と同じである。
ほな詐欺かぁ、ってなるんだけど。
「そして……む」
「あ、先生。そこの3Xが3Yになってます」
「おお本当だ。ありがとう、水無瀬。流石だな」
「いえいえ」
美しい挙手で訂正してみせた水無瀬さんが手を振って謙遜する。
後ろの席だから顔は見えないけれど、きっと天使のような笑顔をしているのだろう。
ちくしょう、田中君と席を交換するんじゃなかった。
あの時の遠慮が今になって痛手となるとは。
……あれ、何の話だっけ。
思考が水無瀬さんの美少女ボイスで塗り潰されちゃったよ。
えーと。
「……やっぱすげぇよなぁ、水無瀬。美人だしスタイルいいし……ワンチャンねぇかなぁ……」
「……無理だろ。俺らとは住む世界が違ぇよ……」
「……はぁ、だよなぁ……」
ひそひそと、近くの席に座っている増田君と竹田君の会話が聞こえた。万年ボッチは耳が発達しているのだ。
分かるよそれ、うん、分かる。
絶対無理だけどワンチャン求めてしまうところとか凄い分かる。水無瀬さん優しいもんね。
黒髪ロングは男の浪漫が詰まっている。
彼らの方を向いてウンウン頷いていると、目が合った。
「……うわ、やべ……」
「……めっちゃ見てる……怖……」
勢いよく目を逸らされる。
完全に幽霊とか不審者を目撃した際の反応だった。泣ける。
仮にも同じ想いを抱いた仲間だろ。
まぁ、一方通行だったけどさ。それでも気持ちは同じだ。
……水無瀬理沙は住む世界が違う。
それは比喩ではなく文字通りの意味だ。顔が綺麗だとか、頭がいいとかのレベルじゃない。
もっと根本的で、絶対的な差。
我が校において彼女こそが特殊な場合の人間だった。
つまり……水無瀬さんは僕と同じ、冒険者なのである。
「……ふふ」
堪えきれぬ笑みを零す。
そう……『僕と同じ』冒険者なのだ!
多くの者が渇望し憧れる存在に、僕は昨日なったのだ!
たまんねぇよ、この優越感。
笑顔が気持ち悪かったのか周りの席の子達が離れていったけど、んなことどうでもいいね。
僕は冒険者なのだ。
そんなことぐらいで凹みやしないよ。
「……ぐすん」
おっと、目からポーションが。
ハンカチで目元の水分を吸い取りつつ、この世の非情さを憂いた。
やっぱ顔なんか。
冒険者になっても、顔が変だったら気持ち悪がられるんか。
悲しい……。
と、気分が落ち込んでいたところに。
「……よし、じゃあそろそろチャイムも鳴りそうなので、ここまでとする。今日やった範囲はテストに出やすいので、しっかり復習するように」
何人かの生徒が、はーいと答える。
君たち真面目だねぇ。
先生もそう思ったのだろう。返事を聞いた彼は一つ頷き、教室から退出した。
そのまま暫くすると、完全に休み時間になったと悟ったのか、教室が少しずつ騒めいてきた。
羨ましいことだ。
特に前方のグループ、水無瀬さん達は実に姦しい。
「ねね、みなっちー。明後日さぁ、うちらで新しくできたカフェに行こうと思うんだけどー、どう?」
「え、明後日? ……あー、ごめん! その日はもう迷宮に潜るって約束してて」
「またぁ? みなっち最近頑張りすぎじゃね?」
「それ分かる。理沙ちゃん、前まではそんなに潜って無かったよね」
「ねー」
女子三人グループのしっかり者、倉木さんが不思議そうに言う。またそれに対し、ゆるふわ系ギャルの桜森さんが同調した。
彼女達も多分に漏れず美少女である。
倉木さんはシュッとしていて、どちらかというとイケメン女子。ボーイッシュな髪形が非常に似合っている。
その甘いマスクに、クラスの女子は傾倒。
また桜森さんは反対に、とても女の子らしい美少女だ。ふわふわの金髪と急な距離の詰め方に、クラスのオタクは全滅。
美しさ、可愛さ、かっこよさが揃った最強のカーストトップ。
これが水無瀬グループなのだった。
「そ、そうかな?」
「そうだってぇ。……なんかあったん?」
「な、何にもないよ!?」
「んー……怪しいね」
「ねー」
そんな最強集団のリーダー、水無瀬さんが今ピンチに陥っていた。
いや事情とか知らないけどさ。
遠目から見ても、彼女が困っていることは予想できた。
手振り素振りで何もないと言う水無瀬さん。
明らかに、何かがあった。
「ふふふ、おとなしく白状しろ~。またこしょこしょされたいのか~」
「へ!? ちょ、ちょっと夢香ちゃん……!」
「理沙がそんなに隠すなんてね。流石に私も、気になっちゃうかも」
「明日香ちゃんも……!?」
ははは、おもしろ。
水無瀬さんの目がグルグルになってるよ。
二人に問い詰められて顔を赤らめる彼女。そしてそれはついに限界を迎え……。
「……!」
「……ん?」
え、こっち見てる?
違うよね、まさかクラスのマドンナ水無瀬さんがそんなこと……。
え、まじで見てる?
これ見てない?
見てるよね!?
とうとう来ちゃったかな、僕の時代が!
どうも皆さん初めまして水無瀬さんが迷宮を潜る理由になった男、雨夜です。
自信満々に笑って手を振ろうとした僕は、されど確実性を増すために斜め後ろを振り返った。
僕の席は左端から二列目で、後ろから二番目だった。
ちなみに僕の後ろは留学生のマイケル君。身長は二メートルある。漫画かよ。
……って、んなことはどうでもいい。
この射線上だと、可能性としてあるのは恐らくは左後ろの人物。
だけどまぁ、流石にないよね。絶対僕のこと見てるもん水無瀬さん。
まさかまさか、そんなそんな……。
「……はぁ、こっち見んなよ」
そう呟いたのは桐生君だった。
彼はため息をつき、腕枕をして狸寝入りをする。
……いやお前じゃん。
水無瀬さんが見てるのお前じゃん。
ほら水無瀬さん、ほら、お前が寝たからショック受けた顔してんじゃん。
お前じゃん。
……え、何この人。主人公なの?
君この前明らかなヒロイン助けてたよね。
また堕としてんのかよ、怖。
「ちょちょ、今のどういう視線~? 誰見てたのみなっち~」
「顔先から判断するとあっちの方だけど……誰だろうね?」
「ち、違うの! み、見てなんかないし! ほんと!」
「否定するほど怪しいよねぇ……ま、さ、か」
「な、なに……?」
「このクラスにみなっち、好きな人いるの~!?」
キーンコーンカーンコーン。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムの音が鳴り響く。
……教室が、一瞬静かになった。
沈黙の空気を破ったのは水無瀬さん。
「な、な、何を言ってるの!? 夢香ちゃん!? わ、わた、私はそんな、好きな人とか、まだ……」
「おお、顔が真赤だね。こりゃ珍しく夢香の言うとおりかな」
「ちょっとぉ、それどういうことぉ」
「あ、あわ、あわわわわわ……」
なんかカオスになってきたな。
これはこれで面白い気もするけど……。
「……ふ、ふーん」
「へ、へぇ……?」
「ほーん……」
あ、やばい!
クラスの男子が全員ソワソワしてる。『え、まじワンチャンあります?』って顔してる!
特に竹田君と増田君、めっちゃソワソワしてる!
……いや気まず~。
皆、違うんよ。君たちじゃないんよ。彼女の想い人は、僕の斜め後ろで寝てる彼なんよ。
だからそんな……あぁ、髪とか整えないで! 急に身嗜みに気とか遣わないで!
笑っちゃうから!
「それでそれで、どうなのさ~。やっぱいるの? いちゃうの~?」
「あの理沙が好きになる男の子……見てみたいね」
「あ、あ、私、私……!」
クラスの中で緊張感が高まる。
彼女の言葉を一言一句漏らさず聞こうと、男子が全員真剣な表情になっていた。
僕もそうだ。
少しでも気を緩めれば、大爆笑をしてしまうかもしれない。
頼む、誰か助けてくれ……!
そして願いは、叶った。
「私! これからラビリンス行く予定あるから! じゃあね!」
彼女が下した決断は保留だった。
凄まじい速さで荷物をまとめ、水無瀬さんが教室から出ていく。
これが冒険者の速度か。勉強になるなぁ。
残された二人が、口を開く。
「あ、ちょ、みなっち~」
「まぁまぁこれぐらいにしておこうよ。私たちも、揶揄いすぎたね」
「あー……ね。みなっち可愛いから、つい」
「ふふふ。夢香だって可愛いよ」
「ちょちょ、私口説いてどうすんだし~」
「あははっ」
……百合空間が生まれている。
これこそ彼女らが最強のカーストトップでいる所以。
あそこに一度男が挟まろうとしたならば、恐らくクラスどころか学校中が殺しにかかってくるだろう。
やだ、うちの学校物騒すぎ?
学校の民度に戦慄を覚えていると、荒々しい扉の開ける音が聞こえた。
あー……来たね、彼が。
「うーっす……ってなんだよ、理沙のやついねぇのか。早く来て損したぜ」
着崩した制服に、赤で染めたワイルドな刈り上げ。光るピアス。
乱暴な口調は彼の性格を表していた。
鍛えられた体を見せつけるように歩き、自分の席にドカッと座る。
教室が静まり返っていた。
彼の名は武内耕哉。
水無瀬さんに続き、もう一人の学生冒険者だ。
大体四十人くらいのクラスなのに、千人に一人の適合者が二人もいるなんて珍しい。
……まぁ桐生君と僕を合わせれば四人だけど。
それだけ、この学校は冒険者に対して厚い支援をしてくれるのだ。
例えば堂々と遅刻してきた武内君。
普通なら先生に怒られるところだが、彼は冒険者だ。
つまりは支援の対象となる。
その内容は……。
「あいつ……」
ん? 声が聞こえた気がして、振り返る。
けど桐生君は突っ伏したままだし、もちろんマイケル君は違う。だって彼、体はでかいけど声めっちゃ可愛いもん。
……気のせいなのかな?
まぁいいや。
それで、支援の内容だけど。
大体はこんな感じである。満十八歳以下の本校の学生が冒険者になった場合。
学費免除に加え、一部授業の免除。
特別講師による迷宮講習。
卒業資格の確定。ただし、問題行動による退学、または冒険者資格を剥奪された場合を除く。
寮の開放。
特別な運動施設の利用などなど……。
他にもあるが、僕にはあまり関係なくて忘れてしまった。
僕にとって大事なのは学費免除と卒業資格を貰えること。成績に関係なく卒業できるから、これで極論勉強はしなくていい。
更に加えて授業免除。
流石に学生であるから、全ての授業を受けなくてもよいわけではないが……それでも大体の授業は、個人の判断で決めてよいことになっている。
つまり彼も僕と同じで、数学の授業を免除申請したのだ。
ちなみに次の時間は英語。
この先生は気弱なことで有名なので、楽にサボれると思ったのだろう。僕もそうするつもりだ。
あとこれは本当に関係ないが。
水無瀬さんは基本的に全ての授業を受けるものの、英語だけは受けずに帰ってしまう。
最初は苦手なんだぁ、可愛い……と思っていたが。
実はそんなことはなく。
どうやら母親がアメリカ人で、生まれつき英才教育を受けていたのだか。
おかげで英語は完璧。
なんなら先生よりもうまく話せるということで、受けない判断をしたらしい。
まじすげぇな、水無瀬さん。
そりゃ武内君も首ったけになるはずだよ。
「……み、みなさぁん。グッドモーニーングぅ。げ、元気してましたかぁ?」
「先生、もうお昼終わりましたよ」
「うぇ!?」
あ、先生が入ってきた。
相変わらず緊張してんなぁ、植木原先生。小動物みたいに震えて可哀想に。
「え、えと、じゃあ前回の続きで。えー……アンドリューとフランクの浮気が発覚したところですね!」
「先生、それ先生のBL本です」
「ヴぇ!?」
前言撤回、何やってんだこの人。
見た目が可愛くなかったら即クビだろ。昨日酒飲んだのか声ガラガラだし。
……どうしよ。
やっぱ数学より英語の方がやばいかもな。
勉強の内容的にはこっちの方が楽だけど……うーん。
いつか取り返しのつかないことやらかしそうで怖いんだよなこの人。
うーん、でも数学かぁ。
「えと、えと……あぁっ」
「先生、何か落ちましたよ……なんですかこれ?」
「あ、それは私が貢いでるホストのピアスです」
「貰ったんですか?」
「いえ、最近対応が冷たいので引き千切りました」
よし、数学にしよう。
僕は机から授業免除の申請書を取り出し、面倒な授業とやばそうな授業に印を付けた。
じゃあね植木原先生。貴女のことは忘れません。というか忘れられません。
彼女の口から放たれる英語のようなものを聞き流しつつ、無事に授業が終わるのを願いながら目を瞑った……。
そんなこんなで、一週間。
学校に冒険者登録をしたという証明書を提出し、授業時間割を決め、家に帰れば筋トレをし、朝には髭も剃った。
準備は完璧である。
何なら筋トレを張り切りすぎて、体が結構痛いくらいだ。やらなければよかった。
「……でも、やっと」
やっと迷宮に潜れる。
目の前にそびえ立つはラビリンスの外壁。
気のせいか、前見た時よりも大きく見えた。
ごくり、と喉を鳴らす。
緊張、期待、不安、興奮。それら全てが混ざり合った気持ちのままに。
僕はその、扉をくぐった……。




