二十六話 変化する日常
薄暗い洞窟の中を、全力疾走で駆ける男の姿がある。
黒い防護服を纏った、ひょろ長くていかにも不審者といった顔つきの男だ。
汗をだらだら流しながら必死に走る姿は正に滑稽だった。
しかし目を細めて遠くを見つめれば、どことなく陰のあるイケメンに見えるかもしれない。
どうも、世界も認める美少年、雨夜和幸です。
僕は今日もまたスライムに追いかけられています。最初は辛かったけど、今ではすっかり日課になりました。
スライムと走るこの洞窟は、僕の一番の思い出です。
過呼吸になりながらもそう語る彼の横顔は、間違いなく国宝級のイケメンだった……。
「はひゅっ、げほっ、ぉえっ、だはぁっ」
『ピギィッ』
「どぉおおおおお!?」
死神の鳴き声を聞いて、思いっきり前転をする。
次いで地面が抉れる音。工事現場の近くでも感じたことがない、圧倒的な衝撃。
転がりながら状況を確認する。
以前は薄く抉る程度だったのに、今回は三センチくらい深く削る威力になっていた。
ふざけてんのか?
「はぁっ、かはっ、そ、ソルトアタック!」
『ピギっ?』
ポーチから塩がみっちり詰まった瓶を取り出し、中身をぶちまける。
しかし距離がそれなりに空いているため、降りかかったのは三分の一程度だ。
「ぅぐっ、いけるか……?」
再度走り出す。ちらちら後ろを振り向けば、スライムは自らに起こった変調に戸惑っているようだった。
今日は当たりだ!
そう心の中でガッツポーズを取る。どうやらこの個体は、まだ学習を済ませていないらしい。
しかも威力特化型。アレの出番だな。
「ふっ、ふひゅっ、げほっ、はぁっ」
『ピ、ギギ……!』
タイミングを計る。
今までの経験からして、このタイプは泣き声とのラグが少ない。賢い個体は態と声を出してフェイントしてくるので、比較的やりやすい相手といえる。
勿論、手強いことには変わりないが。
『ピッ……!』
「っ、そぉいっ!」
『……!?』
ポーチの中から取り出し、横に投げたのは何を隠そう秘密兵器その二。
二週間前の死闘では終ぞ使えなかったが、今ならば使える。
『ピギィ……!』
僕が投げたとある物に吸い寄せられるが如く、スライムが横を通り過ぎていく。
そして着弾。身の毛のよだつような衝撃が洞窟内に響き渡る。だが悲しいかな、このレベルの威力には慣れてしまった。
精々おしっこちびるくらいである。
「お前達のせいで、僕はパンツの替えを用意しなくちゃならないんだぞ……!」
『ピギ!?』
恨みを込めて再度塩の瓶を振りかける。相変わらずのノーコンだが、塵も積もれば何とやらだ。
そうして僕はまた走り出す。
万全を期すなら命中度にもよるが、あと三回ほどか。。
手に持った紐をぐるぐると巻きながら、そう冷静に判断する。
紐の先には先程投げた秘密兵器二号が括り付けられていた。走るペースも徐々に落とし、再び手の内へと舞い戻る。
それは一見すればただの袋であった。布に包まれた、ジャリジャリと音の鳴るそれ。漫画でよく見る、金貨の詰まった袋、と評すれば分かりやすいかもしれない。
その中身の正体は、屑魔石である。
名前の通りただの魔石ではない。既に魔力を使い果たした、いわば使い終わった乾電池みたいなものだ。
普通ならば誰も買わないような代物。
ただし僕にとって、これはどんな宝石よりも優秀な働きをしてくれた。
「ぜひっ、はぁっ、どっせいぃっ!」
『ピ、ピギ……!』
もう一度屑魔石の入った袋を投げれば、スライムは迷ったように空中を舞う。
僕はもう笑いが止まらなかった。
惜しみなく塩を振りかけながら、袋を回収する。これであと二回。
勝利は目前である。
いやぁ、しかし袋に紐をつけるのは我ながらいいアイデアだったな。
ベスト和幸賞を贈りたいくらいだ。前回は一々投げては拾いを繰り返したせいで死にそうになったし、その隙を無くせたのはデカい。
「ふひゅっ、げほっ、あ、やば、ちょっとまじで疲れてきた。はぁっ、きっつ」
『ピッ……!』
「おおぉわああぁんどりゃっ!」
めっちゃ油断してた。慌てて袋を投げて、間一髪スライムを惑わす。
この作戦はスライムが飛んでからでは遅いのだ。あと早すぎてもいけない。
あくまでスライム視点では、急に分裂したという風に見せなくては。
「追い塩入りまぁっす!」
『ピギギ……』
合計四度のソルトアタック。
流石に動きが鈍ってきたようだ。心の中で静かに安堵の息を吐く。
そして、これで何度目か分からないあの本への感謝をするのだった。
『我がスライムよ永遠に』
この本は紛うことなき変態が書き上げたスライムとの恋愛物語だが、しかして中身の情報は非常に有益だった。
スライムに対する塩の有用性。
感覚器官の有無。繁殖の仕方……はどうでもいいが。
この中で今回役に立ったのは感覚器官の話だ。
要するに、スライムはどのように僕らを認識しているのかを彼は調べ上げたのだ。
それこそ数多の手を使ったらしい。いやほんと、数多という意味を再確認させられるレベルで。
そうして分かったこと。
スライムには視覚や聴覚などの五感は存在しない。その代わり、対象に宿る魔力で物を判別できるようだった。
言われてみればスライムは魔法生物である。元が魔力の塊なので、魔力そのものを捉えられても不思議ではない。
だがやはり最弱魔物らしく、細かい違いは判らないのだそうだ。
魔力の有無は分かっても種類までは認識できない。
それはたとえ、僕と屑魔石の魔力であってもだ。
使い果たした屑魔石でも、集めれば赤ちゃんくらいの魔力にはなる。
そして非常に遺憾だが……僕の魔力は赤ちゃん以下であった。
「はぁ、げほっ、んぎっ、ふぁいおー僕ぅっ」
『ピ……ギギ』
くたくたになった体を鞭打ち、再び走り出す。
その際に袋を回収することを忘れない。これまじで生命線だからね。
しかしスライムからすればたまったものじゃないだろうな。
頑張って狙いをつけたと思えば二つに分裂するんだから、困惑するのは当然だ。可哀そうに……。
爽やかな気持ちが止まらないぜ!
『ピギッ、ギ……!』
「はぁ、んぐ……これでっ」
『ピギィッ!』
再度袋を放り投げる……ことはせずに、袋をその場に落として横に転がる。
スライムは決して馬鹿じゃない。この数回で学んだはずだ。
動く魔力はブラフで、動かないものが本命だと。
かくしてスライムは袋へと突っ込んでいく。この勝負……。
僕の勝ちだ!
「これで終わりだぁっつ!」
『ピ……!?』
ポーチから素早く取り出した塩の瓶を振りかけ……ん?
「……おや?」
『……?』
僕が持っていた瓶は既に空になっていた。おかしいな、使い終わったら右から順番に詰めていたはずだけど。
変に思ってポーチを覗けば、そこには美しき透明の瓶達がずらりと並んでいた。
昔やっていた牛乳配達を思い出すなぁ。
あの頃と同じ、空になった瓶を見て懐かしむ。ふふふ……オワタ。
「ちくしょう僕のお馬鹿!」
『ピギュピギュピギュ!』
「こ、こいつ……!」
わ、笑ってやがる……。
いやスライムに感情とかはないはずだけども。
けれどこの、その場を跳ねて煽るこいつだけは許しておけねぇ……!
『ピ、ピ……!』
「……ふぅ、落ち着け。大丈夫、大丈夫だ……」
鯉口を切り、銀色に光る刀身を引き抜いていく。
手に馴染む柄の感覚。力は籠めない。無駄な力は速さを落とし、落ちた速さは切れ味を悪くする。
眼前には震えるスライムが一体。
四度の塩攻撃により体は崩壊しつつあるものの、一切の油断はできない。
スライムの実力は未知数だ。
少しの慢心が死につながる。そのことを、僕は多くの死闘から学んでいた。
油断をするな。その油断が在庫管理を怠らせ、僕を窮地に追いやったのだ。
気を抜くな。
集中しろ……。
「……」
『ピギッ』
「……!」
刀を持ったことで視界がスローモーションに感じる。これもスキルのおかげだろうか。それとも度重なる戦闘で得た経験か。
どちらでもいい。
スライムの鳴き声から数瞬、姿が掻き消える。
恐れはない。先程の逃亡劇でスライムの軌道は見切っている。よく狙うのは足と首。好戦的な性格。
今回は距離が近いため、より確実に殺すには……。
「そりゃ、首だろう、っよ!」
『ギギッ!?』
刀を右斜め下から、掬い上げるように核を捉える。
筋肉の繊維が千切れたのではないかと思うほど、恐ろしく重い衝撃が腕を襲う。
真正面から斬るのは不可能だ。故に、逸らす。
「んぎ、があぁっ!」
『ピギュッ!』
刀を思いっきりかち上げる。
元より下から飛んできていたため、勢いよくスライムが空中を舞った。
手応え的に罅は入ったが、両断には至っていない。
振り上げた際に崩れた姿勢を何とか持ち直し、素早く後ろを振り返る。
そこには地面に落ちる寸前のスライムがいた。
明確な着地隙。逃す手は、ない。
「おおおぉっ!」
『ピギギィッ!? ギ、ギィ……』
走りながら体を前傾させ、全力で刀を振りぬく。
ガギィインッ、と硬い金属のようなものを斬った感触。スライムの核だけではない。どうやら、両断した勢いのまま地面にぶつかってしまったようだ。
『……』
「はぁっ、はぁっ、やべ、刃こぼれしたかも……」
眼下のスライムが完全に沈黙したのを確認し、刀を持ち上げる。かなり無理な使い方をしてしまった。
見た感じ問題はなさそうだが……大丈夫かな?
うん、大丈夫だろ、たぶん。知らんけど。
「ふぅぅ……」
刀を鞘に納め、今更ながら周囲の警戒をする。まだ一階層だから大丈夫だと思うが、まぁ念のためだ。
暫くそうやって見回し、安全を確認した僕は核の回収をする。
これで本日二度目の収穫。
でも今回は罅を入れたせいで破片が散らばってしまった。これじゃあ、値段は一万いかないだろうな。残念。
「あー、しんど」
スライムに塩をかけては全力で逃げ、また塩をかけては全力疾走。これで疲れないわけがなかった。
というかあれだな。今回の反省は前半に飛ばしすぎたことだな。
一回目のスライムで塩の大半を使ったのも痛い。慎重になりすぎる、というのも考えものだ。
いやでも、この前はそれで痛い目にあったしなぁ。
うん……やっぱり臆病すぎるくらいで丁度いいかもしれない。
「……さて、そろそろ帰りますかね」
核をポーチに入れ、来た道を遡っていく。
疲れでフラフラではあるものの、その足取りに最初の頃のような怯えはない。
ぽつりと呟く。
「これいくらになるのかなぁ……」
冒険者になって今日で一ヶ月と少しが過ぎた。
僕は今日もまた、迷宮に潜っている。




