二話 迷宮に入る(嘘)
ガタン、ゴトン。
ガタン、ゴトン。
電車の窓から見える景色が平行移動しては消えていく。
その様をぼーっと立って見つめていた。
窓に薄く反射した自分の顔が何ともまぁ、情けなくて。まるで開けてから一週間放置した炭酸飲料のようだと思った。
「……あー」
じわじわと、後悔らしき念が湧いてくる。
鳩尾の上あたりが少し気持ち悪い。
母さんと玄関で感動的な別れをしたときの熱が、完全に冷めていた。
おかしいな、電車に乗ったときはこう、もうちょっと凛々しかった気がするんだけども。
決意を固めたというか。主人公ぽいっていうか。
今はなんだろう……例えも思いつかないや。
ほげー。
「……ふむん」
ため息ともならぬ中途半端な嘆息を一つ。
このままじゃいかん、気を引き締めねば。
キリっとした表情になった僕は、電車の揺れをゆらゆら受け流しつつ、ポケットからスマホを取り出す。
「あ、っべ」
ポロリ。
電車の揺れのせいか。手から四角い相棒が飛び出す。
どこに行くんだ、相棒!
「ちょっ、わっ、とと……っぶねぇ」
ギリギリ。
僕の左手で三回ほど掴み損ねたスマホは、綺麗な回転を描きながら太腿に収まった。
おかげで超内股ポーズである。
ゆ、許せねぇ……。
「……ん、んん」
顔に血が上るのを感じつつスマホを手に取る。
平日の昼ということもあり、乗車している人が少ないのが救いだった。
……さて。
スマホの画面を開き、素早く指を滑らせる。
やがて表示されたのはとある論文。上から下までびっしりと詰まっている文字の羅列は、人によって苦痛に感じるだろう。
でも僕、こういうのは平気なんだよな。めっちゃ本読むし。それが辛いと思ったこともない。
これだけ聞くと頭良さそうだ。
実際は無駄な知識ばっか増やしてるだけなんだけど。
「ゆず胡椒に胡椒は入ってない……とかね」
知ってどうすんだって自分でも思う。
だけど何か好きなんだよね、そういうことを知るのって。
これもそうだ。至極端的な題名。
『迷宮についての考察 著 深山慎太郎』
この人が書く論文はいずれも奇抜というか、突拍子もないというか。
多くの人が妄想と吐き捨てるものなんだろうけど。
僕はこれ、結構好きだったりする。
なにせ僕の迷宮に関する知識は八割方この人由来だ。
それは考え方が面白いということもあるけど……何より情報が精密。
この前受けた迷宮講習の話と、内容は殆ど同じだった。
違うのは考察が独創性を飛びぬけて限界突破してるくらいである。
「……えーと」
次に停まる駅を確認する。
……うん、まだ一時間くらいある。
これからの予習も含めておさらいしとこ。もしかして抜き打ちテストとかあるかもしんないし。
「……」
意識を手元に集中する。
スマホの画面から、その中の文字に。その文字の中から、その文字の意味に。
集中する……。
迷宮とはいつ誕生したのか。
百年前か、千年前か……あるいはもっと、最近からか。
近代の技術発展は目覚ましく、今や多くの秘密や謎が解明されてきた。
四角錐状の超巨大建造物。広大な砂漠に描かれた幾何学図形。消えた大国。
宇宙の神秘。
我々はそれらを、研鑽に研鑽を重ねた努力と執念、技術によって解明してきた。
この地球の支配者が人間であることは疑いようもない。
なぜならば、この世で最も地球を理解している存在こそ、人間だからだ。
……しかしここで、とある疑問が浮上する。
そう、迷宮だ。
冒険者が歩み、魔物を踏破し、手には財宝を持ち帰る。
何ともありふれた光景であろう。現在において、冒険者と迷宮というのは言わば……空気のようだ。
あって当たり前。存在していて普通。そういうもの。
本当に、そうだろうか。
迷宮というのは……冒険者という、人知を超えた力を振るう存在は、果たして普通であろうか。
迷宮には魔物が存在する。この世で観測したどの動物とも当てはまらぬ生物。
いや、もはや生物とも定義できるか怪しいところだ。
迷宮で生命活動を終えた魔物は、消滅する。
後述する迷宮による吸収現象とも関係なく、まるで砂のように消えていく。
地に残るは魔石だけ。
果たしてこれが普通なのか。
動物を狩って、消えた事例は今まで一つもない。魔石という存在を他に確認したこともない。
迷宮だけだ。
迷宮だけが、この世界と違うルールで生きている。まずそのことを理解すべきだ。
多くものが勘違いしている。
迷宮とは日常にある景色ではなく、断絶した異空間なのだ。
さて、それではここで初めに述べた疑問に戻ろう。
即ち、迷宮とはいつから存在するのか。
自分は未解明だと述べたが……一般的な見解だと、それは凡そ45億年前となっている。
つまり、迷宮は地球の誕生と同時に生まれたという考えだ。
そして生命はそこから枝分かれすることになる。
迷宮と地上。二つの異なる環境下で進化を繰り返し、その結果生まれたのが魔物であり、動物であると。
魔物には魔物の進化が。動物には動物の進化が。
そして冒険者は……その過程で、何らかの拍子に双方が交わった特異個体である。
冒険者。それはただの職名でしかない。
重要なのは彼らが適合者であり……迷宮で生き残れる能力があるということだ。
動物と魔物。
動物は命を繋ぐ知恵を持ち、魔物は敵を屠る暴力を得た。
知恵と暴力。その二つが混ざり合った存在が……適合者。つまり、冒険者になる資格を得る者の正体である。
確立としておよそ千人に一人。
適合したものは、選ばれた存在と呼んで相違ないだろう……。
と、これが通説だ。
そして、これらについて自分は何らかの反論を持たない。
何故なら上に述べた全ては、恐らくこうであろう、という予想でしかないからだ。
予想を否定するには事実を与えるしかない。
しかし残念ながら、自分にはその事実を得る能力がない。
よって、自分はその『予想』に反論する術を持たない。
繰り返す。それは予想であり事実ではない。
テレビで深く椅子に座った小太りの学者気取りが、自信満々に迷宮の歴史を語ったところで、それは予想でしかないのだ。
故に一つ、自分も予想を提言する。
迷宮の存在自体についての予想だ。魔石の運用方法や冒険者のレベル上昇による身体強化については、また別の論文を参照してほしい。
ここで述べるのはただ一つ。
迷宮は地球の天然物ではなく、外部によって作られた人工物である。
そう考えるのが普通……いやそれ以外考えられない。
むしろ自分は何故、他の人間がこう考えないのだと疑問に思ってすらいる。
どうして不思議に思わないのか。
迷宮内部の外壁は、地球上の鉱物とは全く違う原子配列をしていることも。
下層に行くにつれて強くなる、食事を必要としない魔物のことも。
迷宮組合が各所に建てた、迷宮と地上を繋げるポータルの入口、『ラビリンス』という建造物も。
そして何より、『扉』という不可思議な存在も。
全てが違和感だらけである。
それに……そう、迷宮組合。この組織も非常に謎が多い。
文献によると組合が設立したのは大体160年前とあるが、分かるのはそれぐらいである。
他は何も出てこない。
誰が設立したのか。何の企業と繋がりがあったのか。どの時期、どの程度時間をかけて迷宮を発見したのか。
文献を漁っても、分かるのは迷宮組合が迷宮を見つけ、研究のために設立した組織だということだけだ。
……いや違う。
これは逆だ。きっと、恐らく……しかし確実に。
迷宮を発見したのが迷宮組合なのではない。
迷宮組合が設立してから発見されたのが、迷宮なのだ。
だっておかしいだろう。
現代を生きる我々ですら、迷宮がどこにあるか分からないのだ。
我々が知っているのは入口のポータルだけで。
未だその先にある迷宮という場所が、どこに存在しているかを解明できてはいない。
そんなものを、まだ携帯機器もない時代に、誰が見つけたというのか。
ありえない。
そのはずなのに、今の学者達はその問題について疑問も持たない。
恐れているのだ。自らの無知を知ることが。常識が覆ることが。
馬鹿々々しい。
ならば自分が解いて見せよう。この一生を費やしても、必ず『何か』を証明して見せよう。
己の人生は、きっとそのためにあるのだ。
そのために生まれてきたのだ。
……話が逸れてしまったが。
かくにも、もはや迷宮は我々の日常に溶け込みすぎてしまっている。それを疑うことは極めて困難だろう。
だが、君なら。
今現在、酔狂にも自分の論文を読んでいる君なら。
馬鹿げた空想だと罵られた自分の論文を、途中まで読み進めた君ならば。
この世界の歪さに気付けるだろう。
以下よりはさらに具体的な迷宮に関する歴史と考察を述べていく。
いずれも突拍子もないものに思えるかもしれないが、どうか一考してほしい。
そしてその前に。
これは大変多くの者が勘違いをしており、場合によっては文献が誤りだと言う学者もいるが……。
迷宮に繋がるポータル。
それを見つけたのが今の迷宮組合であり、彼らはポータルの先にある迷宮に足を踏み入れ、発見した。
わけではない。
覚えておいてほしい。
迷宮と地上。それを繋げるポータルを、作ったのが迷宮組合だ。数多の文献には、そう記されている。
繰り返すも時代はまだ携帯機器もない、160年前である。
……さあ、どうだろうか。
なんだかとても。
ゾクゾクしてきただろう――?
『えー、次はー、ラビリンス前ー、ラビリンス前でございます。お荷物お忘れなきよう、お願いいたします』
「……ほぇっ!? あ、えっ!?」
え、着いた? え、え、まじで? もう?
うっそー……全然気付かなかった……。
急いでスマホの電源を切り、ポケットに突っ込む。
背中に背負ったリュックもちゃんとあるね。盗まれてないね。よし大丈夫。
ふぃー、焦ったー。
……ていうかこの人の論文が悪いよ。
もうこれ論文じゃないよ。最後の方とか、そのために生まれてきたとか言っちゃってさ。
小説じゃん。自伝小説じゃん。論文じゃないじゃん。
まぁ、まんまと惹かれてしまったのだが。
「ふぅ……とにかく、気付けてよかっ」
そうして、降りる準備をしようと体をドアの方に向け。
ピタ。
動きが止まる。
障害物とかではなく。ただ目の前の光景に、理解が追い付かなくて。
「ぎ、ひぃ……! なんでこんな、ガキに……!」
「次の駅で降りてもらうぞ。抵抗しても無駄だ。ま、痛い目見たいんならいいけどよ」
なぁにこれ。
知らないうちに何か、物語的な展開が起きてるんだけど。
組み伏せられてるのが、あれ、冒険者かな。見たとこ中々良い装備だけども。
ほんで組み伏せてるのが……え?
「……あ、ありがとうございました……本当に……」
「ん、気にすんな。俺が好きでやったことだからさ」
……桐生くん? 桐生くんじゃん!
間違いない、同じクラスの桐生翔也くんだ! 同じ制服着てるもん!
わー、えー、すごーい。
いや別に全然友達とかじゃないけどさ、なんかクラスメイトに外で会えるってドキドキするなぁ。
……して、なんでここに。
ていうかどういう状況?
「くっ……どうなってやがる! 俺は中層級の冒険者だぞ!? それを、こんなガキに……!」
「ほう、なるほどな。つまりテメェは今まで、そんな脅し文句で痴漢してたわけか。まじで屑野郎だな」
「ぐ、がっ……!?」
あー、はいはいはい。痴漢ね。
状況完全に理解しました。僕が夢中で論文読んでる間に、そんなこと起きていたと。
痴漢。うーん、痴漢かぁ……。
被害者の子は大丈夫かしら。
ちょっと心配になって視線を移すと。
「……うへ、すっごい美少女」
外人さんかな。綺麗な金髪だこと。純白のワンピースが眩しかった。
まるで絵本から飛び出してきたみたいな可愛らしさだ。
しかも何だいあの顔は。あれ、すっかり堕ちてるじゃないか。
瞳の中にハートマークが見えるくらいだよ。今にもお名前をお聞かせくださいって表情してら。
「……あ、あの……! お、お名前とか、伺っても……?」
ドンピシャ。
乙女検定一級の名は伊達じゃないぜ、へへ。
「え? ……いや別にそんな、名乗るほどじゃないっつーか」
「……」
「……はぁ、桐生翔也。これでいいか」
「桐生様……! このご恩は決して忘れません! いつか絶対、恩返しさせてくださいっ」
目を輝かせて金髪美少女は詰め寄る。対して桐生君はどこか面倒くさそうだった。
すごいな桐生君、あんな可愛らしい子が近くにいても動じないなんて。
彼もクラスじゃ、僕と同じ陰キャグループのはずだったんだけど。まさかこんな主人公力を秘めていたとは。
「てか桐生くん、冒険者だったんだね……」
彼の胸には、冒険者だけが着けることのできるブローチが青く輝いていた。
ふ、ふーん?
……ま、まぁ、べ、別に羨ましくないけど。
クラスでは目立たない陰キャだけど、実は最強でしたっていうムーブを取られて悔しいとか。
日頃から妄想してる、痴漢から美少女を助けて惚れられるイベントが目の前で起きて脳破壊されたとか。
全然、全く考えてないけどっ?
ふんっ、何よっ。あんな金髪碧眼巨乳美少女にデレデレしちゃって。
言っとくけど、翔也くんと先に同じクラスになったのは僕なんだからねっ。
そこんとこ勘違いしないでよっ。
ふんっ。
僕は何を言ってるんだ……?
『ご乗車ありがとうごさいました。ラビリンス前、ラビリンス前でございます』
「あ」
降ります降ります。
彼らと一緒に降りまーす。
ふらふら重い荷物を背負ってドアに向かい、駅へと足を踏み入れた。硬いコンクリートの感触。
うん、降りれた、一安心だ。
「……?」
ざわざわ。パシャパシャ。
やけに騒めく方向を見れば既に通報されていたのか、我らがお巡りさん達が腕を組んで犯罪者を確保していた。
しかもただのお巡りさんじゃない。
冒険者専用の、スーパーお巡りさんだ。
黒いサングラスに黒い制服。全員顔にはどこかしら傷跡があった。
どっちが犯罪者か分かんないよ。
「通して、通して」
「皆さん寄らないでください! カメラ撮影は禁止です!」
「禁止だっつってんだろボケがぁ! あぁ!?」
「ご協力、感謝いたします。君のおかげで悲運な被害者を減らすことができました」
「いえ、別に。特別なことはしてねぇっすけど」
「むむ! 何と謙虚な。しかも下位ランクとはいえ中層級の冒険者を難なく制圧する実力。……どうでしょう、特警に入る予定などは」
「あー、いや。そういうのパスで」
またもや面倒くさそうに桐生くんが言う。
「そうです! 彼は……桐生様は将来、私の伴侶となるお方なのですから!」
「はぁ!? 急に何言ってんだアンタ……!?」
「ふむ、これは失礼。どうやら先約があったようだ。私はお邪魔のようだね」
「ちょ、待てよ! こういうのって色々事情聴取とか……!」
「はっはっは、結構結構。それでは諸君、よい青春をな! はーはっはっはー!」
「……ったく、頭おかしいだろあの警官」
「ふふ、愉快な方でしたね」
「アンタの頭の方がよっぽど愉快だよ……!」
「あら、愛しのフィアンセにそんなつれない態度をとらなくてもよいじゃありませんか」
「っ、いちいち距離を詰めるな! 俺はもう行く! 今度はあんな目に遭うなよ!」
「あっ、桐生様!」
すごい勢いで走り去っていく桐生くん。
その逞しい背中を彼女は寂しそうに、そしてどこか、うっとりとした表情で見つめていた。
「またどこかでお会いしましょうね……桐生様……」
彼女の呟きが、駅のホームに溶けるように消えていった。
一連の寸劇を見た僕は、ただ一言。
「まじ、ぱねぇ」
男子高校生の夢を全部持っていかれた僕は暫くその場で佇み。
異世界転生ハーレムもののウェブ小説をチラ見し、自分でもよくわからない何かを回復した。
まだ僕にはトラックがある。それだけが心の拠り所だった。
「……よし」
歩き出す。
既に金髪美少女さんも野次馬も消えていた。
沈黙がなんとも心地よい。まるでこれから起こる嵐の前の静けさのようだ。
……いや別に期待とかしてないが。
全然そんな、ラビリンスに着くまでにナンパイベントとかがあって。格好よく女性を助けたいとか。
美少女の落とし物を拾って感謝されたいとか。そこから始まるドキドキラブコメストーリーとか。
全然、期待してないし!
十五分後。
何の障害もなくラビリンスへ辿り着いた僕は、地図アプリを閉じて口を開く。
「ほんと、そういうとこだよ、運命くん」
大きなため息を一つ。
酷く淀んだ気持ちのまま、建物の自動ドアをくぐった。




