十九話 貴女のお名前はなんですか
更衣室にて、黒に染められた防護服に腕を通す。
最初とは違うゴワゴワとした感触。前回の戦闘で、大分に痛んでしまったようだ。
試しに一度腕を引き抜くと、腕には赤黒い欠片が付いていた。
「うわぁ、きつい」
手で固体化した血を払い、パラパラ落とす。
これって洗濯機で綺麗になるのかな。冒険者専用の洗濯施設とかもあるらしいから、一度訪れてもよいかもしれない。
このままだと探索に支障がありそうだしね。
「ん、しょ。ふぅ、こんなもんか」
四苦八苦の末、防護服を着替え終わる。
相変わらず感触は酷いままだが、動くことは十分に可能だ。
というか防護服の性能が凄い。
前回は疲れすぎて気にしなかったが、特に破れている箇所が見当たらないのだ。
あんだけ転んだりぶつかったりしても傷まないなんて……ほんと政府には感謝しないとな。
……っと、しみじみしてる場合じゃない。早く準備しなくちゃ。
他の人も順番待ってるだろうし。
「えー……刀よし、服よし、ポーションよし、秘密兵器よし、顔悪し」
オッケー、顔以外は完璧だ。
更衣室の扉を開いて中から出る。
そのまま足を出口に……あ、収納するの忘れてた。
「これ絶対誰か忘れるよね」
プレートをかざしてボタンを押し、独特な音を鳴らしながら服が消える。
何度か見ているが凄い技術だ。
昔どこかで騒ぎになった『迷宮協会はエイリアンである』という主張も、あながち間違いではないかもしれない。
そういえばあの人どうなったんだろ。最近テレビで見かけないけど。
……まぁいいか。
今は迷宮に集中しよう。
「よいしょっと……あー、ちょっと重いな」
出口へ歩く足が僅かに鈍る。
今回はポーチをもう一つ増やして、秘密兵器を入れたのだ。
その分だけ重心やら体重やらが異なり……端的に言ってめっちゃ邪魔である。
しかし置いていくという選択肢はない。
この切り札を以って、僕はあの憎いスライム野郎を滅ぼすのだ。
あと地味に高かったので使わないと損というのもある。
今月の小遣いの半分を費やしたプレゼントだ。
喜んでくれるよねぇ、スライム君?
「くく、ふふふふ……」
無意識に仄暗い笑みが零れる。
いつの時代も復讐とは甘美なものだ。たとえその矛先が最弱魔物だとしても、ね。
装備室の扉を勢いよく開く。
今の僕を止めることは神様にだって出来ないだろう。
勇ましい足取りでポータルへと向かう。
目指すは始まりの迷宮である。
誰も並んでいないということもあって、すぐに到着できた。目の前には渦巻く青色の奔流。
さぁ、冒険の続きをしよう……!
「行くぜぐぇっ」
「お待ちください。ポータルをくぐる際には冒険者プレートの提出をお願いします」
「わ、忘れてた……」
スライムのことばかり考えていて、完全に頭から抜けてた。
震える手でプレートを差し出す。
依然として、首は締まったままである。無視した僕も悪いけど、もうちょっと引き止め方を考えてほしい。
「確認中……完全一致。ようこそ『始まりの迷宮』へ。ご健闘を、雨夜様」
「ごほっ、えほっ……あぃ、頑張りましゅ」
「……」
彼女の小さな手が離れ、息も絶え絶えに言葉を返す。
それに対し彼女は相変わらずの無表情だった。空色の瞳が、無感情に僕を見上げている。
というかガン見している。なんで?
「……えーと、どうしました?」
「……」
「あのー……」
「……質問はありませんか?」
「へ?」
「前回の質問文から考察するに、雨夜様は迷宮についての知識不足が見受けられました。よって、更なる質問があるのではないかと推考した次第です」
「あー……そう、ですねぇ……」
それで僕を見ていたのか。
こういうことを考えてくれるあたり、優しいんだよなぁ。毒舌だけど。
しかし質問……質問ねぇ?
ぽやー、と天井に目を向けて考える。
……駄目だ。何も思いつかない。
そもそも質問って言ったって、何を質問するべきなのか。そりゃ迷宮に関しては全然知らないことだらけだけど、全部聞いてたら一日が終わりそうだし。
何より、彼女に迷惑をかけたくないし。
「うーん……まぁ、今のところはない、ですかね。聞きたいことは大体前回のときに教えてもらいましたし、大丈夫です」
「……そう、ですか」
さっきと同じ無表情。
けれど、心なしか。本当に心なしか、彼女の表情が暗くなったような気がした。
僕は自分が、大切な何かを間違えてしまったのだと悟った。
だから僕は小難しいことは考えず、本音で話すことにした。
「……あー、ごめんなさい。やっぱり質問ありました」
「はい、なんでしょうか」
凄い食いつきだ。
僅かに俯いていた顔が一気に上がり、一言一句漏らさぬという気迫が感じられた。
その様子に、僕は焦りながら口を開く。
「あ、いやあの、正直迷宮とは関係ないんですけど、ずっと聞きたいなぁってことがあって……いいですかね?」
「質問文を確認。……業務を妨害しない範囲であれば、お答えします」
「ああそれなら……いや大丈夫……大丈夫か?」
「……不安になられるようでしたら、聞かぬことを推奨いたします」
「い、いえ。大丈夫なはず、です」
でも最近は何かと厳しいからなぁ。
通報される可能性が無きにしも非ずだ。流石に一日で三回も犯罪者認定されるのは人生初なので御免である。
お願い、通報しないでください。
僕は唯一神『朽葉欠月』様にお祈りをしながら、眼前の彼女に問うた。
あまりに今更な質問を。
「あの……貴女のお名前を教えてほしいんですけど、駄目ですかね」
「……名前、ですか?」
「はい。前は聞きそびれちゃったので、教えてくれると有難いなぁ、と」
「……」
彼女は僕の目を見つめながら、少し瞳を揺らして……目を伏せた。
はは、終わったぜ。
「通報は嫌だ通報は嫌だ通報は嫌だ……」
「……」
「通報は……ん?」
ふと、彼女の様子が気になって命乞いを止める。
てっきりボロカスに罵倒されるものと思っていたが、予想と反して俯いたまま動かない。
どうしたのかと聞こうと口を開く前に、彼女がぽつりと言った。
「当機に固有名詞はありません……質問にお答えできず、申し訳ございません」
「……? いや、ちょっと待ってくださいよ。どういうことですかそれ」
「質問文を確認……先程の回答の通りです。当機に固有名詞はありません。故に、名前を答えることは、不可能です」
「いや、いやいやいや……」
意味が分からない。だってそれ、固有名詞……名前がないってことでしょ?
そんなの、おかしいじゃんか。今ここに生きてるのに名前がないなんて。
ていうかあり得ないだろ。今までどうやって生活してきたんだ。
誰も不思議に思わなかったのか。
「……」
「……」
……誰にも、聞かれなかったのか?
名前を与えられず、生まれてから一度も?
ミシリ、と鞘から音が鳴る。いつの間にか握っていたらしい。それも、大分に強い力で。
僕は息を吐いて、頭を冷やした。
落ち着けよ雨夜和幸。道化の皮が剥がれているぞ。
「ふぅ……冗談とかではない、ですよね?」
「……はい」
「ふむ……」
お前は正義の味方ではない。
お前はヒーローではない。
優先すべきことを履き違えるな。
彼女を笑顔にしたいのなら、お前は。
「なら、僕は貴女を何とお呼びすれば?」
「……質問文を、確認。再三お答えしますが、当機には固有名詞が……」
「あー、違います違います。僕は、今、貴女の呼び方を教えてほしいと言っているんです」
「……? 質問文を確認、吟味、推考……よく、分かりません」
「オッケー、じゃあこう言いましょうか」
できるだけ無神経に。できるだけ高慢に。
気遣いなんて知らないという最低の笑顔で、僕は言ってやった。
「さっきから貴女貴女って呼ぶの面倒なんですよ。名前とかどうでもいいんで、今から自分の呼び名を考えてください」
「……呼び名を、考える?」
「はい。髪が綺麗な空色だから『ソラさん』とか、ポータルの前にいるから『ポタちゃん』とか。何でもいいですから、取りあえず考えてください」
「考える……私が、考える……自分の名前を……」
ぶつぶつと彼女が呟く。
その反応を見て、目を細める。
今まで一度も考えたことがなかったのだろうか。自分の名前を、自分で決めてしまおうと。
あるいはそんな発想すら思い浮かばない環境で育てられたのか。
名前も付けられない環境で、今までずっと。
……切り離せ。
僕は最低のクズ野郎だ。何せ本日二度も通報を受けているのだから、実績なら十分である。
そして僕はクズなので、悩む彼女なんてお構いなしに話しかけるのだ。
「何かないんですか? 自分を表す大事なものとか。これこそ自分だー、みたいなものは」
「……質問文を確認。質問に該当する最も適切な情報を捜索します……」
少しして、彼女が口を開く。
「……捜索完了。私を表す情報は、冒険者援助オートマタピースモデルプロトタイプアルストロメリアです」
「うん、なんて?」
「冒険者援助オートマタピースモデルプロトタイプアルストロメリアです」
「……」
な、長いし早口だから全然聞き取れない……。
辛うじて最後ちょっと分かったかなって感じだよ。
でも彼女にはこれが自分を表すものらしいし、うーん。
「流石にちょっと長いんで……『メリア』、とかはどうでしょう」
「……メリア……それが、私の呼び名ですか?」
「はい。まぁ縮めに縮めて、最後に聞こえた部分を言っただけですけど……」
「メリア……メリア……」
「……あ、勿論自分で決めてもらっていいですからね!? さっきのはあくまで一例というか、参考というか……」
あたふたして訂正をする。
たとえこの場限りの呼び名だとしても、安易に決めていいはずがない。
それはもうクズというより外道だろう。あまりに早計過ぎた。
けれど彼女は頭をふるふると振って。
空色のショートヘアが僅かに靡いて。
「いえ……私は、メリアです。私は今日、メリアという名前を得ました」
「えぇ、あー、うーん……ほんとにいいんで?」
「はい。異論はございません」
「で、でも、もっといい名前が」
「異論はございません」
「あ、はい」
ずいっ、と彼女……メリアさんの顔が近付き、その凄まじい圧に僕は負けた。
本当は自分で納得のいく呼び名を考えてほしかったのだが……。
「異論は、ございません」
「……」
まぁ、本人が異論ないって言ってるからヨシ!
「あー……それじゃあ、これからもよろしくお願いしますね、メリアさん」
「……」
「メリアさん?」
「……ぁ、名前を受信。はい、こちらこそ、お願いいたします……雨夜様」
メリアさんが丁寧に頭を下げる。
素人目から見ても美しい所作だった。様付けも相まって、まるで一国の主になったような気分である。
ただの仕事相手に律儀だなぁ。
それだけ、彼女が真面目だってことだろうけど。たまには手を抜いてもいいんじゃないのかねぇ。
「ま、それはもうちょい仲良くなってからかな……」
「文章を確認。内容の意味を求めます」
「……そこは聞き逃すところでしょうよ」
「申し訳ありません。スライムに敗北する雨夜様と違い、高性能ですので」
「おや、喧嘩かな?」
心なしかメリアさんがドヤっとした顔で僕を見つめる。
あれ、もしかして大分に舐めていらっしゃる?
はーやれやれ。これは分からせる必要がありますかね。
「いいですかメリアさん。そんな舐めたことを言ってられるのも今の内ですよ。貴女は今日、伝説を見ることになるでしょう」
「……データベースを閲覧、完了。確かにスライムに二度敗北するのは、伝説級の偉業と思われます」
「敗北は偉業でなく苦行でしょ。てか負けませんよ勝ちますよ僕は」
「……申し訳ありません。今のは笑うべき場面だったでしょうか」
「へぇ、やるじゃん」
ははは、中々やりおるわこやつめ。
はは、ははは……。
そろそろ泣きそうなので迷宮に行こう。うん……そうしよう。これ以上はメンタルが持たない。
「絶対目にもの言わせますからね。そこで待っていてくださいよ、僕の輝かしい勝利を!」
「はい。無事の生還を祈っています、雨夜様」
「……あ、うん。頑張ります」
……何だかなぁ。
もう、あれだ、狡い。なんかもう、みんな狡いよ、ほんと。
僕がチョロすぎるだけかもしれないけどさ。ちくしょう、僕って単純だなぁ。
「はぁ……」
先程の怒りが嘘のように消え、寧ろやる気が出てきたことにモヤモヤしつつ、僕はポータルへと足を踏み入れるのだった。




