十五話 彼女のお手々はバナナ風味
沈みゆく夕日を見ると、どうしてこうも切ない気持ちになるのだろうか。
茜色に染まった優しき闇の知らせが、部屋の窓から届いてくる。
僕はその幻想に心を委ねていた。
けして、学校の課題が面倒になったわけではない。
自他ともに認めるミステリアス美少年であるこの身は、勝手にロマンチックな状況を作り出してしまうのだ。
「はぁ……」
憂いを込めた溜息を吐き、三問だけ解いた課題のプリントをファイルに仕舞う。
締め切りは来週の二限目。
このままのペースで十分に間に合う計算だ。
僕は微笑み、来週まで開くことのないであろうファイルを鞄に詰めた。
その際、明日提出しなければならないノートが見えた気がしたが、所詮は気がしただけなのでそっと閉じた。
窓に映る夕焼けは残酷なほど、美しかった。
「……ふ」
今日は火曜日。
衝撃的なスライムとのファーストコンタクトから、早くも二週間が過ぎようとしていた。
流石に冗談だと思う。
いやいやまさか、もう二週間経ったなんて、そんなの悪い夢だよ。
僕はアメリカンにハハハと笑ってカレンダーを見つめた。
そこにはご丁寧に花丸の印が打ってあった。
曰く、明日が迷宮探索の日らしい。
「誰だよこんなもん書いたの」
絶対に許さねぇ。
現実逃避もさせてくれない非情な世界に憤慨しつつ、そういえば忘れないように書いた記憶が無きにしも非ずだった。
自分の真面目さが憎い。
「……あぁ~、行きたくないぃ。怖いよぉ、嫌だよぉ」
布団に沈み、愛しの枕へ弱音を零す。
二週間という期間は心の準備のために設けたものだが、それが逆に僕をヘタレさせていた。
そりゃあんときはスライム野郎やっつけてやる、って息巻いてたけどさぁ。
時間空けばやっぱ怖いって。
こちとら腕折られてんだぞ、ちくしょう。
「はぁ、嫌だなぁ」
さりとて、行かぬという択もない。
冒険者には月に一度迷宮に潜ることを義務付けされているのだ。
無論、義務という形なので破れば即捕まる……とかはないが。
あまりに長い期間何もしないでいると迷宮組合から注意され、最悪冒険者の資格を剥奪されることもあるのだとか。
「そうなったら終わりだよぅ……」
一応、学生という身分であるためある程度の融通は利くだろうけど、それでも定期的に潜ったほうが良いのは事実だ。
というかそれ以前に魔物を討伐しないとやばい。
迷宮に潜るのは勿論として、一定の期間魔物を討伐してないと、これもまた剥奪の対象になるのだ。
せめて一匹だけでも倒さねば。
「そう、せめて、せめてスライム一匹だけは……」
この二週間で準備はした。
筋トレも、道具も、出来る限りのイメージトレーニングも。
大丈夫、うまくやれるはずだ。
僕ならできる。
できなくても、やってみせる。
「……うん」
枕から顔を離し、頷く。
結局最初から迷いなんてものはないのだ。
いつだって僕がやるべきことは単純で、なけなしの勇気を要求してくる。
二度目の迷宮探索は明日の朝。
印の付いたカレンダーを見ながら、僕はもう一度枕に顔をうずめた。
「おはようございま~す、っと……」
訪れたことは三度目とあって、最初ほどの感動は薄れてしまったラビリンスにて。
まだ朝なのに行き交う人々を避け……といっても九時か。
「うーん、もうちょい遅めの方がよかったかも」
前回の昼終わりより大分人が多い。
それこそ、人を避けねばならぬほどに。
しまったな。
朝なら逆に少ないんじゃね?と考えたのが馬鹿だった。
本当に朝早くならまだしも、こんな中途半端な時刻じゃ意味がないや。
迷宮に潜る前に欲しいものがあったんだけど、どこもかしこも行列である。
「どっか空いてないか、ね……っ」
たどたどしい足捌きで人の間を縫うように体を進める。
こりゃ一生たどり着けないかもなぁ、とも思ったが。意外にも衝突は少なく、歩く分には全然問題なかった。
確かに人は混んでいるものの、彼らの体がぶつかることはない。
圧倒的な間合い管理能力と体捌き。
これが冒険者、か。
謎の感動を覚えてたそんな中。
ふと、誰も並んでいない店がぽつんと目に入った。
「おお、神よ……」
これ幸いにと歩みを進める。
この際、あれが買えるならどこでもいいのだ。
導きに連れられるままに店の前へ来た。
ええと、この店の名前は……。
「えー……『みつみつポーショ……」
そこまで読んで、体を反転させる。
恐らく人生で一番綺麗な回れ右だったと思う。
「いらっしゃいませぇ、お客様ぁ?」
「おお、神よ……」
惜しむらくは、その足を踏み出す前に肩を掴まれたことか。
へへ、全く動かねぇや。
こりゃどうにもならんね。
もはや全てを諦めた僕は、流し目をしつつ肩を抱いて言った。
「優しく……してくださいまし……」
「ふへへ、そりゃ兄ちゃんの態度次第だねぇ……って、君はこの前の、えと、何だっけ……あ、雨宿り君!」
「はい、雨夜ですね。お久しぶりです、東条さん」
彼女はここの店の店主、東条美月さん。
兄の健也さんと同じく特徴的な茶髪で、その顔は非常に愛らしい。
正に活発な美少女といった感じだ。
もっとも、少女と呼べる歳かは疑問だが。
「うんうん、久しぶり久しぶりー。てか、そんな東条さんなんて他人行儀にしなくていいよぉ。何たって雨夜君はウチのお得意様なんだし!」
「あはは、おっとすみません、これからちょっとオンライン会議が……」
「ええっ、嘘ぉ!? この『ハイパーみつみつポーション』全部買ってくれるのぉ? やーん、かっこいい~!」
「やばい勝てねぇ」
勢い的にも物理的にも逃走は困難だ。
また前回のように東条さんが助けてくれるとも限らない。
考えろ、考えるんだ雨夜和幸。
このままだとキャバ嬢に貢ぐ中年男性の如く、財布ごと毟り取られる!
「少しお話を聞いてください、美月さん」
「うんうん、そだねー」
「美月さん、無理矢理カゴを持たせないでください。あと勝手に商品を入れないでください、美月さん、いや美月様」
「え、更にもう一本って?」
「言ってないですねぇ」
僕の言葉に彼女は一つ頷き、『ハイパーみつみつポーション』なるものを四つ追加した。
本当に同じ言語で話してるか心配でならない。
「あのぉ、美月さん? 冗談はそれぐらいにして……」
「え、何が?」
「おっと」
手遅れの可能性が出てきた。
絶対に逃がさぬという執念を感じさせるギラついた眼は、さながら空腹の猛獣である。
一体どうしたら人間がここまで追いつめられるのか。
「まずは、そうですね。そのハイパーなんちゃらの効能をお聞きしても? 買うかはそれ次第ということで」
「買ってくれるの!?」
「圧が凄い……まぁ、効能によりますが」
「……!」
突然提示された希望に、美月さんの目がきらりと光る。
こういうときは下手に否定せず、あえて寄り添うのがいいはずだ。
買う気はありますよ~、あなた次第ですよ~、と口外に伝えて。つまりは餌を目の前にぶらつかせるのだ。
さすれば彼女の行動をある程度制限できる。
なんてこった。
こんな天才がまだ世の中にいたのか……。
「ごほん! えー、そこの年中疲れててくたびれた靴下のような貴方! 迷宮でポーションに困ったこと、ありますよねぇ?」
「これ毎回言うんですね」
面倒くさいし傷付くので省略してほしい。
くたびれた靴下……ぐすん。
「ポーションは実に便利ですが、いざ飲むとなれば中々に勇気がいるもの! え、なぜかって? ……そう! ポーションはめっちゃ不味いんです!」
「あれ、無味無臭と聞きましたが」
「それは加工を施された場合であって、今の話とは関係ありません。関係のないこと話すの、止めてくれます?」
「あ、はい。ごめんなさい」
急に真顔になって注意する美月さん。
釈然としない気持ちを抱きつつ謝ると、彼女は一転して綺麗な営業スマイルを浮かべた。
切り替えが早すぎて怖い。
「味の酷いポーションなんて飲みたくない……そこで生み出されたのがこの商品! 『ハイパーみつみつポーション』です!」
「わーすごーい」
「従来のくそ不味い雑草のような味を見事に消し去り、完璧なバナナ味を再現いたしました!」
「なぜバナナ……?」
「美味しいからです!」
いや美味しいけれども。
態々バナナ味にする必要あるかね。
「まぁまぁ、これでも嗅いでみてくださいよ」
「すぅ……おお、ほんとにバナナですやん」
「せやろせやろ。お客さん、どうです? これ一本、今なら安くしときますよぉ?」
「んー、せやけどなぁ。そういうても、高いんでっしゃろ?」
「いやいや! ほんの一本、二万円ですよ!」
「……」
僕は無言で買い物カゴに目をやり、本数を数えた。
うん、ざっと二十本はある。
いかれてんのか、この妖怪ポーションゴリラ?
「おや、もうこんな時間ですか。すみません、これからEスポーツの大会があるんで僕はこれにて」
「まあまあまあ……! ちょっとお考え下さいよ……!」
「いえいえいえ……! もう考えることなんてありませんよ……!」
くそっ、なんて力だ!
カゴを置いて立ち去ろうとしたのに、カゴごと手を掴まれて逃げられない……!
「美味しいですよぉ? バナナ味、バナナ味ですよぉ……? こりゃ買っとくべきでしょ!?」
「味はともかく、なんで効果の説明をしないんですかっ?」
「んなもん最下級程度の効果しかないからに決まってるでしょ!」
「これが人間の本性……! なんて醜い……!」
そのまま暫くギャーギャー騒ぎ、逃げたい僕とそれを止める美月さんという構図が繰り広げられた。
されど優劣は明確。
単純に体力がクソ雑魚な僕は速やかに敗北を認めた。
「はぁ、はぁっ、ちょ、ギブ。もう無理……おぇっ」
「え、嘘。雨夜君ちょっと貧弱過ぎない?」
「レベル1なもんで、すみませんねっ。はぁ、きっつ」
「……もしかして、さっきの本気で抵抗してたり?」
「当たり前ですよ馬鹿にしてます?」
美月さんが信じられないといった顔で僕を見つめる。
そんなに貧弱だったろうか、僕の抵抗は。
「あー、ごめんね、完全に遊んでると思ってた」
「全財産が毟り取られようとしている状況でふざけませんよ。ていうか、いい加減手を離してください。舐めちゃいますよ?」
「新手の脅しだねぇ」
そう言いながら美月さんはカゴを取り、手を解放してくれた。
ビリビリとした痺れに血が通っていくのを感じて安堵する。
僕のあまりの弱さに驚いて、ようやく冷静になってくれたらしい。
それはそれで何だか悲しいが、まぁいいさ。
「いやーごめんごめん。なにせお客さんが来たのが二週間ぶりで、つい」
「あらま」
逆に二週間前にお客さんいたんだ。
それがまず驚きだよ。
二週間前……まさか僕のことじゃないよね。
うん、だってあれは一方的な拉致だったし。客になった覚えもないし。
やっぱり僕じゃないよ。
物好きな人もいたもんだなぁ。
「そうなの! おっかしいと思わない? こーんなに可愛い子が店主なのに」
「まぁ、美月さんがとても可愛らしいことは否定しませんがね。手に持ってるそれが主な原因かと」
「あー、やっぱりカゴのデザインかぁ」
「香り立つバナナ臭から鼻を背けないでください」
美月さんは何だか納得のいかなそうな表情になって、バナナポーションを揺らした。
黄色の液体が鮮やかに波立つ。
「これそんなに駄目かにゃー? 結構自信作だったのに」
「まぁ正直言って味の問題は解決してますし。無味無臭で皆さん満足なんですよ」
「あの、関係ない話するの、止めてくれます?」
「これが関係なかったらもう何も話せませんって」
むー、と頬を膨らませる美月さんに対し、少し考えて口を開いた。
「せめてもう少し値段を考えましょうよ。流石に二万円はちと高すぎまっせ。効果自体は最下級と同じなんでしょう?」
「うー、でも売り上げがぁ」
「何にせよ買われなきゃ宝石でも石ころと同じです。取りあえずは売りませんと」
「そ、そうだけどぉ」
ぐずぐず言ってる彼女を放置して店内を見渡す。
目利きなんてものはできないが、それでも特別彼女の店が明らかに劣っているとも思えない。
問題なのは彼女の売り方であろう。
「そんな子供向けの玩具みたいなものを前面に出すより、もっと堅実に普通のポーションを売りましょうよ」
「ふっ、これのどこが子供向けの玩具だと?」
「歯磨き粉に味付けようってのと発想が同じなんですよ」
「いいじゃんそれで。私、いちご味の歯磨き粉好きだよ?」
「それで歯がボロボロになっちゃ意味ないでしょうに」
これで効果が高いなら言うことはない。
ただ現実はそうでなく、求める金額に実態が伴ってないのが現状だ。
「いずれにせよ、値下げはすべきです。沢山売らなきゃいけないなら猶更、手に取りやすい金額にしないと」
「じ、じゃあいくらなら買ってくれるの?」
「んん……在庫数にもよりますが、いかに」
「……あと二百本くらいあります」
馬鹿じゃねぇかな、このゴリラ。




